裏木戸通信24号

 

 

グルメ。

 

食文化。食事は文化である。確かにその一面もあろう。食事は、その地方、その国、民族などに根ざした物がある。それぞれの国に、その国を反映した食事がある。それらを食べて、董いい異国に思いをはせたり、言った国で、その国の食事を食べる事は面白い事であろう。

しかし、日本のグルメは少し違うような気がする。このHPでの主張の一つは、

グルメ=食の浪費

であるが、どうも日本はグルメと言うとその様な行為を言っているような気がしてならない。

行き過ぎたグルメは下品なだけである。自分の金持ちさかげん、浪費加減を人に見せ付けて自慢しているようにしか思えないのである。

もともと、食うということは、人間の本能に根ざした行為である。そういう意味ではセックスと根は同じである。そう、両方とも生存の本能。子孫を残そうと言う本能に根ざしているのである。

しかし、セックスのほうは文化とはあまり言わない。(最近は言うかもしれないが)地方に根ざした物も無いし、その国独自と言う者も無い。大抵は、アングラ的なものと扱われ、その手の物は子供に見せないようになっている。

一方食事のほうは、文化でございと大きな顔をし、私の嫌いな美味しんぼのように、それを通じて文科系網を気取っている物もある。

ではセックスを文化でござい、セックスを通じて文化啓蒙をしようとしたらどうなるか。

おそらく100%白い目で見られ、下手すると排除されるだろう。

同じ本能に根ざしているのになぜこうも違いが生まれるのか?

おそらく、その手の行為は人間が一番嫌う、野生に一番近い状態になるからではないだろうか?

食べると言う行為は、人間のアイデンティティである文化で装飾できる。煮たり、焼いたり、加工したりすることで、俺たちは、獣とは違うと言う違いを再認識できる。

しかしセックスは違う、人間のアイデンティティである、文化が入り込む隙間が一番少ない行為である。だから、その行為をアングラ化し、日と目に付かないようにしたのではないだろうか。

確かにその様な行為を堂々とやるのは同かと思う?

まあ、ある程度隠すのはいいことだと思う。

しかし、日本に蔓延している、グルメ、食文化論は、はっきり言って人前で乱交パーティーをやるぐらい品の無い事のような気がする。

 

ドイツ人は生きるためにくい、フランス人は食うために生きる

(欧州のことわざ)