裏木戸通信 178号
いいねえ
芸能人が田舎に押しかけ、田舎もんをだまくらかして、その家に押しかけ、タダ飯食らって、田舎の生活を満喫するとか言うコンセプトの番組が、静かな人気らしい。
自称芸能人は、判で押したように、この手の意味合いの言葉を吐く
田舎はいい
ああ、良いよねぇぇぇぇぇぇぇぇぇ、田舎はさぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ。判るよ、うん。空気はうまいし、空は広いし、景色はいいし、自然もいっぱい、水もきれい。日本の原風景に、郷愁をそそられる。こやかましくしく、小汚い都会と違い、満員御礼、大入り満員の通勤電車も無ければ、交通渋滞も無い、不良外人も少ないし、人は朴訥、全てが長閑で、ゆっくりとしていて、人間と、動物と、蛮族が、4割、3割、3割ぐらいの割合で住んでいる、古の世界の姿がそこにはある。うん、やっぱりギスギスした都会よりも、田舎が良いよねぇ
とか何とか思っているんだったら、止めはしない
住めよ、田舎にさ
テレビで、くそ下らない、ギャグを言ったり、三文下手下手な演技を見せたり、なんだか判らないけど、たまにテレビに出るぐらいで、芸能人んんんん、都会っているぐらいなら、田舎に住んで、土を相手に格闘して農作物の、ちょいとでも作ったほうが、よほど、世のため、人のため、地球のため、環境のためである。
そう、何と言うのか、
○○はいい
××はいいよね
という言葉は、本当にいいと思って出る言葉以外に、何と言うのか、自分が、相手より、上に立っているとか思い込んでいる立場から、自分がその立場より、下と言うのか、劣るとか思い込んでいる物、人に対して、持っている、優越感の裏返しで出る言葉でもあるような気がする(改蔵でも在りましたね、このネタ、考えてみれば)
そう、
田舎はいい
等と言う言葉は、便利な都会に住んでいるからこそほざける台詞である。
病院はあちこちにあり、お店もあちこちにあり、深夜営業の店もあちこちにある。テレビに出る話題の名店、お洒落な店、話題のデートスポット、その他諸々、都会には、色々な物が満ち満ちている。大多数の人にとって、都会に住んで得られるアドバンテージは、都会の不便さ、嫌な所を、その他諸々を補って余りある物であろう。
逆に、田舎に住んで、得られるアドバンテージは、やっぱり大多数の人間にとっては、田舎に住んでいることで派生する、不便さ、嫌な所、その他諸々を補うには、少なすぎると思う。
田舎はいいと言う台詞の裏には、都会に住んで、便利な生活をしている人間の、優越感が存在していると思う。何時も便利な生活をしているから、たまに、質素で、不便な生活を、良いとか感じてしまうのかもしれない。そう、そんな物が毎日、毎日、およげタイヤキ君の如く続いていたら、きっと、辟易として、良いとかはいえないはずである。
シンプルな物がいい。
とか、言う台詞は、便利な物を使っていたり、便利な物を使ったことがあったり、した上での台詞かもしれないし。
ロックや、ヒップホップだって立派な音楽ですよ。
とか、したり顔で言う人間は、たいてい、偉ぶった学者先生や、評論家先生で、その手の人間は、たいてい、こういう世俗の物は認めないが、俺は、そういう連中とは違うぜ、うりぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ。というのか、何と言うのか、その物よりも俺は一歩上の視点に立っているぜ、おらぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ。とか、そんな感じで言っている人間が多い気がしてならない。
あいつにも良い所はあるよ。
とか、言う台詞は、大抵の場合、あいつよりも、俺のほうが上等だぜ、とか思っている人間や、衆目一致で、それを言われた人間よりも、言っている人間が優れている人が言う台詞だったりする。
まあ、上には上がいる物世の中だし、下にはしたがいるのも世の中である、で、人は、たいてい上を見てう、それを羨む物だから、下を作って、心の平穏を得たくなる。だから、何かに対して優越感を持ったり、見下したりするのは、やむを得ない事でもあると思う。
が、やっぱり人間関係、円滑にする為にも、いいという台詞を言うときは、ひょっとすると、見下した上でいっているかどうかを少しだけ考えていったほうが良いとは思う。と言うか、田舎二十年とか住んで、田舎の嫌な所も、トコトン味わい尽くした上でも、「田舎はいい」と言う台詞を言えるぜ、この野郎、と言う位の、根性を持った上で、「田舎はいい」系のは、いってほしい。
うん、私もよく言われるんだ、人から、
○○にも、いい所はあるよ
てね(涙)