もう一つの闘病記 2004年
     (狭心症に挑む)
    再発そして心筋梗塞2012年


2004年に病名のついた4つ目の病気が狭心症。通院先は東京K病院。主治医はA先生。循環器内科部長である。
そもそも、胸痛を感じ出したのは何時ごろだったろうか、まだ現役としてP冷蔵に通っている頃である。.冬の寒い日に、朝6時頃の電車に乗るために駅まで急いでいて、ふと感じたのが最初だったと思う。さして気にも留めなかったのが、60歳を過ぎる頃になって、冬場には時々感じるようになり、いささか苦痛であった。
それが退職後はあまり朝早くの寒い日に外出することがなくなったので、少し忘れかけていたのだが、思い出したのが、ゴルフのプレイの時だった。昼食を済ませ後半のスタートをしようとした時に、眼鏡を掛け換えるのを忘れているのに気がつき、慌てて走った。第2打地点に急いで戻った時、強い胸痛を感じ、ショットが出来なかった。何とか打ったボールはOB。午前中の好スコアを台無しにしてしまった。
2003年の後半からなんとなく体調不良が続き、まずは緑内障が悪化。
3月に受けた人間ドックから、まず気にしていた前立腺肥大の治療を始めた。これは軽症だった。薬物療法で、かなり改善した。
同時進行的に内視鏡検査で分かった直腸癌については、取敢えず手術をしないことにして検査を7月後半から開始した。
これらがほぼ見通しがついた段階で、心臓の検査をすることになったわけだ。病院は、眼科の主治医である杉山純先生の紹介で、癌の治療をお任せしたU先生のいる東京K病院A先生に決まった。

7月8日
初診。安静時心電図、X線、血液検査をする。コレステロール、中性脂肪、LDLの高いことを指摘され、狭心症の疑いがあるということで検査をすることになった。症状を話しておいたので、念のためにニトロ10錠を貰う。帰途、家の前の坂で少し胸痛が出たので、家に着いた時になめてみようと思って、深呼吸をしながら、薬を取り出しているうちに胸痛は治まったしまった。これは、どんなタイミングでなめたらいいのか分からないなと思った。また、まだニトロを使用するほどのことはないのだろうと考えた。

7月9日
トレッドミル負荷心電図をとる。それほど胸痛を感じなかったが、それなりに息が上がっていた。時速4キロの速さでは1、2分だけだったが、かなり早く感じ、脚力の衰えを痛感した。立会いの先生には、この状態だったら、ニトロをなめて好いですよと言われ、聞いてはみたが、やはりタイミングが分からないまま。

7月15日〜20日
熱海で静養。その間、湯河原から歩いて帰る時と、バス停まで暑いさなかに荷物を持って坂道を登った時の二回ほどかなり強い胸痛を感じた。それでも、立ち止まって深呼吸を2、3回すると、殆んど治ってしまうので、結局ニトロをなめる機会がなかった。その他では、入浴時といっても、シャワーを浴びる時に、少し変調を感じることがあり、これは何なのか分からずじまい。

7月27日
24時間心電図装着。病院に行く時に踏み切り近くまで行ってかなりの胸痛を感じニトロをなめてみた。しかし、そこからは平坦な道でもあり、深呼吸をしながら歩いたので、駅につく頃にはニトロはまだとけ切っていなかったが、胸痛は治まっていた。病院からの帰途、家までの坂道もまったく異常なし。少しは胸痛が出て、心電図にもはっきり異常が出たほうがいいのにと思ったものだ。ニトロの効果が持続しているのかなと思ったが、後で薬剤師に確認したら、そんなことはないようだ。機器をぶら下げての就寝は気になって十分睡眠がとれず、寝不足。

7月28日
心電図取り外し。ホッとする。暫く待って、心エコー実施。二人でダブルチェックをしたので、なんか出ましたか、と尋ねたら異常ないですよとの答えが返ってきた。

7月29日
外科の腹部CTスキャン後、X線も撮ると言うので、8日に撮ったばかりだからと言って断る。確認してもらってOKが出た。
2時間半待ちで内科の診察。開口一番、にこやかに、間違いなく狭心症なので、狭くなっている部位を確定するために早急に心カテーテル検査をしましょうと言われた。ニトロをなめるタイミングについては、異状を感じたらすぐなめなさいと言われた。検査については、99%保障するけれど、何が起こるかわからないからと、例によって承諾書を書いておくように渡された。冠動脈のモデルを見せてもらい、狭窄部位は右側から来てる下の方と、左の末端に近い方の可能性が高いと思うとの説明を受けた。その場で入院の日取りを決めた。なんとも素早い。外科の検査のことや、朝早く入院しないでいい様に配慮して頂き、日曜日に入院と決まった。

8月1日
あっという間に入院となる。日曜なので急患受付で受付後、自分で8階へ。ナースステーションでもすっと病室へ案内してくれる。説明も何もないのかなと思っていたら、担当ナースが来て、入院検査として心電図とX線を撮ってきて下さいと言う。ここでまたひと悶着、絶対X線はいやだと主張。これもOKとなる。必要があるならやるが、殆んど決まりだからやるという検査、被爆量を考えると、とても容認できない。戻ってから、聞き取り調査。薬はチェックのため持っていく。この病院では、すぐ返してもらった。病室は4人部屋で廊下側だった。窓際の二人はよくしゃべっていたが、向かいの人は殆んど口をきかないお爺さんで、半眼で見られているとどうも落ち着かないので、カーテンは半分以上閉めて置いた。
午後は殆んど用がなく、抗生剤のアレルギーテストだけ。夕食はかなりの薄味。量、質とも東京医大と比べると落ちる。昼から着けている心電図計の電極を張ったところが痒い。夕食後、剃毛初体験。若いお嬢さんにやられているのに、何も感じないとは情けない。右腕と右鼠けい部周辺。その後、シャワーを浴びる。我ながら、不思議な眺め。なかなか寝つけず、時々テレビをつけてゴルフ中継を見る。

8月2日
6時に起きて洗面。前回の入院ほど、時間がきちんと決まっていない感じ。7時前に血圧測定。安定している。予約時間通り、外科のMRI検査を実施。戻ってから抗生剤の点滴開始。左手に点滴、右手は動脈にカテーテルという現実が少し理解できて、これは大変だと思う。このあたり、寝不足のせいか少し頭痛がする。11時過ぎにA先生が来て、「風邪引いてないですか?1時からやります」とだけ。少しウトウトした。朝も昼も食事抜きで、いささか空腹を感じる。MRIの時に飲んだ液体がおいしかったと思い出す。12時過ぎにナースが来て生食の点滴と剃毛後の様子を確認した。50分に精神安定剤を飲む。ストレッチャーに乗って検査室へ。重病人のようで気恥ずかしい。
イソジンを広範囲につけて消毒。電極もつけて、右手は固定。局所麻酔。痛い。すぐに針を通しているようだった。続いて、鼠けい部。こちらはあまり痛くない。そのうちにいろいろと薬を指示しているのが聞こえたが、やがて、上の磁気発生装置が降りて来て心臓付近でいろいろな方向を取る。最後は心臓の動きを見るということで、息を止めたりする。終了後にイソジンをアルコールで拭き取り、針を刺したところを緊縛する。右手の固定は痛いくらい。再びストレッチャーに乗せられ病室へ。14時40分頃だった。安静にしているようにと言われ、思いの外、身体が動かない。退屈なので、テレビをつけたいが、ベッドの上に置いておいたのに、クッションを入れてくれたので、移動してあった。まったく手が届かず諦めていたところへ妻が来た。右手、右足を動かせず、左手には点滴ホースがついていて身動きできない状態が2時間ほどして、腰が痛くなってきた。4時過ぎに、小便をしてみる気になり、尿瓶を取った。結構大量。5時半頃に右手の痺れが強いので、添え木を取ってもらう。少し楽。この後で、腰痛が厳しくなり、左足をそっと持ち上げては腰を少しだけ浮かせるようにしてみる。3回ほどやっているうちに、これでも効かなくなって限界だと訴えた。横を向いてもいいとの許可が出たので、枕をかって貰って半身横を向く。18時半頃、やっと先生が来て、足の方も取って貰う。起き上がって下さいと言われ、悲鳴を上げながら起き上がる。本番の手術だったら、大変ですよ、と言われたが、なんともならぬ。
着替えてから1日ぶりの食事。暫時後、先生から状況説明を受ける。パソコン画面に映し出される冠動脈。見るからに細くなっているところが多い。かなり太い部分までが細くなっている。全体にも細くなっているのだそうだ。左側の二股に分かれているところにくびれ、その下の方にも狭窄部分はある。右側には、詰まってしまっている所があり、それは迂回路が形成されていた。特に目に付いたのは2、3箇所か。治療方法の説明に移ったが、内科的にはバルーンかステントかを挿入して狭窄部を拡げるという方法が一つ。もう一つは外科的にバイパスを作るというもの。胸の両サイドにある動脈と胃の動脈を使ってつなぎ込むようだ。この病院には心臓外科がないので、別の病院を紹介すると言われた。どちらを選択すべきかは、次回の循環器内科の先生方のミーティングで検討してみるとのこと。結果は次回の外来でということになった。ステントも新しいものが出てきたが、再狭窄の危険性はある。部分的にはバイパスにした方が明らかに好い所がある。先生にとっても、微妙な判断になるとのことだ。進藤君の話をして、参考意見を聞いてみたいと言った。
次回の結果により、スケジュールも決まってくるということになったが、何れにせよ、11月の巡礼はまたも微妙なことになった。説明は20時に終了。

