裏木戸通信 203号

 

駆けて行く人々

 

 

は゛〜い゛

 

と言うわけで、超久しぶりに更新するこの馬鹿コラム。

いけませんねぇ、やっぱり定期的にやると思ったら、体に鞭打って、しりに焼けた鉄棒突っ込んででもやらないと。

はい、人間一度堕落すると再現がありませんから、ええ、私のアレな人生が、それを強く証明しています。

と言う訳で、いつまでも、更新を放置するわけにも行かないので、言ってみましょう久々に・・・・・・・・・

朝、私は気が弱い人間なので、なんと言うのか、朝は、多少余裕を持って家を出るほうである。

まあ、だから何と言うのか、基本的に、乗り換えとか、そういう場面では、走らないことにしている。うん、仕事の時は、嫌でも、馬鹿なオツムフル回転にして、このアレな時代植えないようにするのに必死なんだから、せめて、こういう所は、まったりとしていたいわけですよ。ええ

が、なんと言うのか、周りの多くの人と言うのか、そういう人たちは違ったりする。なんと言うのか、かなりの人が、走る。走らんでも、早歩きだったり、兎に角、目標に向かって走る競走馬と言うのか、獲物に向かって突進する獣と言うのか、そんな感じで、急いでいる。マッタリと移動しているのは、友達と、楽しそうにだべりながら移動している、学生さんぐらい?と言う感じである。

 

 

 

 

 

なぜいそぐ?

 

 

 

 

そりゃ、私の故郷の茨城のように、一列車乗り逃したら、次の列車が来るのに、どえらく時間がかかるとか言う場所なら、まだわかるが、

 

 

 

 

ここは、花の都大東京だぞ!!

 

 

 

たとえ一列車乗り逃したって、数分後には次の列車が来る、世界一、列車の運行本数が多いと思われる大都会東京だぞ。立った数分の列車の違いで、会社の遅れると海運だったら、もうちっと朝早く起きれやいいじゃん。

乗換えで、生き急ぐかのように、いそいで、乗り換え先のホームに向かってゆくサラリーマンズを見るたびの、そんなことを思う。

これから仕事始まるのヨン。こんなところで体力無駄に消耗すること無いじゃん。もっとゆっくり移動して、体力温存しようよ。

と思うが、周りの多くの人は、やっぱり急いで移動している。

 

 

 

 

 

何故だ?

 

 

 

この何故だをもっとも強烈に感じるのが、エスカレーターに乗っている時である。

関西では逆と言う説も聞いたことがありますが、関東では、二列に並んで乗れるエスカレーターの右側が、なんと言うのか、走行車線のような感じに使われる。で、その右側の走行車線みたいなところを、斜め上へ向かってかけて行く、かけて行く、駆けて行く、兎に角なんだか知らないが、駆け上がってゆく、中年も、新人も、中堅も、OLも、兎に角何かに取り付かれたのか、なんだか知らんが、集団自殺するために、海に向かって行くレミングの如く、斜め上や、斜め下に向かって駆け上がってゆく。隣には階段があるのに・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

駆け上がりたかったら、階段使わんかい!!

 

 

 

そう叫びたくなる。

もともと階段上がりたくない、降りたくない、という人間様の怠け根性が生んだ文明の利器がエスカレーターのはずだ。駆け上がらなくたって、勝手に斜め上とか斜め下に運んでくれるんだぞ、判る、それがエスカレーターと言う物なのよ♪

こんなところ駆け上がって無いで、マッタリとエスカレーター任せに、斜め上や斜め下に向かおうよ。

と思うが、何だか知らないが、やっぱりみんな駆け上がってゆく。まあ、それでも、走行車線と、停止斜線が分かれているとまだいいのだが、本来、エスカレーター任せにマッタリと進めるはずの左側も、のんびりうっかりしていると、たちまち走行車線に変貌してしまう。

そう、ドアが開いて、エスカレーターに人が向かう、で、最初の人が、左側も駆けて上って行くともういけない。本来マッタリと乗っていられる筈の左側も、忽ち走行車線に変貌ってモノですよ。先頭の一匹につられてその後に続く人々も斜め上や斜め下に向かって駆けて行く様を見ると、やっぱり人間はエテ公の進化した姿であり、群れる動物であり、しかも、先頭が駆ければ、後は、それに従って何だか知らないが、駆けて行くという、かなり知能の低い獣と言う事を何だか知らないが実感してしまう。

そんな状態で、

 

 

 

左側なんだし俺駆け上がりたくないもんねぇ

 

 

 

とか考えて、立ち止まると、大変である。

背後から、殺意の波動とでも言うべき、アレなプレッシャーをビンビンに感じる。

 

 

チッ

 

 

とか舌打ちされる。

 

 

何故?

 

 

 

ねえ何故なの?

 

 

 

 

 

こんな所駆け上がろうが、エスカレーター任せになろうが、そんな時間変わらないって。数分だって。せいぜい。そりゃ朝の時間は貴重かもしれないけれども、これから仕事始まるんだから、こんな所で、無駄な体力使うほうが、よっぽど馬鹿だって。ねえ、乗換えぐらいゆっくりしようよ、エスカレーターぐらい駆け上がらずエスカレーター任せに、のんびりと、斜め上とか斜め下とかに向かおうよ。ねぇ。

心の中でそうは思うが、回りはやっぱりいそいでいる。で、左側も急いでいると、それに釣られて私も急いでしまう。「左側だし、俺は急がないもんねぇ」と皆が駆け上がったり駆け下りたりしている中、わが道を押し通すだけの度胸は無い。

いそぐ事無いじゃん。たかだか数分間の為に。

もっとゆっくりしてこうよ、朝だからこそさ。

毎日毎日、乗り換えのたびに急いでゆく人たちを見るたびに、そんな事を思う。唯でさえ、仕事しに、疲れに行くのだから、朝位ゆっくりまったりのんびりしたって罰は当たらないはずなのに、やっぱり、急いで乗り換え先とかに向かってゆく。サラリーマンの悲しい性か、日本人の悲しい性か、それとも何がなせる業なのか?私にはわからないが、兎に角アレだ。狭い東京の、さらに狭い二十三区内の、さらに狭い駅構内で、そんなに急いで、本当に、何処へ行くって言うのさ。

そんな私の疑問をよそに、今日も多くの人が、乗り換え先に向かって駆けて行く。

そんな中、出来るだけのんびりとする私。当然後から後から人に抜かれて行く。

私がだめ人間なのは、案外ここいら辺にも原因があるのかもしれない。

 

 

 

明日から駆けてみっかな??