坂東33観音巡礼
                  
第1日 2003.1.5
元旦から毎日のように降る雪にゴルフ場がダウン。快晴なのにゴルフが出来ず、代わりにと言っては不遜だが、以前から決めていた坂東の巡礼に踏み切る絶好のチャンスが来た。
朝、鎌倉へ直行するはずの武蔵野線が何故か来ない。どうも3が日動いたので、日曜だがお休みになったらしい。朝一番から躓いた。しかしその後は順調で、大勢の初詣客に混じってまずは番外で八幡宮参拝。
     
バス通りを1番札所へ向かう。歩くだけで楽しみの少ない道だ。1番札所杉本寺は思いがけなく間口の狭い入り口。何故か、入山料なるものを取られてから古い山門をくぐり階段を上る。全てが古い感じの堂内で今年最初の般若心経を唱える。堂内に上がり順にお参りしている間に、納経がすむ仕組みになっていた。神妙な気持ちで三尊の像を拝する。新年の自画像は少し変。
   
2番札所へは山道が有るのかも知れなかったが、表通りを辿った。広いニュータウンの中を、ひたすら歩く。登り、そして下る。やっと横須賀線の電車が見えたときはホッとした。それ程長い道中だった。約4キロ。長い石段を登ろうとしたところで、一群の女性参拝者が降りてきた。少しよけて、先に納経をと思ったが、昼の休憩時間とかで駄目。いささかサービスが悪い。坂東はすべてこのようだ。観音堂を詣でた後、時間つぶしに鏡花の池から裏山のあずまや「瑞光亭」に立ち寄る。名前は良いが酷い。あずまやならぬあばら家だ。冷たい強風が吹き付けて言われるほど眺望が良いとは言えぬ。
   
3番札所には歩いていこうかと思っていたが、時間的に予定より遅くなっていた。結局、逗子駅から鎌倉へ戻ることにした。田代寺はつつじの花の寺として有名だそうだ。確かに表通りに面して、つつじの植え込みがある。ただそれ以外はさして変わった所のない感じの寺であった。
 
3番から4番へは街道を真っ直ぐに進む。土産物屋の並んだ通りで、店を覗きながら歩けるので、それ程退屈せずに歩いた。長谷寺近くは大勢の参拝客で混雑していた。お寺なのに何故ここはこんなに混んでいるのかとも思ったが、もともと長谷寺へ参拝する人が多いことに併せて、七福神巡りをしている人が多かったかららしい。このお寺は昨年もお参りしている。改めて一回りお参りして、ホッとしてお茶を飲む。風が冷たい。海の景色も荒れ模様。
    

第2日 1.13
成人の日。いい天気に誘われて、県内の巡礼に出た。
 
まずは9番札所、慈光寺。なんと車のナビに載っていた。行ったことのあるゴルフ場の反対側の山にある。取り付け道路と言うか、山道に入ると雪が残っていて、あれと思ったが、道幅も広く心配はなかった。先に本堂へ行ってしまったら、納経は堂内でということで靴を脱いで上がる。何故か雑然といろいろなものが置いてあって、とまどったが、お年寄りの話を聞きながらお参りする。古い鐘楼は趣がある。般若心経堂を経て、観音堂への階段を上る前に案内板を見ると、東関最初の禅窟霊山院と書いてある。つい興味を引かれて歩いていくことにした。もともと、この山中には70以上の寺があったそうだ。その一つが残っていると言うことだ。戻り道は山道へ入り、観音堂の裏へ出た。
  
次の10番は比企丘陵の中にある。広い道に面して、大きな無料駐車場があったので、そこに駐車してトンネルをくぐって裏から境内へ。ハイキング客も参拝していると見えて、そこそこの人がいた。堂の裏手は切り立ったがけになっていて、岩殿の由来かなと思う。県の重文となっている鐘楼がいい。
   