8月3日
寝つきは悪かったものの、さすがに疲れていて、短時間だがよく寝た。空腹で朝食が待ち遠しかったが、待っていた割には簡単な食事でがっかり。食パン1枚半、サラダ、牛乳、バナナ半分。9時過ぎから抗生剤点滴。やっている間に先生回診。針跡のカバーを取り除いて確認。きれいになっていた。絆創膏になった。突然の院長回診。どうですかと問われ、結果あまりよくないようですと答えた。これからの養生ですねと言われる。新しい薬も増え、薬剤師の説明を受けた。昼食もそこそこに1時過ぎに退院。次回外来は2W後ということになった。歩く距離を減らして、異状なく帰宅。

8月16日
13日にK病院へ行き、外科の診断を受けた。U先生から、所見上問題ありません。次回は半年後で好いですと言われ、心臓の方は気をつけて下さいと念を押された。朝、駅への途中で発作があり、ニトロ舌下に入れた。そんなこともあり、いつ何時どうなるか分からないし、時間がなくなることも想定されるので、FDに簡単に遺言と言うほど大げさではないが、息子宛の書置きを作った。
駒場の同級生で、心臓が専門の進藤とやっと連絡が付いたので、電話をした。簡単に話をしただけだが、必要とあれば、虎ノ門病院を紹介してやると言われた。明日の判定結果では、資料を持って相談に行くこともあるがどうかと尋ね、了解を貰った。
いつもの相談相手、津久井女史にもメールを入れて、虎ノ門病院はどうか相談した。
すべては、明日。

8月17日
少し肩透かし。もう一度、病状の説明があり、判断のしにくさに言及した後で、もう一つ検査をやりましょうということになった。心筋シンチという検査で、K病院ではやれないということだった。先日、手術をするなら紹介をすると言われた病院。そこで実施することになった。話の内容からすると、心カテーテルをやった後で実施するというよりも、その見極めのために先にやる検査のような気もするが、それだけ、微妙な状況だという風に理解した。
津久井女史からメールの返事あり。以前なら、一番にその病院、心臓血管研究所を紹介するところだったとか。その筋では、それなりの病院のようだ。進藤や北村に相談するのもいいでしょう、と書かれていた。
気持ち的には、どうでも早く決めてやってくれという気ではいるが、いろいろ判断が迷うということは、後々悪いことが起こりそうで、一気に決めてしまうわけにもいかない。まずはA先生の判断に従うことにした。すぐに先生が電話をしてくれて、今週中に心臓血管研究所には初診外来として行くことになったが、次回の診察は9月下旬。少し心配でもある。

8月20日
赤坂の心研へ。K先生。心電図をとって、大した診察もせずに心筋シンチの予約を入れた。

8月27日
熱海から沼津まで車を走らせた。途中それほど混んでいなかったので、昼食をとってから行ったが、まだ昼からの診察が始まっていない時に病院に到着したので、進藤君にはすぐ会えた。このクリニックの院長ということだった。今年の初めからの病気をすべて話して、どうしたものだろうと言うと、やはり、左側冠状動脈の根幹部に狭窄があるとすると、ステントを入れた時に問題が起こる可能性があるとのこと。一応、虎ノ門病院の心臓血管外科部長N先生を紹介すると言って、電話をしてくれた。その場で予約が取れなかったが、翌日電話で、取れたから行くように連絡があった。これで、また一つ病院が増えた。

8月31日
心研10時着。10時半から検査開始。担当医師がいきなり静脈に針を刺し、血が噴出す。びっくりして、あきれた。そこに3種類の注射針を挿したが、チューブの止め方もいい加減。そのまま、引っかかって痛みはあったが、すぐにトレッドミルの装置のところへ連れて行かれた。胸になにやら重たい装置をつけるので、そんなもの着けるんですかと尋ねると、これが心電図に送る装置だからとの返事、先日トレッドミルやった時は着けなかったなぁと言うと、古い機械だからとのことだった。先ほどの先生がまた現れて、おもむろに手で血圧を測りだした。アア、これも直接機械に送れないんだなと、古いことを再認識した。動き出したのはいいが、いきなりスピードが速いぞと思っていたら、4キロから5.5キロくらいにアップ、急いで歩くが、最近こんな速さでは歩いていないので、アップアップ。おまけにいろいろ質問してくるので、息も上がって、やがてこのままだとどこまでやるか分からないという恐怖が襲ってきた。胸もそこそこ痛くなってきたので、一寸きついです、と言うと、すぐに機械を止めてくれた。血圧は最初100一寸から最後は130から140くらいになっていた。心臓の造影はすぐに始まり、10分ほどで終了。午前の部で非常に印象悪くした。精算も先に済ませて、表に食事に出る。時間はたっぷりあるので、乃木神社周辺で時間をつぶす。
午後は約束の14時少し前に4FのRI室へ行く。今度はTシャツのままで診察台に上がり、15分くらい。少し眠ったかも。これで終了。やはり、ここでは手術したくないな、という気分で帰ってきた。

9月7日
心研にて、K先生から検査結果を聞く。最初の言葉が、やはり、正常とは言い難いですね。それから、写真を二枚見せてくれて、これが、4時間後のほぼ正常な心臓。そして、これが、負荷をかけたときの心臓。成るほど、血液が行き着かない部分があり、赤いところが円形を成さない。その場所は、左前方と、右側のようだ。一寸、判断しかねるので、このまま、A先生に送りますからね、と言われた。左側の根幹部に狭窄がある場合は、バイパス手術をすることになると聞いたのですが、と話を向けたが、あいまいな返事しかくれなかった。
A先生の次回の診察予定は21日なのですが、少し早目に一度行きたいので、と言ったら、すぐに報告書を作ってくれた。

9月9日
予約なしの外来で、K病院へ行く。あまり待たずに診察になった。報告書を渡し、判断を待つ。やはり、左下方枝の狭窄部が問題のようだ。そこで、先日進藤君に会って、アドバイスを求めたこと。その結果、虎ノ門病院のN先生を紹介してくれたこと。根幹部に狭窄があれば、バイパス手術をすることになるだろうと言われたことなど話した。
すると、A先生は、根幹部ではなく、その下だから、ステントも出来ないことはないんだと言われた。エッ!びっくり。三又の所だから、ステントを入れると後方へ行く枝をふさいでしまうから出来ないように聞いていたのに。いや、そうではなく、新しい、免疫性のあるステントは使用する時に長さを長く使うので、そういうことが起こる危険性があるということなんだと、改めて説明された。どうせなら、新しいステントを使ったほうが、再狭窄の可能性が低くなるから。今までのステントだと、10から20%の再狭窄の可能性がある。だから、スケジュール的には、3ヶ月経って確認して、体質的にそういう可能性が低ければ、次のステントをするということになるらしい。しかし、それだけの率で再狭窄が起こるとすると、5個やれば、どれか、必ず詰まってくるということですね、と尋ねると、そういうことになるという返事だった。
取敢えずのことは、先生が俺に任せておけとおっしゃれば、外科の先生なんかの意見は聞かなかったのにと、ぼやいた。外科に行けば、手術しようというでしょうね、と尋ねたら、まあそういうことでしょう、とのこと。後刻、眼科の杉山先生にその話しをしたら、手術ということはあまり考えないで好いのではないかと言われた。だが、俺に任せろ、とは言わないよとも。
約束なので、虎ノ門病院に持っていく資料を作ってもらうことにした。セカンドオピニオンとしてと書いておくそうだ。

