裏木戸通信 196号

 

くだらない

 

 

ドリフターズのリーダー、いかりや長介が、先日20日亡くなられ、本日、葬儀が執り行われた。

ドリフターズと言えば、お笑いだが、いかりやさんは、その後、俳優としても活躍。踊る大捜査線の和久井刑事役は、渋くて格好よかった。

が、私の世代的には、やっぱり、いかりや長介さんと言えば、ドリフターズのリーダーであり、ドリフターズと言えば、

 

 

8時だよ、全員集合

 

 

であった。

子供の頃は、良く見た。で、その影響も、モロに受けた。「ヒゲダンス」、「カラスの勝手でしょ」、「東村山音頭」etc、etc。兎に角影響を受けまくった。

影響を受けて、「カラスの勝手でしょ」をでかい声で歌ったり、「ヒゲダンス」をやったり、「東村山音頭」を踊ったり、その他コントの真似事をして遊ぶ私や友達を見て、大人達は、当然良い顔をしなかった。

私のママンは、典型的なPTA的価値観を持った母親だったから、なお更だった。

学校の先生だってそうだった。

8時だよ、なんてくだらない番組見ている暇があったら、勉強しなさい、早寝をしなさい、と言う先生も実際にいた。その先生の前で、カラスの勝手でしょをうたったら、

 

 

「○年生にも成って、くだらない歌を歌っているんじゃ有りません」

 

 

と、滅茶苦茶怒られた。

低学年の子は歌っても怒られなくって、中学年の子供が歌うと怒られる理屈は、当時の(まあ、ぶっちゃけ言えば、今でもだが)私如きの頭脳で理解できるはずも無く、怒られたと言う事実に対して、理不尽さを覚えた物だった。

テレビはくだらない、アニメはくだらない、漫画はくだらない、ドリフはくだらない、ひょうきん族はくだらない。

子供なら誰でも聞かされる

 

 

くだらない

 

 

と言う言葉を、私も嫌と言うほど聞かされた。当然、「下らない」と言う言葉の意味は理解できなかった。

子供が好きな物、私が好きな物=下らない物

程度の認識であった。で、典型的PTA的価値観を持つ、私のママンにとっては頭が痛いことに、私は、ことのほか、

 

 

くだらない物

 

 

が大好きであった。まあ、子供は、押しなべてくだらない物が好きでは有るが、特に私は大好きであった。他の兄弟に比べても好きだったし、従兄弟だの、近所の中でも、その手の物が大好きな子供であった。

PTA的価値観を持つママンだったので、当然、テレビを見ることは、激しく禁止された。(まあ、それでも何故か、8じだよ、だけは何故か大目に見てくれたのだったが)漫画だってそうだった。基本的に、

 

 

「くだらない」

 

 

 

の一言でNGであった。

アニメは見るには見たが、再放送をママンが出かけている時とかに、こっそり見た口である。漫画だって、友達の家で見せてもらったりしているのが大半であったりする。お小遣いで、漫画を買えば、子一時間は「○○君を見なさい」、「誰々ちゃんは漫画なんか」、「くだらない物ばっかり見ているから・・・・・」、とお約束の説教を食らった。

これで、頭が良かったりしたら、まだ救いがあったのだが、御馬鹿さんだったが為に、基本的に反論が出来なかった。

が、その後も、基本的に、御馬鹿さんなので、くだらない物が好きなまま、くだらない物に囲まれ、成長して行き、気が付いたら、実にくだらない大人になってしまった。

 

 

もう少し、くだらなくない物も受け入れていれば・・・・・・・・・・・・

 

 

とは、度々思うが、後悔先に立たず。最近はもう諦めたやら、開き直ったやらで、相変わらず、くだらない物に囲まれている。

では、

 

 

くだらない

 

 

とは何なのだろうか?

「くだらない」、と言う言葉は良く聞くし、私も良く使うが、この「くだらない」と言う言葉に対する、納得のいく、明確な定義を聞いたことは、今まで無い。

「つまらない」と同意なのか?

違うと思う。PTA的な価値観の「くだらない」は、子供にとっては、面白いものである。

「価値の無いもの」と同意なのか?

これも違う。やっぱり、「くだらないもの」も、子供たちにとっては、価値も値打ちもあるものである・

「内容の無いもの」と同意か?

やっぱり違うような気がする。

その他の多くの言葉と同じように、「くだらない」と言う言葉も、いざ定義づけしようとすれば、非常に難しい言葉である。

PTA的価値観の下で、「くだらない」、とされる物が、何故、どの様に、どの様な理由で、「くだらない」とみなされるのか、子供時代、子供にも納得のいく答えを、PTA的価値観を持つ人々から聞かされたことは、残念ながら一度も無かった。

が、「電波少年」だの「水10」だの「めちゃいけ」だの「クレヨンしんちゃん(一部映画版は除く)」etc、etcを見たりすると、私も言ってしまう

 

 

 

くだらない

 

 

 

と。私も大人になったからなのか、それとも柔軟性を失っただけなのか、それとも、本当につまらない大人になったからなのか、理由はわからない。

高校生ぐらいの時は、「くだらない」とか言う言葉は、絶対に言わない大人になろう、とか思っていたが、今現在、見事に、「くだらない」と言う言葉を使う大人になっている。まあ、そういう意味では、月並みな大人には、成れたのかもしれない

 

 

 

いかりや長介さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます