裏木戸通信45号

 

暴走族

 

いますね、暴走族。

私のふるさと、茨城にもたくさん生息しております。

お正月には、「初日の出暴走」とか言って、富士山を目指して、世間に迷惑をかけまくる。

夜中に爆音を上げて走り回る、交通ルールは無視する。

実に迷惑極まりない連中です。

彼らは一体何者なんでしょう?

単車にまたがって、旗を振り、鉄パイプやらなんやらで武装し、あたるを幸い襲撃をし、気勢を上げて、緋の周りで、奇声をあげ・・・・・・・・・・・

 

そう、彼らはいわゆる蛮族です。

 

哀れなことに、親の調教がいけなかったのか、能力が、我々文明人に遠く及ばなかったせいなのかは知りませんが、とにかくこの文明社会に適応できず、蛮族に成り下がってしまったのです。

一昔前までは、

蛮族と言うと、インディアン

 

などと言う間違った見方が定着していました。おそらくハリウッド映画のせいでしょう。

では、何故インディアンは蛮族と見なされたのか?

簡単です。

 

毛唐たちの、犯罪行為を覆い隠し、自分達が、インディアンの財産、生命を奪った事実を歪曲するためです。

 

しかし、最近は、其の間違ったものの見方も訂正されつつあります。インディアンは決して蛮族ではなく、彼ら独自の文明を築いていた。そこへ白人がやってきて、彼らの独善的な正義のために、、土地と生命を奪われた・・・・・・、などのように。

これは大変良いことです。白人の先祖を持つアメリカ人から見れば、先祖の罪悪行為を見せ付けられていい気分はしないかも知れませんが、事実から目を背けてはいけません。お互い事実に目を向けた上で、初めて相互理解は出来るのです。

では、わが国にいまだ跋扈する蛮族、暴走族はどうでしょう?

彼らも、わが国のメディア、特に漫画で、よく取り上げられます。

しかし、其の取り上げられ方は、かなり、問題があります。

曰く「彼らは、社会への不満を持っているが、不器用なので、ああいう形でしか表現が出来ない、本とは、純粋な若者達なんだ。」や「俺達は、大人が作った、かってなルールに従って、etc」とか「俺達は、このルールばっかりの世の中で、自由に生きたいだけなんだetc」と言った具合に、かなり、蛮族達に良心的に描かれています。

ちょっと待たんかい(怒)

 

彼らが、純粋?

 

はっきり言いましょう。馬鹿なだけです。

 

純粋な人間は、あんな風に、ルールを破って、世間に迷惑をかけません。

大体彼らが破っている大人の作った勝手なルールって、殆どが、交通ルールでしょう?

その他と言えば、暴力など、どちらも誰でも守れるルールですよ。

信号は、青になってからわたりましょう。幼稚園児でも守れるルールを彼らは守らない。蛇行運等をしない。制限速度を守る。どんな奴だって守れるルールです。大体これが勝手なルールと思いますか?

ほとんどの人間はそうは思わないでしょ?

これを勝手なルールどという人間の方がわがままって言うもんです。

大体、これらのルールに不満が有るのなら、然るべき手段で抗議をすればいいのです。

しかし、彼らは、蛮族ゆえ、知恵が足りず、そんな方法を知らないのです。

しかし、漫画の中では、彼らを取り締まるため一生懸命働いている、お巡りさんや、彼らの将来を心配して、しかってくれている、教師、そして、あたりまえのことを言っている同級生などが、悪者になってしまっています。

一体あの手の漫画家の脳みその中身はどうなっているのでしょうか?

彼らを少しでも、真面目に見れば、単なる蛮族である事はすぐに解かると思うのですが?

このあいだ、日光のサルの問題をテレビで見ました。観光客のものを奪う、暴力をふるう、歯をむいて威嚇する。まさに暴走族と同類でした。

蛮族とはいえ人間。大体蛮族と言うのは、得てして、もう一方の自分勝手な正義から来る相手を貶める別称です。そう、暴走族に蛮族などと言う言葉を使うのは、過去、蛮族と呼ばれていた人々に大変失礼です。

私が間違っていました。

 

暴走族は蛮族ではありません。

 

サルです!!

 

しかし、サルでありながら、少々、人間に近いDNAも持っていたがために、バイクに乗れる、道具を、少しは使える、そして、簡単ながら、言語もしゃべれるようになってしまったのでしょう。

この国のために、彼らは、サル山に追放、または隔離した方がいいのですが、外見は、一応人間の格好をしているがため、それも出来ません。困ったものです。

結局今回は、何を言いたかったかと言うと、

 

ルールぐらい守れるようになれ

 

と言うことです。

 

暴走族は死ね