9月16日
まずは、A先生の紹介状を取りにK病院へ。受け取るところまでは非常にスムーズ。ここからがいけなかった。待てど暮らせど、精算が出来ない。1時間を過ぎたところで、ついに堪忍袋の緒が切れた。聞きに行くと、いろいろ調べ始めた、つまりは通っていなかった。取敢えず、支払いはせずに病院を後に。虎ノ門病院に着いたのは、1時半頃になっていた。院内も、中待合室も混んでいた。しかし、受付はスムーズで、すんなりと診察室の前に座ることが出来た。それから約1時間半。居眠りもしながら、じっと耐える。
それでも、思ったより早く呼んでくれた。N先生から、進藤先生からはバイパス手術かステントをすることになるだろうが、よろしくとのことでしたが、と言われたので、まずは、少し誤解があって、左主幹部に狭窄があるのなら、バイパス手術しかないのではないかと思っていたこと。そうではなくて、ステントで処置が可能であれば、やはり侵襲性の低い方を選択したい。その辺の行き違いもあり、先日A先生と話した時には、新しいステントを使わないのであれば、それは出来るんだという話も改めて聞いたこと。現在は、そうしたいという方向で考えているのだがと正直に話した。
一寸、はぐらかされたような顔をしていたが、どちらを選ぶかということは、患者が決めることなのでと言うので、これまでは何でも自分で決めてやってきたのに、病気に関しては、自分で判断するだけの情報がない。先生がこうしましょうと言ってくれた方がいいと思うのだが、そうは言ってくれないので、疑心暗鬼になっていろいろ尋ねてまわる事になるんですと言った。
基本的な話が済んでから、情報として、バイパス手術のことについて聞いてみた。
血管は左右の内胸動脈と胃の動脈。手術には自分の血液を400から800ML預血しておいて、心臓を動かしたまま行う。入院は、クリントンのように4、5日で退院とはいかない。日本では、普通2週間程度。それは保険があるからだとか。繋ぐ時に血管の状態が悪くて繋げないということもあるんですかとか。死亡率は1%くらいとか。
ステントについては、最近は成績が良くなって、再狭窄は出るが、処置の失敗による緊急手術なども殆んどない。新しいステントは好いと聞いているとか。
最後は、良くA先生と話をして決めなさいということで、またよろしくとお礼を言って帰った。
話をし、聞くことによって決心がついたので、次回の診察の時にA先生にはお願いをしようと思う。

9月21日
K病院にて。「どうでしたか」と尋ねられたので、最初に、「A先生を信頼しているので」と言ったから、診察はなしで、話だけしてきましたと言ったら、笑っていた。それじゃあ、取敢えず、右冠動脈からやりましょうか、と言うことになった。左ではなくて、右ですか、と問う。心シンセでも、はっきりしないので、面倒な左はやめて、右からやってみようということのようだ。新しいステントも使えるらしい。同時に2本までしか使えないので、そうするとのこと。それで暫く様子を見た上で、左には適応しないということだったら、左はバイパス手術をすることも視野に入れてのことだ。そうすれば、動脈も2本で足りるからと言っていた。
新しいステントについては、注意事項がいろいろあって、説明もしなければいけないといって、利益、不利益について説明された。ただ、副作用があるという薬(パナルジン)については、既に使用しており、副作用も出ていないので、安心だ。再狭窄については如何ともし難い。
早めにと言うのは、こちらもそうできればと思っていたので、異存はなく、10月の月曜施術となった。4日はゴルフがあるんですがと言うと、18日にしましょうということで簡単に決まった。入院は4日間。その後は、激しい運動でなければ、大丈夫。ゴルフもいいですよ、とのことなので、11月に四国巡礼の旅に行きたいと言ったら、大丈夫とのこと。これで、安心して今後のスケジュールを消化できそうだ。

    K病院8Fから

10月17日
いよいよ、ステント治療のための入院だ。息子の運転で車で向かう。首都高も空いていて、順調に1時間で到着。病室に案内された。異様なにおいに辟易。午前中にX線と採血。11時過ぎにA先生が来るが、家族が帰ったのならと説明は後回しになる。午後に心電図、看護婦からの診療計画の説明。3時頃から、剃毛。5時前に先生から説明があった。右の先の方に薬剤を塗った新しいステント(25mm)、上の部分でつながっている病変部には長さが足りないので、古いステント(35mm)を入れることにする。ステントは病変部ぎりぎりだと再狭窄が起こりやすいこと、上の部位には新ステントだと2本必要だが、一度に2本までしか使えないので、古いタイプにすること。上の方は十分な太さがあるので、再狭窄が起こっても、余裕があるとのことだ。これで様子を見て、次回一月くらい経ってから、左回旋枝の閉塞部とその上部を行いたい。閉じたところを開通させられる確立は70%くらい。曲がっているので難しい。最後に左下降枝の上部を処置する。やらないで済めば、やらない。明日は1時ごろスタート、4時間ほど針をつけたままとする。ヘパリンの効果がなくなった頃に針を抜いて止血。翌朝まで安静に。とのことだった。5時ごろシャワーを浴びる。6時夕食。血圧も正常。10時ごろ就寝、眠り浅いが少し眠れた。

10月18日
6時起床。病室には入らない朝日が街並みを照らしている。6時半に血圧、132、90。36.2度。大便少量出る。少し安心。11時過ぎ、手術着に着替え、昼食後12時半に採尿ホース通す。初体験、痛いというより違和感激しい。抗生剤の点滴開始してすぐに台車で運ばれる。測定機器の取り付けや消毒などは前回と同じ。やがて、A先生が現れ「始めますか」の声。すぐに開始した。今回は動脈も静脈も鼠徑部からだ。痛い麻酔注射の後、すぐにカテーテル開始。やがて胸が苦しくなり上部から下部へと圧迫感が広がる。一度はわずかにうめくが・・・3回目ほどで、過去何度か就寝中にあった症状が出た。首の後ろからジワッと広がってきて、下顎から歯へと痛みが広がる。更に、胸が締め付けられるような痛さや薬を投入するときのいろいろな感覚が続き、どうやら処置は終了。開始前に、機械を冷やすので、少し涼しいとは言われていたので我慢していたのだが、上半身ずっと寒くて、時々寒気がした。二回目とあって余裕があり、顔を合わせたスタッフの人たちに礼を言う。1時開始で戻ったのが3時頃。病室は元のところへは戻らず、ナースステーションの前の823へ移動。検査機器や点滴でまわりじゅう囲まれた。全身身動きもならず、気を紛らわすテレビもない。わずかにCDプレーヤーでJAZZを聴くだけだ。暫くして、熱が出たようだ。一時、37度2分。私としては高熱だ。だるい。暫く眠った。喉がからからになり、お茶を所望。夕食は完全な介護で食べた。昼抜きの割には食欲はないのだが、それでも完食。7時半過ぎに7時予定の血液採取をやっとしてくれて、凝固性のテスト。8時前に先生が来て、針を抜いて止血となった。15分か20分か、先生が立ったまま止血。いろいろおしゃべりをする。保険のこと、処置の専門家でない連中が審議して決めていること、前日に見た前立腺手術の失敗のテレビのこと、止血方法のことなど。先生が帰り、更に2時間は絶対安静。その後は、少し左足を動かして腰痛対策をしても好いと言われた。10時半頃、左側に枕を入れてもらったが、まったく痛みが消えない。坐薬を入れてもらったが効かず。あれこれ自分で変えてみたがどうにもならず苦悶。うとっとしてはすぐ目覚める。何時ごろか、ナースが来て睡眠剤投与と足の固定をしてくれた。更に3、40分痛みに耐えていたが、いつしか眠る。