11番は吉見観音。ここへも裏からの参拝になってしまった。三重の塔、仁王山門がいいし、観音堂も立派だ。納経を請うたところが返事がない。暫くしてやっとお年寄りのご婦人が出てきてくれた。ここもそれなりに参拝者はいたのだが、納経までする人は少ないのかもしれない。
  
  
第3日 1.18
シニアウェブのランチオフ会が始めて横浜で行われるのに合せて、弘明寺を参拝した。
  
時間的にもきびしかったので、少し慌ただしくお参りしたのと、都心の寺での参拝でいつも通りのペースが保てなかったので、終わってから少し心残りがあった。内陣の11面観音の拝礼もしなかった。土曜日と言うこともあったのだろうか、参拝者は結構多く、しかも厄除けなどの祈祷の申し込みが多く納経に時間が掛かったのには参った。往きは地下鉄の駅から表参道を真っ直ぐに抜けていったが、帰りは近くの京急の駅を利用した。

第4日 1.22
スタートは熱海。翌日の眼の検診に備えて逗留中の熱海からまずは5番札所飯泉山勝福寺。鴨宮で降りて、駅前を北へ。直ぐ大通りにぶつかったので、それを西へ。大きな交差点でも迷わずに札所に到着。街中で、少し垢抜けたお寺といった風情。樹齢数百年の銀杏も葉が落ちて少し寂しい。広い境内を清掃している人がいるだけ。ユックリと参拝できた。朱印を頂く時、呼べど応えず。散々経ってから、裏へ廻ってみた。何人かの人がいたので声をかける。そっけないこと限りなし。もと来た道を駅まで戻る。
   
次は7番。駅を出てバス乗り場を探していると、上手い具合に秦野行きのバスが出発するところ。金目川沿いの道をバスはひた走る。街道沿いの古い町が金目。川沿いに塀をめぐらして、こじんまりと光明寺がある。門の写真を撮るには道の反対側に立たないと撮れないほど。ここには何人かの連れがいた。ただ、この日、一日そうだったように、読経する人はいない。バス停に戻り、秦野行きに乗る。
 
小田急で座間まで。8番札所星の谷観音。駅から程近く、街中にしては広い土地に静かに建っていた。鐘楼そのものは新しいのだが、梵鐘は東日本最古とか。七不思議というのがあった。冬で木々の顔が良く分らず残念。朱印を頂いてから、急にもう一つと思い、6番札所に電話してみた。バスの便が厚木から多ければ行ける時間だった。
   
座間、厚木は直ぐ。厚木駅前でバス停を探してうろうろしていたら、切符売りのおばさんがいた。道の反対側にバス停があり、もうすぐ出るという。1時間に1、2本しかないので大変助かった。下車する飯山観音はハイキングコースの入り口にもなっており、行きには勿論時間からしてハイカーはいなかったが、帰りは大勢のおばさんハイカーと一緒になった。小さな川沿いの小道を辿ると階段にぶつかる。3,400段ほどもある階段を上り詰めると両側に白い灯篭が並んだ観音堂が現れる。この本堂を取り巻くように観音道があり、四国88箇所の観音様が祭られている。夕方が近く寒かった。
   

 いぬまき

第5日 10.7
随分長いことお休みをしてしまった。水戸の近くでゴルフをする予定があり、それに合せて思い立った。
21番日輪寺はあまりに遠く、ジパングクラブで巡礼ツアーがあるので、それに申し込もうかと思っていたのだが、今回思い立ったことで車で行くことにした。常磐道那珂ICで降り、ひたすら北上する。前の会社で部下だった人の故郷瓜連でおにぎりを購入、食べながらの運転だった。大子の町を抜けてからも田舎道が続き、その先にさらにきつい上りの山道が待っていた。一本道なので最後の曲がりも間違えずに行けた。駐車場についてオッと思った。大子のタクシーが数台止まっていた。嫌な予感が的中、団体が先に来ていた。しかも、納経帳を先に送っておかないので、その場で全部書いている。約30分のロス。これは痛かった。おしゃべりしながら帰っていく団体を横目で追いながら、本堂の中で般若心経を唱え、周辺の写真を撮ったりしていても未だ待たされた。住職さんと少しおしゃべりをしてから帰り道に。
  
