裏木戸通信7号

 

ネクタイ

 

ネクタイを締める。蒸し暑い夏などははっきり言って締めたくない。

 

 

スーツにネクタイ。

 

 

夏が蒸し暑い日本に向いている服装とはとても思えない。誰だって、日本に向かないと思っているのではないだろうか。

 

 

 

汗を吹き拭き、ネクタイを緩める。

 

 

夏おなじみの光景である。日本の夏には開襟シャツのほうが合っているのではないだろうか。確かに 、オフィス内にはクーラーが効いているから、良いかも知れない。ただ、それはあくまでも屋内だけである。外は、ヒートアイランド現象等で、むしろ蒸し暑くなっている。やはり日本の夏にネクタイは合わない。最近は、カジュアルなどと言って、特にIT業界では、ネクタイを締めない会社なども出てきたが、絶対数から見れば、まだまだ少ない。

大体、硬い席では、夏でもネクタイ締めが主流だ。ネクタイを締めないとなんとなく締りが無い気すらする。

 

 

 

不思議である。

 

 

 

スーツにネクタイは日本の夏にはあわない。

 

 

何も、今言われたことではなく、昔から散々言われていることである。

しかし、誰も「止めよう」と言わない。

 

 

 

なぜだろう?

 

 

確かに海外では夏でもスーツにネクタイ締めである。そのせいも有るだろうが、しかし、それとて、海外に言ったらネクタイを締めればよいのである。

外人だって、日本のくそ蒸し暑い夏にまで、ネクタイをしたくないだろう。

(大学時代の、英会話の教授は、蒸し暑い夏に、汗をかきながらネクタイをしている日本のサラリーマンに疑問を呈していた)

大体、外国とは言え、アメリカのフロリダ等の様に熱い所では、ネクタイ締めの人間はほとんどいないと言う。理由は非効率的という理由だと言う。 日本も、これに習えば良いだけの様な気もする。

 

 

なのにネクタイにスーツはなくならない。

 

 

西洋へのコンプレックス。これも正しいとは思えない。最初の、明治の頃はそれもあったろうが、今はそれが原因ではないと思う。

 

なぜネクタイ締め にスーツは何時まで経っても無くならないのか。

 

 

暑さで日本人をだれだれにして、 日本の国力を弱めようとする、フリーメイソンの陰謀だろうか?

 

違う。

 

その暑さにも負けず仕事に打ち込ませ、国力を増大させようとする政府の陰謀である。

そう、日本人は基本的に、「困難な状況で頑張る人間を評価する。」、「自らを困難な状況において、それを耐えて頑張るのが偉いと思い込 む」、「自らにマゾヒスティックな困難を課し、それに 耐える自分に自己陶酔をする」と言う特徴がある。

(野球部の、雨の中での千本ノック、などは、その事の、顕著なまでの現れである。)

そう、日本人は、「効率的」、「効果的」、「最小の力で、最大の成果を出す」と言う行為をなぜか病的なまでに嫌う 、まことに不思議な思考回路を持った国民性をしているのである。

そう、夏の日に、ネクタイを締める。蒸し暑く不快で、やる気も無くなる。しかし、そこが日本人の国民性の悲しさ。その様な状況になると

「この困難な、快適と言えない状況でも、家族のため、会社のため、国のために頑張る我々サラリーマンは素晴らしい。」

と自己陶酔を初め仕事に打ち込む。結果、「産業の活性化」、「生産効率」等が増大して、国力が増大するのである。

ネクタイが無くならない裏には政府の恐るべき陰謀が隠されていたのである。

 

夏の熱さにやられています

(最近ますます病んできている・・・・)