裏木戸通信34号

 

自作PC

PCを自作した。

秋葉原某所で、マザーボード、ケース、HDD、などを購入。

7時ごろ自宅に帰ったあと早速組み立てを開始。本を片手にごちゃごちゃしたケーブル類を接続し、電源をON。何事も無く起動することを確認したあと、OSをインストール。少々手間取ったが、夜1時ごろに組み立ておよびインストール完了。現在順調に起動中である。

前PCを購入して2年。HDDの増設やら、CPUのアップグレードなどを行ってきた。当然あと一年ぐらいは使えると思うが、さすがに最新のソフト、周辺機器などを使用するにはきつくなっているのも事実である。

以前にも書いたが、PC関係の進歩は本当に早い。大体2から3年で古くなり、使えなくなる。以前のPCもあと一年は使えると書いたが、おそらく来年には、殆ど使えないものになっているのではなかろうか?

作成したマシンとて、今はよいが、2年後にはきつくなり、3年後には、買い替えを本気で検討せねばならないものになっているだろう。

何度も言うが、進歩は悪いことではない。発展、も悪いことではない。しかし、環境問題という厄介なものがある。旧PCの流用できなかったもの、ケース、マザーボードなどは当然このままではゴミになる。しかしゴミを増やすことはよいことではない。だからといって、それが本来の進歩のスピードを妨げてはならないのも事実である。しかしゴミを増やせない。ゴミ処理関係の技術は遅遅として進まない。結果ゴミが増える。

まもなく家電リサイクル法が施行される。家電等を捨てる場合は、所有者も、相応の負担をすることになる。負担するのはかまわないが、それを有効活用してもらいたいものである。

何かをやって後は知らない。ゴミを捨てるのは人間のそういう心理からであろう。ゴミは捨てれば、自然が勝手に処理してくれる。まあ、中世くらいまではそうだったかもしれないが、現在はそうは行かない。厄介なことに現在のゴミは、自然は処理してくれない。ゴミも出したものが責任を持って何とかしなければならない。

最後まで責任を持つ。当たり前の事である。しかし、あたりまえのことができない。もちろん私もそうだ。案外当たり前の事が出来ていない、よく考えれば日常でもいろいろ思い当たることがあるし、またよく見かけもする。当たり前のことを当たり前にやることはやはり難しいことなのかもしれない。

でもそれは当たり前のことといわないかもしれない。