裏木戸通信5 4号

 

 

 

幅が広いほうがいいか、狭いほうがいいか。

えてして幅が広いほうがいい。

道幅。

これは広いに越したことは無い。

幅が広ければ、多くの車がスムーズに通ることが出来。それだけ物流が盛んになる。

日本の道はえてして狭い。

国土が狭いという理由もあるだろうが、ほかにも原因がある。

海外は昔から、物流に馬車を利用していた。馬車をスムーズに通すため、海外の道は広くなったという。

日本は物流にほとんど馬車を用いなかった。えてして馬の背にくくり付けるか、人が担ぐかしていた。

だから道も、人や馬がスムーズに通れる広さがあればよく、結果、日本の道幅は狭くなったという。

そして、その道幅を現在まで引きずっており、日本の道は、海外のそれに比べて狭いものになっているというのである。

鉄道の軌道幅。これも日本の物は海外に比べて狭い。

日本の軌道は狭軌。新幹線、そして海外でよく使われる、標準軌よりもレールの幅が狭いのである。

レールの幅が狭いとどういうことになるか。

その上を走る鉄道車両のサイズが、標準軌のものに比べて、一回りから二周りほど小さくなってしまう。

当然鉄道車両のサイズが小さければ、一両の貨車、客車で運べる、物や人の量も少なくなってしまう。

つまり物流の効率が悪くなるのである。

日本がなぜ狭軌を採用してしまったのか。これには色々な説があるので今回は割合する。

しかし、狭軌を最初の鉄道新橋、横浜間に採用してしまったがため、その後、日本では、狭軌が主流になってしまった。

そして、自動車や、道路網が発達しておらず、鉄道が、物流の主役だった戦前においては、この鉄道軌道をどうするかが、国の最重要政策課題の一つだったのである。

いわゆる、建主改従論と改主建従論である。

建主改従論、とは、鉄道建設をまず行い、軌道改正は、その後考えるという政策。

改主建従論、とは、軌道改正をまず行い、その後、鉄道建設を行う。という政策である。

主な幹線が出来上がった、明治末から大正にかけては、これが度々国会の議題にあがり、政党が変わるたびに、激しく議論されたという。しかし、結局は、建主改従論が大勢を占めたという。

なぜか。

政治家が、自分の地元に、利益誘導のために鉄道建設をしたかったからだという。

軌道改正にも莫大な予算がかかる。もし、軌道改正を、国の政策として採用すると、当然地方への鉄道建設の予算は回らなくなる。結果、自分の地元に鉄道を引くことは出来ない。すると、自分に投票してくれなくなる。

逆に建設を主とすると、狭軌の日本の鉄道は、建設費も、標準軌より安く済むので、かなりの田舎まで鉄道を建設することが出来る。

結局、政治家が自分の地元に鉄道を引きたいという理由で、(もちろんこれ以外にも色々な理由があったのですが・・・・・)建主改従論、が国の政策となってしまった。

そして、政治家の利益誘導のために、地方の隅々まで鉄道が建設され、赤字ローカル線がたくさん作られることになった・・・・・・・・・

と言いたい所だが、そうでもない一面があるのである。

時代は終戦後。

日本が、案外早く、敗戦の痛手から立ち直れたのは、朝鮮戦争特需意外に、この地方の隅々まで張り巡らされた鉄道網が、大きな役割を果たしたのである。

当時の日本は、道路網はほとんど発達しておらず、また、自動車による物流量は微々たる物であった。

このとき、地方にまで張り巡らされた鉄道網が物流に活躍することになるのである。

地方の、物や人を都市に運び、都市のものや情報を地方に運ぶ。それが隅々まで張り巡らされた鉄道網のおかげで、結構スムーズに、地域格差をあまり生まずに行き渡る事になったのである。(ということを本で読んだことがある。)

政治家の身勝手で建設されたローカル線が、役に立ってしまったのである。

軌道が狭かったことが逆に日本の復興の役に立った。

なにやら複雑な気分になる。幅が狭いと言う事も存外捨てた物ではないのかも知れない。

しかし、世の中には幅が狭いほうが絶対にいいものもある。

人間の横幅。

これはやっぱり狭いに限る。

分かっているのか、今日隣に座った、幅のやたら広いおばさん。

 

たまには知的?な話でも・・・・・・