流石にタクシーには追いつかなかった。どうしたものかと思いながら佐竹寺への道を探る。ナヴィに従って行くと袋田の滝の方へ行くので、少し時間に余裕があるかと思い寄ることにした。所がこれが大失敗。上着を着ずに行ってみたら、入場料を払わないと入れてくれない。金は上着に入っていた。時間的にもう一度とはいかなかった。このロスを取り返そうとしたのが間違いの元、道を間違えて山に入り込んで時間ロス。
結局は国道に戻ってナヴィに従って走った。このロスが又も団体さんの後ろにつく結果となった。
22番佐竹寺。
一見落ち着いた雰囲気の寺で仁王門も本堂も立派だが、意外と奥が浅く、歴史的に苦労を忍ばせる寺である。3時半前に着いていたのに、寺を辞したのは4時を当に回っていた。もう一組の団体がいたが、こちらは先に殆どが送っていたので時間はかからず、矢張り団体さんはこうして欲しいものと願わずにいられなかった。
    

第6日 10.8
水戸に宿泊して、朝から笠間へ。23番観世音寺を目指す。この国道50号は走ったことがあるので気が楽。観世音寺はやっとゆったりとしたお寺に来たという感じ。長い石段で枯葉をはく人。「おはようございます」と声をかける。一人でユックリとお参りする。住職さんは納経後に一緒にお経を上げてくれる。     
十句観音経
観世音 南無佛 予佛有因 予佛有縁 仏法僧縁 常楽我浄 朝念観世音 暮念観世音 念念従心起 念念不離心
戸惑いつつ、何かとてもすがすがしい気持ちになって石段を降りる。「ごくろうさまでした」と声がかかる。「ありがとうございます」
笠間は古い城下町。浅野家が領していた時期もあり、大石旧邸跡という所があった。そこを過ぎてすぐに笠間稲荷である。しばし寄り道。
    
次は20番へ。
西明寺は栃木県益子の山中にある。落ち着いた雰囲気の仁王門をくぐりさらに石段を登って観音堂に達する。私の跡から、ジョギング姿の男性がお参りしていた。地元の方であろう、納経を済ませ山を降りたあたりの町道で追い抜いた。
    
この三重の塔と仁王門、そして観音堂の雰囲気が素晴らしくマッチしているように思える。
再び道を茨城、筑波山に向けてとる。
24番雨引観音である。すぐ横に保養施設があり、立派な駐車場がある。巡礼ではない参拝者が何組が見られたのはそのせいだと思う。横の参道から上がってしまったが、本来は写真にある黒門から登っていかなければいけない。仁王門から登ってみると、寺領全体が新しい感じだ。観音堂、多宝塔も見事だが、新しい。従って、文化財としての指定は県止まりのようだ。
   仁王門

  黒門と古めの地蔵堂

ここで少し早目のおそばの昼食。目薬もさして休憩をとったが、予定よりはかなり早い。この調子では筑波山に登って時間つぶしをせねばと思う。
25番大御堂まではすぐだ。
筑波山神社の境内が大きくて、その片隅にそっとしているという感じで、いかにも風采が上がらない。これも廃仏毀釈の名残なのか。雰囲気があるのは境内の石ぐらいなものか。写真を撮ろうにも上手く角度も取れない。いささかがっかりしながら、神社へもお参りする。こちらの方が参拝者も多いようだ。なかなか荘厳な雰囲気だ。
   大御堂

    筑波山神社 筑波山からの展望
山を降りて、今回最後の札所。26番清瀧寺、30年程前に不審火で焼失したとかで、仁王門だけが19世紀の建立。本堂の横にも駐車場があったが、一台止まっていた道に車をとめて石段を登った。
   仁王門
不思議なことに、仁王様を撮影しようと思ったが、どうしても写らなかった。

