裏木戸通信26号

 

ローカル鉄道

私は鉄道が好きである。

しかもローカルな鉄道が好きである。

最新鋭の鉄道や、毎日乗る通勤列車には何も感じない。そう、いかにも地方、いかにも田舎と言う所をトコトコ走る鉄道に限りない魅力を感じる。

車両だって古くなくてはいけない。冷暖房完備の快適そのものの新鋭列車にはやはり何の魅力も感じない。関東圏には残念ながら、その様な鉄道線は少ない。その様な鉄道線に乗りに行くには、いわゆる地方に行かなければいけない。つまり、その様な鉄道に乗るには、遠くまで鉄道に乗って行くしかない。常人にはまず理解できない世界かもしれない。わざわざぼろい鉄道に乗りに行く。しかし、マニアはいわゆる常人に理解できないからマニアなのだ。

私も遠くの地方鉄道に乗りに行きたい。しかし先立つ物が無い。だから雑誌や本を見て思いをはせる。思いははるかと遠くにある地方鉄道。

地方鉄道に新型車量など似合わない。そう、都心ではとっくの昔に消えた古い車両が、老体に鞭打って走っているからこそ旅情もわくのである。長閑な田園風景に、古い車両がのんびりと走る、これこそ地方鉄道、ローカル鉄道の醍醐味であろう。

しかし、マニアはそれでいいかもしれないが、その鉄道を日ごろの足として使っている人たちはどうであろう。地方鉄道はえてして運賃が高い。つまり金がかかる。車両は古く、乗り心地も悪い。施設も悪ければ、乗り心地も悪い、ダイヤだって本数が少なく不便の一言・・・・・・・

こうして地方鉄道は赤字がかさみ、廃止されていく。そしてそこには廃線マニアが群がり、在りし日の鉄道の姿に思いをはせてゆく。地方鉄道が消えてゆくのは確かに悲しい。鉄道マニアは、楽しませてもらっている代価として、地方鉄道のために一定の額を寄付するべきであろう。

マニアにとっての天国は、それを利用している人間にとって地獄である事がままある。

マニアはひねくれており、常人と違う感性、価値観で動く。だからこそのマニアなのだ。しかし、マニアの価値観があまりに強く影響を持つようになると反発が起こる。

やはり、マニアは他人に迷惑をかけない範囲内で行動するべきだろう。

 

関東ローカル鉄道