10月19日
少し明るくなっているのに気づく。この状態から脱出できる時間までもう少しという思いが痛みを耐えさせる。しかし、ここからが長かった。今日は外来の日だから、8時半ごろには先生が来るだろうという期待も空しく、一向に現れず、9時近くなって、代わりの先生が来て、さっさと固定テープを剥がして終わり。血圧計などを外してもらい、遅い朝食を食べる。心電図なども外されたが、暫く待っているように言ったナースがちっとも来ない。仕方ないので、一人で少しずつ荷物をまとめ、立ち上がるとふらふらするが、そうっとゆっくりと歩いて自分のベッドへ戻る。途中でナースに見つかり自分で勝手に動いたらいけませんと、強い口調で叱られた。午前中は熱っぽく、だるい。そう訴えても、全然処置してくれなかった。疲れ切って眠る。やっとメールも出来た。午後もとろとろと読書。5時頃先生が来て、治療結果を聞く。確かに太くなっているように見える。処置の途中で感じた痛みが解決しただろうから、これでかなり良くなっているといいが、万一まだ残っていれば、12月か1月頃に再度ステント挿入術を行うことになるだろう。それまでの間、運動に歩いて、発作が出るかどうか確認する必要がある。ゴルフは練習はいいが、コースは止めておきなさいと言われた。夜、最後の抗生剤点滴。歯が抜けたが出血はまったく少量。

10月20日
午前中に、ナースと病状について話をする。昼前に薬剤師が来て薬、パナルジンのこと、特に前立腺の薬のことについても説明を受けた。最終チェック、血圧ほか異常なし。ただ、体温6度5分あり、だるい。先生来て確認するかと思ったが、まったく来ず、次回の診察日も四国行く日と重なっていたため変更を頼む。支払額は予想を上回った。息子と、貧乏人はどうするのかという話をした。

11月9日
退院後もなんとなく熱があるような感じが続き、実際には6度台で推移していたのだが、この体温は私としては少し微熱と言えるので、当然のことながら体調はあまり芳しくなく、ステントを挿入したことによるのだろうと思っていた。ようやく少しだけ収まってきたので、26日から熱海に行って静養した。5日間のんびりしたお陰で、大分体調は回復したように思えた。ゴルフ仲間のTさんからの電話で、同病相哀れむですねーという話をして、9日から四国の遍路に行くという話をしたら、あきれていた。
11月に入って、ウォーキングを再開。時として少し胸に来る。ゴルフの練習にも行ってみたが、こちらはまったく異常なし。そして、9日の診察を受けて、特には問題ないようだとのことで、その足で、羽田から松山に飛んだ。

12月7日
四国巡礼の初日は歩き遍路。駅を降りて歩き出す頃に変調を感じる。緊張しているのが分かるが収めようとしても収まらず、ついに最初のニトロ服用となった。この調子では、四国にいる間にどうなることかと思ったら、翌日、山のお寺の石段を300段ほど登ったところで、またも激しい胸痛が出て、ニトロのお世話に。しかしこれ以降は、階段があっても、さして発作は起きず、何とか無事?に戻ってきた。しかし、途中から足がポンポンにむくんだ様な状態になって、心臓の機能が低下していて血液の流れが悪いのではないかと感じさせた。二日後にはゴルフの練習に行ってみたりして、何とか体調を普通にしたいと思っていたが、4日目の早朝、高熱が出た。暫く収まってから測ってみたら、8度1分あった。二日間寝ていたが、二日目には会合のため外出。不調のまま、スケジュールをこなしていた。発熱から1週間後に再び熱海へ。5日間の静養で、大分楽になった。足の腫れも引いた。
12月に入ってから、今月は少し活動的にやるぞ、と宣言してスタート。ウォーキングではかなり速度が上がってきているのを実感したが、その分発作も出て、一度ニトロ使用。この日の診察では、安静時心電図はまったく問題なし。血圧も正常。血液検査も正常。ただし、問診で、ここのところの状態を話して、結局はやるだけやらないとということになった。年内にもう一度診察を受けて、来年早々、16日入院、17日施術ということにした。緊張すると発作のような現象が出るということについては、はっきりした説明がなかった。ニトロの追加と風邪薬を出してもらった。

12月28日
寒くなってから、散歩に出ても軽い発作が出るようになっていて、心機能が落ちているのかなと心配している。今朝も、出かけるために着替えている間に変調が始まり、舌下錠をなめてから家を出た。次は眼科の診察を終えて、地下鉄まで急いでいるときにも軽い発作。この時はすぐに地下鉄に乗れて座ったので収まった。
こんな状態であるということをまず先生に報告する。症状を言うと、典型的な発作ですね、今度やることにして良かったね、と言われた。発作が起きた時には、出来るだけ軽く済ませてやるようにニトロをなめなさいということだった。血液が行かなくなると、心筋梗塞の場合とは違って、組織が冬眠状態に入り、血液が流れてくると、再び活動を始めるのだそうだ。1月17日には、やはり100%の所の穴を開けるので、今回は、危険因子として穿孔が入った。血圧は130、80と安定しているし、コレステロールも100以下だから、風邪を引かないように気をつけなさいとの注意だけ。無理して運動をすることはないから、次回の施術を待ってからにしなさいとのことだった。

2005年1月1日
2005年の年明けに際して、昨年同様、家族揃って伊豆山神社に参拝することになり、歩いて出かける。坂を上り始めてすぐに苦しくなりニトロのなめ初め。その後の登りは何とかクリアした。

1月15日
入院前夜。
前回の時に感じなかった不安がある。
先日は、それを考えていて、夜寝付けなかった。
何故か?
この病気に罹ってから、常に死とも向き合ってきた積りだ。
従って、そこから来るものでもない。
二度目だから、施術そのものから来るものでもない。
終わってしまえば、何心配していたのかと言うことで、笑って済ませることかも知れない。
なのに、何故か、何度も来る不安感。
息子には、遺言の積りで書いたFDの場所を教えておこうかとも思う。
連絡したい、会いたいと思う人のことがしきりと思い出される。
だから、夢にも、昔馴染みが大勢登場する。
変だねーー
きっと、17日が、いろいろな日だからかも知れない。

1月16日
元日以降も寒い日に散歩に出ると発作があり、やはり早いところやってもらうことにしておいて良かったという念を強くしていた。
今回も息子の送ってもらい、10時過ぎに入院。ナースステーション前の、前回施術後に入った部屋に最初から入れられた。午前中はまったく音沙汰なし。昼になっても、食事もなかなか来ない。暫くしてやっと持ってきてくれたので、「ようやく認知してくれたね」と言って笑う。その後も、連絡がなく、2時近くなってテレビを借りに行って、やっと動き出してくれた。採血、検温、血圧、計測の後でX線と心電図。こちらはすんなり行った。型通り、明日の施術の説明と抗生剤のテスト。4時過ぎに黙ってかみそりを置いていったので、シャワーがてら、自分で剃毛。その後の確認無し。薬を取りに来るのも遅かったし、インフリーについても、今回は使わない方が良いようなことを言ってきた。どうも、雰囲気悪い。夜になり、同室の老人が大声でうなる。どうも歌を歌っているらしい。前回顔見知りのナースに代わっていて、別の部屋に移ってもいいですよと言われた。言い方も親しみがあって、ホッとする。10時に就寝したが、1時間半ほどで目覚め、後は輾転反側、腰痛もあり、寝不足状態で朝を迎えた。