第7日 10.22
栃木方面にするか迷っていたが、あまり疲れたくないという意思が働いて、群馬の2観音へ向かった。
雨の渋川ICを降りて一路伊香保温泉方向へ。伊香保CCを過ぎた所を左折、前を大型バスが2台走っていて嫌な予感がしたが、目的地は同じでも観光客のようで安心した。先に納経を済ませ、お参りしたが、観光客に囲まれて落ち着いてお参りが出来ない。そわそわしながら済ませたが、その間にお数珠を紛失してしまった。これで二つ目。
   
この16番水沢観音は伊香保に近く周辺も観光に開発されていることもあって、参拝者が多いようである。雨の中大勢の人がいたが、お目当ては門前の水沢うどんを食べることのようで、そのための立ち寄りでもあった。私も駐車場に戻らず、石段を降りて仁王門をくぐり、うどんを食した。この石段は正規の参道なのだが、誰も通っていなかった。
16番から15番白岩観音長谷寺へ。途中紛らわしい標識に一度道を間違えたが、何とか到着。
  
すぐ後から一組の親子連れが来たが、静かなというよりも何故か侘しい感じのするお寺だった。写真のように朱塗りの比較的新しい雰囲気をもっているが、16世紀の建築といわれている。

第8日 10.28
決めていた日に朝から生憎の雨。それでも中止にすると又いつ行くことが出来るか分からないので、思い切って出かけた。ゴルフで通いなれた道を通って東北道を栃木で降りる。ここからはダンプカーとのバトルだった。と言っても、出来るだけ彼らの後ろを走り、対向のダンプとも上手くすれ違えるようにした。いよいよ道が細くなり終点と言う感じでお寺があった。大きな本堂、その奥に奥の院があるということだったが、残念ながら今回は奥の院までは行かなかった。暫くすると、賑やかになり小学生の遠足のようだ。雨の中で足元も悪く、何となくせわしくお参りを済ませてしまった。
  

 
来た道を取って返し、雨が激しくなってきた東北道、日光道路をひた走った。いろは坂にはいると途端に車が混み出し、途中で車をとめて紅葉を楽しむという余裕はなくなった。取敢えず急いで中禅寺を目指す。拝観料を払って広い境内へ。まずは鐘楼の中へ入る。鐘をつくのを躊躇って出て来てしまった。本堂内は説明つき。その分観音経を唱えるのが何となく照れくさい。何人かの参拝者はいるが、皆そんな素振りがないだけに。立派なご本尊、侍佛を拝し、五大堂へ。説明を聞きながらここでも観音経を唱える。表へでて、ホッとしたのはなぜか。真っ赤なかえで、どうだんが美しかった。
  

   
一寸だけ、50年ぶりに華厳の瀧に寄ってみた。駐車場に入る待ち時間の方が車を停めていた時間より長かった。雨に煙る滝は昔見たことを思い出させなかった。それ程人も多く、風情を楽しむには冷たい雨だった。
最後の訪問は大谷観音。最近は平和観音の方が有名になってしまっているが、丁寧に保存したい観音様だ。ここも拝観料を払って本堂へ。誰もいない。それをいいことに一寸写真を撮らせて頂いた。お詫びの意味をこめて丁寧に観音経を。隣の部屋の菩薩像も中々のもの。しばらく拝顔していた。外にある宝物館には遺跡の発掘の様子や人骨が展示されている。後で平和観音に詣でる。
  

弁天池 平和観音

第9日 11.5
以前から、眼科の治療の帰りに寄ろうと決めていた二つの観音を廻った。
虎の門から地下鉄で終点浅草へ。浅草寺はここ10年ほどの間に3回目の参拝になる。相変わらずの人込み。込み合う仲見世を避けて裏道を行く。いつも通り、仁王様も観音様も健在だが、始めて観音経を唱えた。納経も始めて、若いお嬢さんが書いてくれた。
   
