裏木戸通信21号

 

フリー・ウイリー

 

「フリー・ウイリー」結構話題になった作品なので、皆様も御存知の事であろう。

孤独な少年と、水族館のいるかの心の交流を描いた感動の作品である。

この作品の中で、「ウイリー」を演じたシャチの名前を「ケイコ」という。

この作品が公開されたあと、この「ケイコ」の扱いがあまりにも良くないと言う事がニュースになり、全米で、「フリー・ウイリー」をみた子供たちが、「ケイコ」も映画と同じように、自由にしてあげよう、海に返してあげよう、と言う運動が起こった。

この運動のことは、先日の「世界丸見え、テレビ特捜部」でもやっていた。

このシャチの「ケイコ」を自由にするために、全米から多くの募金が寄せられ、アメリカ政府は、「ケイコ」を野生に戻すためのリハビリ施設を8億かけて建設したと言う。そしてそこでリハビリを行ったあと、「ケイコ」は、米軍の輸送機でアイスランドに運ばれ、そこに作られた特性のいけすに入れられ、最後のリハビリに入った。いけすには、「ケイコ」を救うために募金をした、多くの協賛企業の名前が入っていた。

水族館、動物園、名目上は、動物の研究を行い、人々に公開して、人々の動物、魚類、などに対する学習、啓蒙なども行う施設である。

しかし、それはあくまでも人間の勝手であり、自己満足である。厳しくも、自由な野生の世界で、たくましく生きていたのに、人間のエゴで、狭い折の中、水槽の中に押し込められたのである、動物や、魚たちなどにとっては良い迷惑かもしれない。

また、実際は、ただの見世物小屋になっている、動物園、水族館も少なくないと言う。

確かに、その様な見世物小屋に入れられていた「ケイコ」を救い出したのは、良い事かも知れない.「ケイコ」を救うために募金をした人たち、援助をした人たちは、「良い事をした」、とおもい。狭いいけすの中から開放され、大海原を泳ぐ「ケイコ」の姿をみて、自分たちのやった事はやはり良い事だったと満足している事であろう。

しかし、動物園や、水族館に閉じ込めるのも人間のエゴなら、そこから開放してあげると言うのも、人間の大いなるエゴイズムである。

確かに「ケイコ」に自由は無かったであろう。狭い水槽に閉じ込められた「ケイコ」は不幸以外の何者でもないであろう。しかし、そこに閉じ込めたのも人間である。そこに閉じ込められたために「ケイコ」は自分の力で獲物を取る事すら出来なくなった。そしてその訓練のために8億もかけてリハビリ施設を建設し・・・・・・

果たして今され「ケイコ」を野生に戻す事が「ケイコ」のためなのだろうか、人間が歪んだ環境に閉じ込め、言わば、シャチとしては、いびつな物に育ててしまったのである。

野性に戻す事が、そのことに対する本当の償いなのだろうか?

どんなにリハビリしても、生まれたときから狩をしている野性のシャチの中で果たして「ケイコ」は生き残れるのだろうか?

いびつに育ててしまったのである、それならば「ケイコ」が死ぬまで人間が面倒を見るのが筋のような気もするが?

残念ながら「ケイコ」の本心を知ることは誰にも出来ない。

ただなんとなくではあるが、「ケイコ」を野生に戻そうと言う運動は、単なる偽善のように思えてくる。

全米のほかの水族館、世界中の水族館には、フリーになれないウイリーがたくさんいる。かといって、それを全部野生に戻すのには莫大な金がかかるし、実際不可能である。元々、水族館と言う前提があったから「フリーウイリー」の物語も生まれ、それで「ケイコ」が有名になったのが、今回のこの運動が起こったのである。人々は水族館のお蔭で、シャチを身近に感じるようになり・・・・

どの番組か忘れたが、あるアフリカの国の外交官がいっていた言葉を思い出した。

「白人や、先進諸国の人々は、黒人の子供が何百万人死のうが心を痛めはしないし、それを救おうともしないが、動物の子供が傷つき、苦しんでいるのを見ると、心を痛め、それを救おうとする。」

確かにそのとうりである。「ケイコ」を救うためにかけた金で、一体何人の、生まれた所が悪かったために、幼くして不条理に死んでいく子供達を救える事だろうか。彼らも煎じ詰めれば人間のエゴの犠牲者の筈である。しかし、彼らは救われない。シャチは救われるのに。

人間の命は地球より重い。しかし、それは恵まれた国に生まれた人間だけである。その他の国の人々の命は、シャチよりは軽いのではないだろうか。

どんな命でも、命の重さは変わらない。今回「ケイコ」を救おうと運動した人体がおそらく信じていたであろうキリスト教の理念である。

少なくとも先進国に住む人々は、天国へはいけまい。

 

戻る