裏木戸通信35号

 

夜   景

 

夜景はきれいなものである。

100万ドルの夜景、1000万ドルの夜景、一億ドルの夜景、10ドルの夜景。

長崎、神戸、横浜、お台場、函館。夜景のきれいさを観光資源にしているところも多い。

上海、サンフランシスコ、香港、etc。海外でも夜景の美しさを売りにしている都市が多くある。

夜景が美しいといわれる都市は、得てして港町である。街の明かりと、その先に広がる海の暗さ、そしてそこに転々と浮かぶ船の明かり、それが美しさを感じさせるのだという。確かに夜景は美しい。街灯、車のヘッドライト、ビルの明かり、ネオンサイン、それぞれ、特に計算されて作られたものでない光が集まり、美しい夜景をつむぎだす。

それら一つ一つの明かりにはとりあえず意味があるとおもう。ビルや、家の明かりならば、その下で、仕事をしている者、生活をしている者がいる。街灯ならば、防犯のため、安全のためなどもろもろの理由で、ネオンサインなどは、店の宣伝などのため、車のヘッドライトは、前方の安全を確保するため。

とにかく夜景を彩る光には、それぞれ何かの意味がある。いや、光の本来の目的の、いわば副産物として夜景の美しさがあるのではないだろうか。夜景を彩る明かりは、本来の目的を果たしつつ、さらに、その副産物として、夜景の美しさを作り出している。省エネは大切である、だが、必要な光もある。残念ながら、太古の昔のように、日の出と共に起き、日の入りと共に活動を止めるという生活は、理想かもしれないが、不可能なことである。闇を明るく照らす明かりは、やはり必要なものである。その必要な物の副産物である夜景は悪いものとは思わない。むしろ、仕事帰りなど、綺麗な夜景を見ると少々ほっとするものもある。

しかし、その一方で、必要の無い明かりもある。無人の部屋なのについている明かりなどではない。いわゆるライトアップなどである。橋をライトアップする、ビルをライトアップする、城をライトアップする、etc、etc

闇夜にライトを浴びて浮かび上がるそれらは、美しくもあるが、なにやらスポットライトを浴びるストリッパーのようでもある。ライトアップの明かりは、夜景を彩ることだけを目的に燈されている。話題のデートスポットの某所には、上方に向かって燈されている、街灯?らしきものがある。上方から見れば、それらの明かりが転々と見えて美しい、しかもそれは見事な色彩を放つカクテルライトである。しかし、その街灯のある道は真暗けである。街灯はある、しかし、その街灯は、本来照らしてほしい足元ではなく、あさってのほうを照らしている。

本来の目的である足元を照らし、なおかつ夜景の美しさも計算したものならば、文句も無い。しかし、某所のそれは、足元を照らしていない、はっきりいって金の無駄である。街灯ならば、足元をてらさんかいと街灯に向かって毒づいてやりたくもなる。

ライトアップも似たようなものである。夜景は綺麗になるかもしれない。しかし、夜景が綺麗になる、ただそれだけである。その明かりにはそれ以外に何の意味も無い。省エネ省エネなどと言いながら、公共の橋やら、観光名所などをバンバンライトアップしていく。その金は当然税金から支払われる。さらに電力不足を訴える。夏場は電力消費が多い、省エネにご協力ください。

言われんでも、省エネしとるわい!!

この不況なんだから金が無いんじゃ(まあ、その割には物欲に負けていろいろ買っていますが)

省エネ、省エネなどと抜かすなら、無意味なライトアップを今すぐ止めんかいアホンダラ!!

企業も企業じゃ、不況、不況、経営改革、構造改革、リストラ、首切りetc。本社ビルや、何やらのライトアップを止めるだけで、結構金が浮くはずだぞ。

電灯が発明されたとき、夜景が美しくなるなどと考えた人はおそらくいないのではないだろうか?

電灯が普及し、いつのまにか夜景が美しくなっていた。夜景を美しいと思うのは、副産物だからではないだろうか。夜警を美しくするためだけの明かりなぞは即刻止めるべきである。

 

電気は大切に、ね!!