裏木戸通信 88号

 

 

最後に審判

 

 

冬季オリンピックもいよいよ終盤に差し掛かっている。

残念ながら、我等が日本勢は振るわない。

現在、銀1、と言う状況である。4年前の長野オリンピックのメダルラッシュが嘘のようである。

まあ、日本勢が振るわないのは、選手等のせいばかりではなく、ルールをヨーロッパー勢に有利に成る様に改正されたジャンプ等、色々原因もあるのだが。それでも、もう少し頑張って欲しいと、無責任な外野である私は思ってしまう。

ただ、「力及ばず」の敗北ならば観ている方もスッキリする。「ああ、日本の選手は、残念ながら、世界のトップになるレベルにはまだ達していなかったと言うわけか。」と言った感じで、また、先に対して希望やら、何やらが色々持てる。また、「プレッシャーに負けてイージーミスで・・・」と言うのも悔しく残念であるが、「反面、プレッシャーに強くなれば次こそは、」とも思える。

そう、実力を出して負けたりするのならば、勝った方も、負けた方もそれ程わだかまりは残らない筈である。それでも、負けた方が、勝った方に恨みを持ったり、わだかまりを持ったりすれば、それはそれで、その人に、逆に問題が有るかも知れない。

 

 

 

ただ、自分の実力以外の物で負けてしまったら・・・・・・

 

 

 

 

例えば、疑惑の判定で負けてしまったら

 

 

 

 

 

 

 

 

これは色々わだかまりが残るはずである。

 

 

 

 

 

で、今回の冬季オリンピック、その疑惑の判定などが、色々相次いでいる。

 

 

フィギュアスケートでは、ミスをしたロシアペアが金メダルになり、ノーミスで演技を終えたカナダペアは銀メダルになってしまった。

 

 

 

 

 

すぐさま疑惑の判定となり大騒ぎになった。

 

 

 

結局はフランとロシアの取引で、フランスが不正な判定をしたと言う事になり、結局金メダルが二つ出ると言う曖昧な決着になった。

それだけではない、日本の寺原選手も、ショートトラックで失格を取られている。

これについて、日本側は抗議をした。

同じショートトラックで、韓国の選手も、失格を取られて金メダルを逃がしている。

この判定についても、韓国側は激しく抗議をしているし、韓国から、金メダルを取った選手に脅迫メールが相次いでいるそうである。

その他にも、スノーボード等でも疑惑の判定などがあるそうである。

いや、今回の続出する疑惑の判定、一体審判は何をしているのかと疑問になってくる。

 

 

 

審判が確りしていれば、これらは避けられた問題のはずである。

 

 

 

審判とは本来、その競技が、ルールに沿って、円滑に進められる様にするために存在する。殆どの競技で、審判の判定が絶対であり、滅多な事がない限り覆らない。

 

 

 

 

これも当然である。人間誰だって自分がかわいい。

 

 

自分に厳しく他人に優しく。

 

 

等は、お釈迦様でもない限りできる物ではない。選手だって人間なんだから、自分には甘く、他人には厳しく判定して貰いたくなるのも人情である。言うまでも無いが、このような心理を断ち切るために、審判には、競技中、競技場内では、絶対的とも言える権利と、権限が与えられているのである。審判の判定に、選手が下手に抗議でもすれば、そこで失格になるし、下手をすれば出場停止、最悪の場合は選手生命その物を絶たれる恐れすらある。

審判だって人間だから、誤りもすれば、間違えもする。そこに不満が出るのも十分判る。

ただ、だからと言って、抗議する事を認めてしまったり、これらの行為に甘く対応してしまったら、選手は誰だって審判に抗議をして、判定をその場で覆らせようとしたり、自分に有利な判定にさせようとしてしまう筈である。

また、間違えが許されないから、審判には確かな技術と、能力が求められるのである。

今回も色々な疑惑の判定があったった。当然、審判側にも色々な問題があるはずである。

だが、選手自身は決して、その場で審判に抗議等をしなかった。抗議や、不服申し立ては、コーチや、関係者が、然るべき、ルールに沿った形で、抗議をしているのである。

疑惑の判定はあってはならないが、審判には強力な権威、権限は必要であることには異論は無い。いや、人間なんだから、100%完璧は無理である、スポーツは、普通、それらも含めて、審判に強力な権威、権限を与えているはずである。そうでもしなければ、競技その物が円滑に進まないし、下手をすると、競技その物が成り立たなくなる恐れがある。

 

 

 

 

 

 

ただ1つ、例外なスポーツがこの世に存在する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

プロ野球。

 

 

 

 

 

 

上記の世界の常識とでも言うべきものが通用しない、摩訶不思議なスポーツである。

 

 

 

 

 

選手が審判へ抗議するのは日常茶飯事、暴力を振るう事だって珍しくは無い。

 

 

 

 

で、暴力を振るったほうは「不正な審判をするからあんな目にあうんだ!!」とか発言する。これを判り易い日本語で言えば、「俺に贔屓しないからだボケ!!」(超意訳)とでも言ったところか。

 

 

 

 

例えばボクシングで、判定に不服だと言ってボクサーが審判に殴りかかったら?

 

 

 

 

 

 

恐らくライセンスはく奪されて、選手生命お終いになるでしょう。

 

 

 

 

サッカーだって、テニスだって、その他諸々、この世にスポーツと名が付くもので、審判に暴力を振るったら、とんでもなく重い制裁が待っている。いや、それ以前に、「暴力を振るった。」と言うことは、法律上でも犯罪である、下手をすれば、選手生命絶たれた上で檻の中である。

 

 

 

日常生活でもそうでしょ。

 

 

 

 

 

 

判決に不満だからって、裁判官に暴力振るったら・・・・・・

 

 

 

考えるだけでも恐ろしいでしょ、こんな人。誰も相手にしないし、同情だってしない。

普通なら、とんでもない目に遭うのに、なぜプロ野球だけああなのだろうか?

だいたい選手達だって、高校野球等をやっていた時は、審判の判定に抗議等をしなかった筈である。「スポーツマンシップにのっとり正々堂々と戦う」事を誓ったのだから当然と言えば当然だが、なぜ、その彼らが、プロになると、何故アマの時に出来た事が出来なくなるのだろうか?

 

 

 

この疑問を氷解してくれる素晴らしい名言があった。

 

 

 

 

我々がやっているのは、ベースボールじゃなくて野球なんだ!!

(名前は伏せますが、とある球団の監督)

 

 

 

そうか、そうだったのか、野球と言うスポーツは、審判に不満があったら、抗議をしても、皆で取り囲んでも、暴力振るってもいいんですね。

 

 

 

 

だからオリンピックに協力しなかったんですね。

 

 

オリンピックでやっているのは、ベースボール、野球じゃない別の競技だから、協力したくても出来なかったんですね。

あれ、でも今度から、協力するんだっけ?

そうか、選手が、ベースボールをしにアメリカに行く様になったから、日本のプロ野球も、ベースボールをする事になったんですね。

だったら世界で恥をかかない為にも、選手に教えましょうよ、今から、「審判に暴力を振るってはいけません」、いや、「他人に暴力を振るってはいけまちぇんよ。」と。

審判に技量に不満があるのは判るけどさ、それとこれとは話が別なんだからさ。

 

 

審判の人権を守りましょう