1月17日
隣のベッドにナースが来たところで目覚める。眠い。仕方ないので起きて待っていたが、こちらには寄らず、空振り、残念。午前から、前回担当のナースと交代。11時、血圧など測定後、「エー自分で剃ったの」と言われながら、少し手直しをしてもらう。12時から生食と抗生剤の点滴、ついでに少し早いがおしっこホースをつないでもらう。点滴の針1回失敗、前より血管が細くやわくなったみたいと言いながら2度目。ホースも入れるときの抵抗が大きく感じた。1時に女房来るが、隣の人がまだ手術室から戻らず、こちらも大幅遅れ。2時、手術室へ。前回、寒かったと言ったので、少し上に掛けてくれた。真ん中もカバーしたと言って、わざわざ手を持って行って確認させてくれた。麻酔も前より痛く感じたし、カテーテルの針を入れるのも痛かった。目をつぶって落ち着こうとしていたら、少しフーとなっていたが、胸苦しさを感じて気づく。右の状況を確認した後で、左へ移ったらしい。それから、苦しいのが連続。圧力と計時のカウントが気になる。その都度、かなり痛みがあることもあった。次第に、痛みの残ったまま、次の処置に移行するようなことになり、後頭部も痛い。やがて、左手から痺れと冷感が走るようになり、肩を伝って右手に。ゾクゾクとして、震える。やがて終了。両手が震えるほど寒い、と訴えると、補助のナース達が手で暖めてくれた。「本当に冷たい」と言いながら。礼を言いながら退室。4時半だった。
先生から、肝心な所はやったけど、100%の所は血管がつぶれて出来なかったと言われた。時間的にも長く、苦しかったので、何ヶ所もやったんだという認識をした。6時に夕食がきて、介助されながらほぼ完食。これがいけなかったのか、後で酷い目にあった。じっと我慢で針を抜いてもらう時を待つ。7時頃、やっと隣の人がやってもらった。そろそろ腰にき始めた消灯前、A先生が急患なので、別の先生に抜いてもらいます、とのこと。テープを取ったりしている内にA先生も戻ってきたようだったが、そのまま続行。抜いた管を見せてくれた。かなり長い、5から7CMほどもある管だった。圧迫止血を始めてすぐ、変な感覚が来た。一瞬戸惑ったが、早く言った方がいいと判断して、脳貧血が起こったと訴える。すぐ、A先生も駆けつけ、ナース二人と4人で処置してくれた。生食の点滴を全開にして、頭がバーーっと熱くなる。すとんと下がった血圧が次第に回復してきて、気分も次第に収まってきた。止血をすると、副交感神経の作用で血液が体中に分散し、頭への血流が少なくなるそうだ。(Bloodyと呼んでいた)それと、便秘かガス膨漫による腹部の異常も原因だったかも。前回はこんなことなかったよね、と言われたが、タイミング、間が悪いと言うことか。20分の止血後、安静に。もう、既に腰痛は始まっていたので、坐薬と睡眠剤を頼む。ついでに両足を固定してもらった。しかし、薬はまったく効かず、腰痛に延々と悩むことに。11時ごろ、少し左側に枕をかってもらうが、その頃から腹の調子がグルグルとなり出し、次第に、げっぷかおくびが頻繁に出るようになって気分悪い。ナースを呼んだら、どうですかと聞かれている内に、大量に嘔吐。始末をしてもらって、やっと気分も収まる。それからは、腰痛と、おじいさんの歌と、点滴のアラームの音で全然眠れない夜が過ぎていった。

1月18日
曇っているのか、夜は少しも明けてくれない。朝食は来たが、自由にもさせてもらえず、食べるわけにもいかない。9時過ぎ、やっと先生が来て圧迫帯を外してくれた。きれいになっているとのこと。朝食は冷めておいしくないし、食欲もない。牛乳とグレープフルーツをふた切れ。やっと食べる。血圧は正常だが、体温は7度3分。氷枕を貰う。抗生剤の点滴が終わってから部屋の移動。検査入院の時の部屋だ。着いた途端に院長回診。病状話す。その後、薬剤師が来るが、特に問題もないので雑談。昼食。まだ食欲なし。きのこと白菜のソテー、味噌汁、トマト一切れを食す。その後、ガスが出て腹の調子が少しずつ回復。少し眠る。3時ごろ、ココア飲む。4時から、A先生の説明。
まず、先回の右の結果。3の新ステントの部分は太くしっかりして、太さも十分保たれている。2の長いステントの所は新組織が付着して、少し細めになっているが、太さは十分確保しているとのこと。大体、半年のうちに再狭窄が起こると言われていて、半年大丈夫ならOKとのことなので、現状ではまず大丈夫。コレステロールの付着はない。次いで、今回の処置について。左回旋部の下の12の部分は、コレステロールはなく単に血管が細かったので、バルーンで太く出来た。上の部分は35mmのステント挿入。問題の100%閉塞部は、針金を入れて、後1mm位のところまでは行ったのだが、そこでつかえた。結局、最初の方で、血管内をきちんと通っていなかったのだと思う。こちらは、これ以上やると、ほかの部位への影響が出る恐れがあるので、中止した。これで、大分カバーしたが残る左下方枝の狭窄については、様子を見て行う。断続した部分を全部カバーするのは大変だし、分岐部を含めてやる必要がある。どうするか、今回の結果を見て考える。何しろ、食事と運動が大切。TC120以下、LDL80以下を目標にする。食事に気をつけていても、250前後になってしまう人は、ヘテロと呼ばれ、コレステロールをコントロールする遺伝子を一つしか持っていないらしい。私もそういうことらしい。新しいステントについて。保存期間が短く、値段も高いので使いにくい。加えて、製造会社の一つが不良品を出して、いっそう品薄になっているようだ。磁気についての注意。MRIのみ要注意、他は大丈夫。納豆が心臓に悪いというのは、ワーファリンを使用している場合に限定、納豆やきのこのV.Kが作用するらしい。
夕食、完食。少し心配だったが、ガスも良く出るようになったので、楽になった。体温5度9分になる。食後の抗生剤の点滴で治療は終了。
9時就寝。

1月19日
朝、血圧130、88。体温36.3℃。鼠径部問題なし。10時薬剤師最終確認。12時A先生確認。1時退院。

1月21日
昨日今日と、数回軽い発作あり。少しも治っていないことに失望感激しい。部分的に太くすることによって、細いままの方への血流が悪くなっているのではないかと疑う。

1月29日
久しぶりに外科の診察。心臓の方はどうですかと尋ねられる。2回目のステントが終わったが、未だ少し症状が出るという話をする。A先生からは、CTはいいがMRIはまだ駄目と言われていることを話すと、MRIの代わりにCTだけやってカバーしようと言われた。また、ブスコバンという薬を使うので、内視鏡検査は暫くやらないと言われた。心筋梗塞を起こす恐れがあるらしい。それほど転移の危険性がないのに、冒険する必要はないということらしい。それを聞いてホッとしたが、念のため、PETの有効性についても聞いてみたが、何十万も掛けてやる意味がないと一蹴された。

2月3日
13時前に着いて、すぐにCT室へ。これは簡単に済んで、次に心電図。先生と「CTも簡単になった」など話しているうちに終了。採血。針を刺す時、痛さで一瞬ピクッとなった。感覚が鋭敏になっているのかも。診察室の前は大勢座っていて、まだ10人以上待たねばならないので、昼食。それからが長かった。最後の患者だったらしく、3時を廻った。どうですかと聞かれたので、ひどくはないが、やはり症状が出ることを話し、杉山先生に、飴玉じゃないんだから、ニトロなめればいいってもんじゃないよと言われた話をする。しかし、A先生は、少しきつかったら、ニトロをなめたり、休憩して負荷を少し掛けていると、新しい血管が出来てくるから、少しきついくらいがいいという話だ。実際、一日10錠もニトロをなめながら、手術をせずに頑張って長生きした人の話も聞いた。内視鏡検査に関しては、もう少しやらない方がいいでしょう、とのことだった。きついくらいでも、運動した方がいいという話を聞いたことで、自分でも余裕が出てきたような気分になった。

3月3日
女房が家でインフルエンザにかかり、そんなところへ戻れないので、静養先の熱海から病院へ直行することになった。診察時間が遅くてよかったと思いつつ、予約券も健康保険証もないのを気にしていた。そんな心配は杞憂で、採血も前回痛かったという話をしながらだったが、全然痛くない。採尿には参った。前回必要なしとのことだったので、直前にトイレに行ってしまったのだ。心電図を取ってから再度挑戦。なんとか40ML。それから例によって、おにぎりの昼食。最後に近く、診察。大分良さそうですねと言われたので、立ちくらみの話をする。そろそろパナルジンをやめましょうということになった。次回は2ヶ月先でいいかなと言うので、もう少し間を詰めたほうがと答えたら、心配性なんだからと言って笑われた。そりゃあ、全然症状が出ないのなら、私も笑って済ませるが、まだ、何かと言うと、重くなる心臓を気にするのは当然。
その後も、我慢できる程度の症状は出る。坂を登るとき、駅から歩く時、寒さを感じる時。

