裏木戸通信31号
雪が降る
現在雪が降っている。そして積もっている。
子供の頃、雪が振るとなんとなく嬉しかった。陳腐な言い方だが、空からの贈り物と言う感じがした。誰も足を踏み入れていない所に足跡を残す。それだけでなんだか快感であった。しかし雪が降って嬉しかったのは中学までであった。
高校に入ると、自転車通学になった。片道12Kmの自転車通学。雨や行きの日の鬱陶しさは、なんとも言えない物があった。寒い、すべる、力いっぱいこいでもあまり前に進まない。そのうち、汗をかいてくる、息が上がる。学校につく頃にはすでにへばっており、授業どころの騒ぎではなくなる。「帰りもまたあの道を自転車で・・・・・」等と考えるだけで、空をうらみたくなった。私は関東生まれの関東育ち。だから雪に対する免疫がほとんど無い。大学時代、雪国から来た人のこの話をしたら笑われた。
確かにそうであろう。雪国の人は、冬の間中雪に閉ざされている。根性のでき方だって当然違ってくる。あんな状況におかれたら、根性の無い私なら、一ヶ月で発狂しそうであるが、雪国の人は、その中でたくましく生きている。恵まれた環境は、やはり人をだめにする部分があるかもしれない。
とにかく雪は鬱陶しい、電車は止まる、外に出にくくなる、道はすべる、そして何より寒い。
しかし雪に覆われた町の景色はいいものがある。「雪化粧」と言う言葉があるが、まさにぴったりの言葉である。都会や、街のごみごみした物、見苦しい物、汚れなどを見事に白く覆い隠してくれる。雪に覆われた時は、鬱陶しい、街の汚れ、醜い部分などを見ないですむ。また、雪で白く覆われた街は、見慣れない物にとっては、やはりそれだけで神秘的ですらある
しかし、関東では、あまりその化粧も長くは持たない。あっという間に化粧が落ちてしまうのが現実である。そして、交通、生活が元に戻るとともに、街の汚さ、鬱陶しさも、元に戻る。
街には色々な要素がある。何も綺麗なとこばかりではない。汚い所もある。それでいいのである。そういうところの無い街は、なにやら社会主義国の街のようで、住んでいるとやはり息が詰まるだろう。でもたまにはそういうものが目に入らないような時があってもいいとはおもう。雪はそんな意味ではやはり、空からの贈り物なのかもしれない。