昼食を後回しにして東武電車で春日部経由で豊春へ。12番札所慈恩寺。駅からは2キロほど離れており、テクテク雲が出てうす暗くなった夕方の道を辿った。昔は岩槻藩主の庇護の元で、大きな寺領堂塔を誇っていたそうだが、今は立派な本堂にその面影を残すのみ。名前は付近に字として残っており、この辺一帯が寺領だったのだろうとは想像がつく。参拝者二組。一組は歴史を巡るグループか、16世紀に造られた南部鉄の灯篭を皆で見ていた。もう一組は電車の中で一緒だった夫婦連れ。春日部で私がおそばを食べている間に、一本先の電車で来たようだ。納経所でお茶をご馳走になり、十句観音経のコピーを頂く。感謝。
   

第10日 2004.3.9
目の調子が悪くなったので、千葉の札所をどう周ろうか、考えているうちに年が明けてしまった。暖かくもなり、4月からは四国88箇所巡礼に出ることも決めたので、その前に何とか残りを周りたいと思い、何度も時間表を調べてジパング利用の電車の旅にした。まずは武蔵野線経由で千葉に出て、千葉急行電鉄で千葉寺で下車。こっちの方向と思って歩き出したら、意外と分からず、思わぬ回り道をしてしまった。そのせいで、団体に先を越され、納経に時間がかかっていまい。慌てて、戻りはバスで千葉駅まで。
  
29番千葉寺の仁王門は県道に面して立ち、写真は道の反対側から。広い境内の中央に古いイチョウの木。その奥に本堂がある。
    
千葉からは成田線で滑川へ。国道をたっぷり15分。ぐるっと回り込んで、山門から入る。28番龍正院は田舎にしてはといったら失礼だが、まとまって、きれいなお寺だった。
   
再び、高校生がうるさい電車で銚子まで。せっかくなので、銚子電鉄に乗り、観音下車。27番円福寺である。先に本坊のほうで納経を済ませ、立派な観音堂へ向かう。朱塗りのきれいな仁王門、観音堂と、境内のお店が不釣合いな感じもしたが、まだ建って30年だからこんなものかと、妙に納得する。

第11日目 3.16
最後の4か寺は、どうしても車でないと周れそうもないので、1泊する積りで出発。アクアライン経由で朝早く出たので、思いのほか、時間的には余裕が出来た。30番高蔵寺までは、いつも高滝のゴルフ場へ行く道だった。駐車場から、古い山門が出迎えてくれる。
  
31番笠森観音は下の駐車場から、長い参道を上り、上り詰めると見事な櫓の本堂が迎えてくれる。階段の下でサンダルに履き替えて、階段を上るが、急階段なので後ろにひっくり返りそうで怖い。手すりに掴まりながら上り、上の回廊を一回り。上からの眺めはかくの如し。
  
納経所は下の境内にあると決め付けていたので、下へ降りてから尋ねると、階段の上にあるという。また怖い階段を上下することになった。参道には、芭蕉の句碑が立ち、五月雨に この笠森を さしもぐさ、とあった。
  
千葉県を更に南下、途中でおにぎりの昼食を済ませて、32番清水寺。下の駐車場からは結構登っていて、上の駐車場で止まると、もうすぐ境内だった。仁王門、四柱門と二つの門が重なっていて珍しい。それぞれに番人が見張っているが、仁王様は普通で、四柱門には風神、雷神がいた。
   

   
立派な破風など、見るべきものは多いが、1時の納経開始までは時間があり過ぎて、お願いをしたら、ぶつぶつ言いながら書いてくれた。
   
最後の札所、那古寺までは結構な道のりだった。駐車場から短い坂を上がると、立派な門があり、右手の宝塔も立派だった。しかし、残念ながら本堂は工事中。シートに覆われて、外観の想像も出来ない有様。工事現場の板を上って、真っ暗な中で、読経。どうにもしまらない。フラッシュをたかずに写真を撮ってみたが撮れなかった。納経所では、満願の印を戴いて、年を越した坂東札所巡りを終えた。