4月14日
2ヵ月後、と言うのを少し早くしてもらっての診察。他の用事があったので、早目に家を出たら、調子よく着いて、12時半には採血や心電図も終わってしまった。止むを得ず、隣の公園を覗きに行った。中にある建物は、子供達が生物の研究をするのに役に立つようにと建てられたもののようで、図鑑などが揃っていた。花の図鑑もあったので、暫く見させて貰った。園内には、ポピーやキク科の花などが植えられていて、散歩には良かったが、風が強くなってきて、早々に病院に戻ってしまった。
診察は、やはり、3時過ぎになった。冒頭、ゴルフに行った時の話をした。予感として、背中から肩にかけて重くなり、その後で胸が痛くなる。疲れるとなるのでしょうか、と聞いたが、そんなことはないという返事。最初のから半年、前回から3ヶ月ほど経つので、検査をしようということになって、悪かったら、ついでに拡げるようにしようかとも言われた。検査だけで、又あれはきつい、ということを言うと、検査だけなら、手首だけで済むから、ということなのでホッとする。心電図もきれいなんだけどなあ、とのこと。そうだとすると、何なのか。気持ちの問題かもしれない。先生にもう一度、ゴルフに行って確認してくると言ったら、笑ってOKが出た。ところが、パソコンがサーバーの故障でダウン。血液検査の結果も薬の処方箋も次回の予約も出てこない。暫く待ったが、復旧しないので、手書きの処方箋を貰って、次回の日にちだけ決めて終わった。

5月12日
まず最初に「どうだった?」と尋ねられた。「それが、全然良かったんです」「5月の連休も、毎日のように1時間くらい坂道を登ったり、降りたりしたけど、絶好調でした」と答えると、笑っていた。血圧も正常。「伊豆山の温泉は血圧を下げる効果があるんです」聴診器による触診もOK。血液検査の結果も、LDLが60台と非常にいい結果だった。この調子なら、きっといいよ、と言われた。
症状が出ていないから、7月頃に検査をしようかということになって、早速入院の手続きまで。先生も、前回のことがあり、今度来たらすぐ入院かなと思っていたと言って笑った。今度は、検査だけということで、3日間。月曜に入院して、火曜に検査。火曜は診察日なので、3時頃からの検査になるそうだ。

6月12日
そうは問屋が卸さなかった。5月23日にゴルフに行った後で熱発。治ったかに見えたが、非常に疲れやすく、すぐ熱っぽくなる。先週の理事長杯の予選を通り、今日は決勝ラウンド。体調は悪いが、ゴルフは比較的好調を持続していた。1回戦は、少し危ないところもあったが、2&1で快勝。所が、2回戦では、もう身体が言うことを聞いてくれなかった。グロスでいけば、50以上のペースで、ひどい内容だった。胸痛は、午後のスタートの頃。それよりも、倒れるかと思った。

7月4日
二日前に、前の会社の大学同窓の先輩後輩集まって、私のコースでコンペ。この日もきつかった。予め、キャディーには事情を話しておいたから、カートでの移動ばかり。それでも、時々、ミスをして乗れないときには苦しかった。
検査入院初日。
一日が何事もなく過ぎた。雨中を電車で病院へ。午後に入って、いつも通りの検査は安定していた。夕方、先生が来たので、最近の事情を話す。検査でよく見てみようということに。

7月5日
なんとなく寝不足。もう少しと思ったら、6時半だった。朝の回診の時の体温は少し高め。朝食は、例によって半食。一寸物足りないし、喉が渇く。10時過ぎから、点滴の用意。担当が2回失敗して、ベテランを呼びに行く。ベテランも2回失敗して、5回目でやっと裏側に刺せた。約1時間かかった。12時過ぎから生食の点滴、検査着に着替えと進み、準備は3時頃から始まり検査室へ。いつもより、寒くない。
右腕だけなので、簡単。消毒も速く済み、麻酔注射がいつもより痛く感じた。カテーテルを入れる時も、痛く感じた。聞かれたので、痛い、と言う。麻酔を追加。検査なので、胸の違和感もなく終了。4時45分。足が動かせるのは有難い。それでも、腰が痛く、何度も寝返り打つ。生食のせいか、トイレは近い。5時半頃、先生が来て止血帯外す。結果は、明日10時に聞くことにした。食事後にバンドも取り、自由に。やはり、左90%程度の狭窄があるので、症状はそのせいだろうと言われた。微熱続く。血圧はOK。

7月6日
隣のベッドの人が1時間ごとに起きては、トイレとおやつを食べるのには参った。寝不足。看護婦の巡回があり、6時には起床。10時から先生の話。結局は、左下方枝の分岐部の狭窄は90%。この先にも狭窄部があり、出来るだけ長くカバーしてステントを入れたいとのことだった。ステントは血栓防止の新ステント2本を使う。分岐部周辺のもろさが心配だが、出来るだけぎりぎりに入れて分岐を塞がないようにしたいとのことだった。
この後、外科の診察を巡って、連絡不徹底でトラブル。
退院。

7月31日
一月のうちに、二度の入院ということになった。3回目のステント挿入のためだ。前回も、それなりに入院は大変だったので、息子に送ってもらう。1時間で着く。829号室。目黒川が見える明るい部屋の窓側だった。担当は、一寸手順が悪いが、素直で、まだ訛りが抜け切れていない。早速、心電図を撮りに行ってトラブル。連絡してなくて、係りがいなかった。一旦戻り、今度は、採血した血液を持って行く。
その後、A先生から、施術の内容説明を聞く。妻、息子同席。こういう姿は、ドラマなどで見ていたが、一人で何でもやってきた自分としては、不思議な感覚。左下降枝の分岐部から2本の新ステントを入れることになる。11時過ぎに二人帰る。昼食、豪華版。食後、待望の便通あり。3時過ぎに剃毛、シャワー。今回は少し長くなるかもと、ナースに言われた。夜は食後の検温のみ、時間もてあます。

8月1日
昨夜は、9時半ごろ寝に入ったが、寝付かれず、周りのいびきに悩む。トロトロしているうちに、3時ごろ、何か処置している気配。騒がしいので目覚める。全英オープンのテレビを見る。5時前、再び眠る。6時起床。百寺巡礼を読む。曇っていた空が次第に明るくなり、今日も暑くなりそうだ、と感じる。朝食は、例によって、半食。食事後、前のベッドの人と話をする。病歴を聞く。心臓バイパス手術経験していて、手術跡を見せてくれた。現在は前立腺癌だとか。ゼファソリンNa点滴、今回は3回目で成功。前に世話になった、ベテランのナース。一発で決めてくれたので、専属になってと頼んだ。
順調に、1時前からストレッチャーにのって検査室へ。いつも通りだが、局部麻酔が痛い。開始してすぐに、少し寝てしまったようだ。胸の痛みで目が覚める。5回ほど、カウント1,2,3、・・・19,20があり、やがて終了。いつも通りにお礼を言いつつ、8Fへ戻る。何もない821号室に入る。同室者もなし。TVを見られるように頼んで正解だった。随分、気がまぎれた。エアクッションは、殆んどエアーが入っていなかったが、その方が良かった様だ。6時の夕食はあまり食欲なし。7時頃、凝固血マーカー138。すぐ、抜針となる。静脈を抜いたところで、やはり貧血がやってきた。そのためにしっかり麻酔をしたんだけど、と言われても、副交感神経の作用は如何ともし難い。但し、前回のことがあったので、準備良く、ナースもさっと動いて、生食とMATの点適量を増す。それでも、血圧はなかなか上昇せず、気分の悪さと、末端の暑さ、ほてりが、止血の終わるまで続いた。睡眠薬だけ貰い、TVを見て、少し眠る。2時ごろ目覚めるが、ゴルフを見ても、面白いと感じせず、再び眠りに入り、5時ごろに目覚めた。

8月2日
目覚めてからが長い。9時半頃、別の先生が来て、止血帯を外してくれ、10時ごろには自室に戻る。右股関節が痛い。遅い朝食、パン抜きで食べる。腹の膨慢感強い。体温は36.7度、ややだるさを感じて横になる。すぐ、昼食。ご飯は殆んど食べず。13時半、先生が来て、様子を見ていく。トイレに再三通い、ガスが出る。階内の廊下を散歩。昼寝しながらTV。右足は又少し痛い。5時、最後の点滴。
6時から、先生の説明あり。まず、スケールを入れて長さを測り、先に手前分岐部から28ミリを挿入。次いで、その奥に23ミリを入れようとしたら、少しずれた。所が、怪我の功名で、そこには小さな分岐があり、塞がずにすんだ。空いたのは、ネット幅1個分くらい。次に手前で、もう一度、20気圧くらいバルーンをかけて拡げた。上手くいったと思う。後は、再狭窄が起きたら、そこをバルーンで拡げるか、もう一度、ステントを入れることになるが、現状の生活なら、その危険性もかなり低い。食事と薬と運動の3つを守ること。血栓の出来やすい夏場は、ゴルフも避けること。涼しいところで、水を飲みながらやること。日暮れに1時間くらい歩くこと。内視鏡検査はやってもいいが、切除できない。U先生と相談すること。等々。夜、早目に就寝。

