裏木戸通信30号

 

成人式

 

先日各地の成人式の模様をやっていた。

日本各地では、新成人の帰れコールに激怒した橋本知事が、新成人に「お前らこそ出て行け!!」と怒る様子など、各地の成人式の模様と並び、荒れる様子も放映されていた。

成人式は一つの儀式でありまたお祭りである、多少羽目を外すのは、いたし方あるまい。

しかし、TVで見たあれはその限度を越えている。あのような連中が、成人になり大人の仲間となり、この社会の一角を占めると思うと少々頭が痛くなるのもまた事実である。

成人式はこれから大人になると言う儀式である。昔で言えば元服であろう。

何処で大人になったと判断するのか?

実際に大人になるのは当然個々人によって違う。15、6で大人顔負けの知識を持っていたり、あらゆる意味で大人の人間もいれば、私のようにいつまでたっても子供の人間もいる。

では、面接やテストで大人と子供を決めるか?

これも現実的ではあるまい。大人の基準は多方面から見なければならない。またテストなどで大人かどうかを決めようとすると、環境、能力などの差から色々問題も起こってくるだろう。

だからある年齢で言うなれば無理やり大人の仲間にされる。これも仕方ない事ではある。

20になると、お酒を飲めるし、タバコも吸える。その他いろいろなことができるようになる。

反面犯罪を犯せば自分ひとりの責任になる。今回成人式で騒いでいた若者たち。

それでいいのか?

これからは大人は君たちを守ってくれないのだぞ?

「大人は勝手で自分たちは自由に・・・・・・」等と抜かす奴らがいる。

そんな台詞が履けるのも成人する前の特権である。しかし、あの羽目を外しまくった奴らは、成人になってもこのスピリッツを持ちつづけているのだろうか?

しかし此処で勘違いしてはいけないことがある。あのような馬鹿はどの時代でも一定数いる物であり、今の新成人が皆あんなのではなく、ああいうのはニュースになるぐらいごく一部ということである。

 

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