裏木戸通信 98号

 

 

あって当然無くて不便。

 

 

家に帰る。電気を就けて、電気ガマで飯を炊き、冷蔵庫の中のおかずを料理して食べる。

その後、PCを立ち上げ、メールをチェックした後、ニュースなどもチェックする。見たいテレビが有れば、テレビをつける。そんな時、公共広告でやっている。関東で使われている電気は福島県で作られている。とか言っている。へーそうなんだと思いつつ、電気ガマで炊いた飯を食べる。

電気を使う製品は、身の回りに溢れかえっている。最早、我々の生活に、電気はあって当然、無くては困る物になって久しい。よく言われることであるが、もし電気が無かったら、今の生活は成り立たない。一寸でも停電すれば、大騒ぎである。

 

 

 

明かりはどうするか?

 

 

 

何しろ電灯がつかない。夜は真っ暗である。私は、怪談話が嫌いだから、基本的に寝るとき以外の暗闇は嫌いである。蝋燭や、ランプなどで、何とか成るかも知れないが、今住んでいる所は、集合住宅。料理など以外の火気は基本的に厳禁である。抱いたい暗闇で蝋燭の光なんか、合宿の時の怪談大会で、不気味さ倍増になること請け合いである。

 

 

 

 

食事だって大変だ。

 

 

炊飯ジャーは動かないから、飯は炊けない、物は腐る。いや、ガスを使えば、飯は炊けるかも知れないが、肝心のその炊き方を私は知らない。まあ、停電と言う非常時は如何か判らないが、如何せん暗すぎる。

 

 

 

 

情報などをどう得ればいいのか?

 

 

電池式のラジオがあれば良いが、そんなものは無い。日頃の情報は、テレビと、ネット型よりである。そんな物は、電気が無ければ唯の箱である。大体、本当に電気が無くなったら、ラジオ局だって、電波を飛ばせない。

兎に角、電気が無くなってしまったらとても困る、いや、恐らく生活していけないだろう。私が、電気の無い所に置いてけぼりにされたら、一週間以内に死ねる事請け合いである。

唯、全世界で見れば、電気の恩恵を受けていない地域、人々も相当いる。そういう人たちは、生活出来ずにいるのかと言えばそんな事は無い。大体、100年ほど前までは、電気なんか無くて当然のものだったのだから。でも今は、あって当然、電気があることを前提に生活している。

そんな物は、今の生活溢れかえっている。

 

 

 

 

ガス、水道、下水、電話。その他、現在の交通インフラ。

 

これらの物が、もし無くなったら、とんでもないことになってしまう。

 

その殆どが、100年前には、ある方が珍しかったのに。

 

 

 

携帯電話、インターネット、電子メール。

 

 

 

これらだって、つい最近普及し始めたものだが、既に、あって当然で、それが前提の生活になりつつある。これらなんかは、10年前は、無いことが前提だったのに。

 

 

こち亀の両津の台詞ではないが

 

 

「あったら便利だったものが、いつの間にか無ければ困る物になってしまう。」

 

 

 

 

兎に角、身の回りには、それらの物が溢れかえっている。

ただ、しつこく言うようだが、世界中で見れば、上記の物が無いのが当たり前の生活、もしくは、その恩恵を殆ど受けていない人たちが多く存在する。

ただ、普及はしているが、無いと困る。までにはなっていない物も存在する。

 

 

 

ゲーム機。

 

 

確かに在れば、時間つぶしなどに便利ではあるが、かと言って、無ければ、無いで、やたら困ることは無い。まあ、中には困る人もいるかもしれないが。

 

 

コンビにもそうだ。

 

 

確かに在れば便利ではあるが、かと言って無いから困ってしまうと言う生活は、幸か不幸かしていない。基本的にくいものは、近所のスーパーで買うし。

 

 

 

漫画もそうかも知れない。

 

手塚大先生は、空気の様な物で無いと困ると言っていたが、果たしてそうなのか。確かに、漫画は日本の誇るべき文化であるし。私も大好きである。だが、無ければ無いで、案外何とか成ってしまう様な気もしてくる。

いや、むしろ、ゲーム機や、漫画などが、無くなると生きて行けないと言う人は、ゲーム依存症とか何とか言って、下手すると病気扱いすらされかねない。こんな事でその人を病気扱いする連中も 十分に問題あるが。

電気が無いと我々は生活できない。かと言って電気依存症とか言って病気扱いする人はいないのに。

まあ、これは極端な言い方かもしれないが、電話が無くては今の生活困るが、かと言って、毎日毎日、余程の長電話ばかりをしてでもいない限り、病気扱いされることは無い。

だが、PCを、毎日立ち上げて、毎日インターネットをしている人間をネット依存症等と言って、病気扱いする人間もいる。

テレビは毎日見る人間は沢山いが、よほど長時間毎日見ない限り、テレビ依存症とか言って病気扱いされることは無いのに。

新聞にいたってはさらに凄い。新聞を毎日見る人間は沢山いる。中には、毎日新聞を隅々まで読むなどと自慢する人間もいる。だが、これらの人は、感心される事はあっても、新聞依存症等といって、病気扱いされることはまず無い。どれも根本にある目的は、情報収集と、それに類する行為のはずなのに。

 

 

 

この違いは何から来るのだろうか?

 

 

 

生活に密着しているかどうかの違いか?

いやいや、ゲームやPC、ネットが生活に密着してしまっている人だっている。だが、下手すると先ほど言ったように病気扱いされてしまう。

では、大多数の生活に密着すると、病気扱いもされずに、無くては困るものに昇格できるのだろうか?

これも今ひとつ釈然としない。

果たしてインターネットは、電気や、新聞になるのか、それとも、やり過ぎると病気扱いされるサブカルチャーのまま終わるのか?

既にネットが無いと困る人間になってしまった身としては、ぜひ前者になってほしい。

 

私は病気ではない(はずである)