8月3日
良く寝た。6時過ぎ起床。洗面。朝食まで本を読む。血圧120,60。体温は36.5度。まだ、やや高め。外科の診察、朝一番と言われていたが、前回のことがあり、今回はきちんと連絡があり、9時に下へ降りる。やはり、U先生も内視鏡はやらず、CTで転移を見ようということになった。今回は、薬の説明もなく、何度も入っているとこんなもんだね、と笑いつつ、退院。

8月18日
ステント挿入後2週間。退院後2日目から、散歩開始したが、症状出ず。更に、10日からは熱海に行き、少し強めの散歩もしたが、女房が疲れたと言うほどのコースも何とかクリア。特に登りはやはりきついが、胸が痛くなるという感じではなく、いわゆる、フウフウ言う感じ。
そんなことで、診察の始めに、症状出ませんと報告。先生からは、やはりあそこが関わっていたんだね、という言葉。血液検査の結果も異常なく、まずは万々歳。先生のパソコンが調子悪く、大分遅くなったのだが、ついでに、CTの結果が出ているか確認。コメントでは、転移は認められないとのこと。少し安心。

9月20日
採血室に行って、予約表をよく見ると、心電図を撮ることになっていない。状態が良いから、抜かしたのか、それとも先生が忘れたのか、いずれにしても聞いてみることにして内科外来へ。結局、検査はなしになった。予定は2時で、いつもより1時間早い設定だったが、最後の一人であることには変わりなく、ゆったりと診察してもらう。と言っても、いつも通り、血液検査の結果が良いし、血圧も正常なので、後は問診。一つだけ、最近感じる表面の軽い痛みについて質問したが、心臓の痛みではないだろうとのこと、安心した。症状が出るわけないから大丈夫、と言われた。11月に、西国の巡礼に行きたい話をして、予定の中間に診察日を設定してもらった。

10月21日
一寸心配なことが発生した。昨日、突然、腕に大きな紫斑が出たのだ。手首から5、6センチのところから始まって、外側に向かって4分の1周し、肘の上に至る、全長20センチ余り。幅、40ミリ。これほど大きくぶっつけたり、ぶつかったことは記憶になく、知らないうちに起こったということはあり得ない。当然、薬の副作用について考えた。最初に頭に浮かんだのは、肘の腱鞘炎が痛かったので、ハップ剤を張っていたことだったが、場所的には微妙にずれている。唯、これを張ったことによって、周辺の血管に異常を来たしたということはないか、また、それが飲用している薬との副作用ではないかと疑った。皮膚や肝臓に影響を及ぼす薬には、リピトールとパナルジンがあり、両方とも疑った。ネットでそれらしい症状の副作用を調べ、一番怖そうなのはTTPであると分った。これは読んでいくうちに心配になった。単独では発祥しないようでもあり、ついにK病院に電話した。A先生がいて、症状を言うと、発熱や便の異常、歯茎からの出血はないか聞かれ、ないと答えると、周囲が黄色くなってきているということは血が吸収されて改善されてきているのだから大丈夫、やはり、何かにぶつかったんでしょうと言う。それはないと思うが、と答えたが、心配なら血液検査をすればすぐ分かると言われたが、これから出かける気にはならず、様子を見ますということにした。もし、何か変化があったら、他の先生がいるから、来週月、火にでもいらっしゃいと言われた。「はい」とは答えたが、来週は旅行だから、金曜までは行けない。旅行中に変化が出たら、どうしよう。少し心配。まったく、薬にまで神経を使わなければいけないとは情けない。

11月4日
眼科で杉山先生に話をした。やはり、何かにぶっつけたのではないかと言う。しかし、こんな長く、曲がってぶっつけることはないし、そんな記憶もないと言うと、寝てる間とか・・・・寝てる間に、硬いものとぶつかることはないよなーー副作用だと、左右対称に出ることが多いとか、他の部位にも出ることがあるとか、言われたが、それはない。足首に湿疹らしきものは出ているが。それと、1週間から10日で消えたと言ったら、かなり表面の内出血だから、こすったりしたことが原因かも知れないということだった。完全に納得は出来ないが、この話はいいことにした。

2006年1月17日
冬場のこととて、外出時に少し違和感があるということを話した。暖かい日に歩くこと、少し汗ばむくらいまでにしておくと、有酸素運動になっているから、汗が乾かないうちに家に戻るくらいがいいとのこと。ついでに、Sさんが歩く時に心拍数まで測っているが、そんな必要はないのか尋ねたら、あなたは狭心症なので、そこまで心配する必要はないと言われた。
先生は、大学にいる頃には、そんな関係の研究をしていたのだと言われた。西国巡礼の話も報告しておいた。結構、厳しいお寺もあったが、無事に歩いてこられたこと。一回もニトロの世話にはならなかったこと。
パナルジンは、続けることになった。1年くらい、内膜がかぶってこない場合があることが分ったのだそうで、血栓が出来ることより、薬を飲むことの方がメリットが大きいとのこと。これだけ飲んで、副作用が出ていないから大丈夫だろうとのことだった。

3月28日
前回の血液検査の結果を詳細に見たら、GOTがオーバーしているし、他の数値もじりじり上がっているようで、心配になり、杉山先生にも聞いてみた。まあ、様子を見るより仕方ないと決めて、診察の冒頭に聞いてみた。今日は下がっているし大丈夫だよ、とのこと。一安心。4月に入ると、内視鏡検査があり、パナルジンの服用をやめるように言われていることを告げた。検査が異常なく終ったら、直ちに再開するよう言われた。運動については、ゴルフ始めたといったら、笑っていた。山登りのようなことも、自分のペースで歩くのなら、有酸素運動になるし、大いに結構だということだった。特に、禁止するようなことはないようだ。念のため、確認検査のことも聞いてみた。1年経った頃にやろうかと言われた。

4月12日
前日から入院して、内視鏡検査を受けた。手順は同じようで、前日昼からおかゆ。下剤を飲んだら、ひっきりなしにトイレ通い。お陰で、夜には、着色はしているものの、かなりの透明度になった。当日も朝から、2リットルの下剤を飲み、2時間ほどで、真っ白な透明状態に。確認をナースコールで呼んでしてもらい、もういつでも大丈夫と言われてから、6時間待たされた。特に心配はしていなかったが、狭心症には影響なし。ただ、パナルジンは飲まないように言われていたが、バイアスピリンはいいのかと心配しつつ、飲んでいたら、案の定、見つかっても切れないかも知れないと先生に言われた、とナースが言ってきた。何のための検査だよ、と少し憤慨した。3時半頃やっと呼び出しがかかり、すぐ検査。全く異常なし、次回は2年後くらいにいらっしゃいとのこと。万歳。

5月30日
いつも通りの血液検査と心電図。診察は少し早め。今回の検査結果は、全く異常なし。胸の異常というほどではないが、時々、息苦しい感じがあるということを言うと、そういう症状が出る人も居るけれど、あなたの場合は違うと思うとのこと。次回の検診のときに、1年後の検査をどうするか決めることになった。ここの所、歩いても、ゴルフをやっても、以前のような痛みは出ないので、大丈夫だろうが、どうも、何か別のことが起こり始めているように感じてならない。

8月1日
血液検査の結果は、非常に良いとのこと。杉山先生に言われた、自律神経失調気味ではとの話は、入浴時の動悸や、他の時の胸苦しさも、まず大丈夫だと思う、とのことであった。但し、疲れると、胸の中身が背中にくっつくような感じになると言うことは、少し問題かな?とか。

