裏木戸通信 96号
万が一
有事法案成るものが可決された。
これに対し、一部団体は、反対している。
まあ、政治づいた話は余りしたくは無いが、個人的には、万が一の事態に備えて、法整備をして行く事は必要だと思う。だからと言って、反対派をとやかく言うつもりは無い。言論、信仰、主義、主張は個人の自由なのだから。
何かに備える。
これが大切なのは大いに判る。たとえば、地震がおきたときの備え。阪神大震災のときは、日本中の家庭が、供えについて考えていたはずである。
でも、今は如何?
私は備えをしていない。今地震が起こったら、大いに困ってしまう。恐らく、ただでは済まないだろう。
今病気になったら?
この備えもしていない。蓄えなんか無いし、とてもじゃないが、無事でいられるかどうか。
万が一の自体は、我が身以外にも起こるかもしれない。
周りで、万が一、大きな事故が起こったら。
私は、迅速に、正しい処置が取れるだろうか?
恐らく無理であろう。
たとえば、自分のすぐ隣で、交通事故が起こる。で、周りには、私しかいない。じこった車の人間は、如何贔屓目に見ても重傷。
こんな事態になったら。
事故った人の状態を、冷静に見て、救急車を呼ぶ。当然その時、事故った人の状態も、教える。救急車が車では、下手に動かず、事故った人のそばにいて・・・・・・・・
多分出来ません、自分、こんな事を冷静には。
いや、そればかりでは在るまい。ほかにも色々有事は考えられる。
隣が火事になったら。
いったい何を持ち出せばいいのやら?
まあ、現在、命以外大切なものはほとんど無いし、金目の物も無いとは言え、保険証とか、やっぱり最低限持ち出した方がいいものは存在する。
ちゃんと持ち出せるだろうか、俺に?
そう考えるとすごく不安である。
無駄にパニクって、無駄な事をした挙句、煙に巻かれて死んでしまうのが関の山のような気がする。
いや、先に話した地震だってそうである。
万が一、阪神大震災級の地震が起こったとしたら、当然、あらゆる面で人手が足りなくなる。無事に生き残ったとして、家族や、知り合いとの連絡を取れるようにしているのか?
いや、それ以前に、あのような事態になれば、当然人手は全然足りなくなる。当然、働き盛りに一応なる、私ぐらいの年代の人間は、何かしら、手伝いをしなければ成らないだろう?
出来るのか、俺に?
どんどん不安になってくる。
緊急時の対応は、ほとんど教えてくれないし、パンフや、本を読んでも、実践できるものではない。
万が一生命の危機に陥ったとき、冷静沈着に対応できるのだろうか?
多分無理だな、無駄な事をして、冥界へ旅立つのが関の山であろう。
それでも、万が一の事態に備えるに超した事は無い。とりあえず、地震が起こったときの備えぐらいはしておこう。
先人のいうように、備えあれば憂いなしである。
有事法案もそれであれば文句は無い。ただ、有事に、その備えを元に、正しく行動できるか、それは別問題である。