8月13日
10時過ぎ入院。珍しく、早めにナースが来て、検温(35.6度)血圧(120,76)測定。一つずつ消化していく感じで、飛び飛びにX線、午後から心電図、処置手順の説明、体重?など。その間、本を読んだり、TVを観たり。夕方、冷房が効きすぎるので、勝手に窓を少し開けて調整する。5時過ぎに、熱いシャワーを浴びて、身体を温めた。少し暗くなって、ふと南の空を見ていると、星のような光が見えた。それが、次第に大きくなって旋回したので、羽田に降りる飛行機だと知れる。1分半から2分の間隔で次々と降りていく。夕食は鳥モモ肉の味噌煮、その他少々。明日朝は抜きなので、心細い。9時ごろまでテレビ、その後本を読んでいたら、突然暗くなったので、止む無く就寝。トロトロしたところで、同室の人の激しく咳き込む音で眼が覚めた。3時から5時ごろまで少しまどろむ。6時起床。

8月14日
朝食は抜き、水で喉を潤す。9時の一番スタートと言うことで、早くから準備。8時には、Mナースが一発で点滴の針を刺してくれた。その後、担当のKさんが来て、朝の薬を飲んだりした。生食の点滴も始めて、そろそろと思っていたところが、広域停電の影響で、30分は遅れるとのこと。それ以上は遅延せず、ストレッチャーに載せられて、いつもの検査室へ。やはり、麻酔をしてカテーテルを通す時に痛みあり、「酒を飲まないのに、効きが悪いね」と、先生に言われながら、検査スタート。何時もより短く感じるほど順調。感覚的には、熱くなると言われれば、熱くなるし、頭だけでなく、尻も熱くなって、もらしたかと思ったほど。手首の固定が終って、スタッフにお礼を言いながら終了。先生が「いいよ」と言った。病室に帰り、すぐに抗生剤の点滴。暫くは安静。検査時間は1時間ほど。すぐに昼食の時間となった。蕎麦と肉団子のあんかけだ。右は緊縛しているので、左手で食べる。何とかなった。午後は、午睡とテレビと読書。右手は痺れて痛いが、我慢できる範囲。5時過ぎに生食の点滴が終わり、暫くして、先生が来て、緊縛から開放された。その間、血圧は120と60台で安定。夕食は、パサパサ豚肉と納豆。食後、抗生剤の点滴が終ったところで、先生から写真を見せてもらい、説明を受けた。1回目の旧タイプステントが前回の時に扁平に見えたのだが、今回はきれいに丸くなっていた。その下の新ステントも大丈夫で、僅かに二つの間が狭い感じがした。2回目のステントにも再狭窄は見られず、閉塞部の下側には、かなりしっかりした血管が回りこんでいた。3回目のステントは太く写っていた。何よりびっくりし、感激したのは、総体的に血管が丸みを帯び、スムーズになっていたこと。凹凸の顕著なところは見る限りなかった。1年間の節制の賜物だね、と先生に褒められた。これで、狭心症は卒業だ、と言われた。この状態なら、狭心症の発作は心配ないと言われ、今後は定期的な検査外来で、大丈夫とのこと。夜の血圧126,74。

8月15日
朝から、馬鹿マスコミが、小泉首相の靖国参拝を追い掛け回している。視聴率稼ぎのための話題づくりか。血圧低目(100〜110,65〜68)。体温は36.2〜35.8。10時前にK先生が来て圧迫帯取り外し。まだ、かさぶたの状態なので、重いものを持ったり折り曲げたりしないようにとのこと。最後の抗生剤の点滴。11時ごろ、いつもの薬剤師さんが来る。薬のこと、食事のこと、ホームページのことなど話す。12時には支払い終了。前回より5000円ほど高い。計算方法が変更になったためとか。13時退院。孫が荷物をずっと持ってくれた。

9月19日
まったくの所、気分が良くなったし、発作も起こらないので、特に問題はないのだが、立ちくらみ様のことが再三にわたって起こるのが少し心配。先生は、大丈夫だと思うとの事。血圧はやはり低め、全然良い範囲と言われたが、この影響なのではと思う。血液検査結果は全く異常なし。次回からは心電図もいいことになったし、ジェネリックを使うことになり、かなり薬代も助かる。

11月28日
2ヶ月に1回なので、結果が少し心配だったが、案の定、問題発生。LDLがじりじり上がって、100を越えていた。少しは食事でおいしいものを食べたが、油には気をつけていたのに、一寸がっくり。おまけに中性脂肪は一挙に200を越えてしまい、2回続けて100を切っていたのが台無しである。これは、何が原因か分からぬが、朝、甘いりんごを食べたのも影響したかも知れない。甘いものは少し自制しないといけない。
前回に続いて、立ちくらみについて尋ねた。低いことは低いけど、それ程血圧が低いわけでもないし、強い薬を飲んでるわけでもないからと言われたが、薬を止めようという話にはならなかった。心臓が時々、心配事があったりすると、ドキッと強い動悸がすることについては、単発の心房細動については問題がないとの事。気にはなるが、心配しないことにしよう。

2007年2月6日
前回の結果を受けて、主治医の先生にも相談してみたが、A先生とよく話をしなさいと言うことでけり。実際に、今回の結果では、それほどの問題は発生せず。取敢えずは、巡礼でもよく歩くが、寒い時には気をつけるようにということで、何事もなくすんだ。

4月10日
前回に引き続いて、血液検査の結果は問題なし。中性脂肪も150前後と安定している。ただ、ここのところ、A1Cが高値安定で、少し心配で、気をつけたほうがいいかな?と言われてしまった。朝一番で測定する血圧が150くらいあるので、いわゆる隠れ高血圧のことを聞いてみたが、問題ないと言われた。

6月19日
中性脂肪は高めだが、他の数値は問題なし。前回心配したA1Cも少し下がったし、肝臓の数値も落ち着いてきた。まずは、今の状態を維持できれば問題ないよ、ということ。今回から、EPAを補う目的で、エパトールが処方された。数値的には変化を起こさないが、何故か、イベントが起こらなくなるんだと言う説明。薬局では、絶対噛まないようにと言われた。

8月14日
血液検査の結果はまったく問題ないよ、と言われたが、後で見てみると、中性脂肪が171とHが付いていた。先日、風邪を引いたときに、近所の医者に、朝の高血圧について疑問を呈されたことを話すと、150位なら問題なし、と言われた。その時処方された薬を見せたら、杉山先生からも、その医者はもう行かない方がいいと言われた話をしたら、笑っていた。女房も坂を上がると苦しいと言っているので、先生のところへ連れて来ないといけないかも知れませんと言ってみたが、特に反応なし。

10月16日     12月18日

2008年2月26日

5月20日
この辺りから以降、血液関係RBC、HGB、HCT値が低い。

7月29日、10月7日、12月14日

2009年3月3日

5月19日、8月4日、10月20日、12月15日

2010年2月16日
この年に入ってから、、たびたび発作が出るようになった。

3月20日

4月12日から14日
検査入院。右下方枝の下の方に狭窄が見られた。取敢えずは、問題ないだろうとのことで、特に処置はせず。

5月18日
この日以降、AG高めの傾向あり。

7月13日、9月28日、11月30日 ここから続けて3回TG高め。

2011年2月1日

4月21日、6月21日、10月11日、12月13日

2012年2月14日

4月17日

6月18日
15日のゴルフ辺りから、思いがけない時に発作が出始めた。16日は同窓会で出かけたが、歩く前後で軽い発作があった。17日、家でゆっくりしているのに、時々胸から背中にかけて圧迫感と痛みを感じた。この夜、寝ていて、軽い発作があったので、不安感あり。ニトロの使用も頻繁になってきた。18日になって、朝9時ごろ、病院に電話してみた。予約外だと待つことになるし、緊急だと、別の先生に診てもらうことになるというので、そんなに苦痛でもなかったので、様子を見ることにした。翌日が定期診察の日だったこともあったので。日中は軽い発作。20時ごろ、ニトロで背中の痛みが消えた。その後、早寝しようとして風呂に入ったら、再び発作あり。今度はニトロが効かない。これには参った。夜寝ていても、背中の痛みがあって、寝ていられず。

6月19日 緊急入院
朝5時ごろには、布団の上に起き上がっていた。この姿勢の方が楽なのだ。改めて、安静時狭心症を検索して読む。ニトロは、梗塞の時には効かない、と書いてあった。これはまずい状況になっていると思った。少し早く病院に行こうと思い、休みでいた娘に付き添いを頼んだ。しかし、駅まで歩いていく自信がなかった。娘には、万一の時には、どこでも降ろしてくれるよう頼んだ。その上で、息子に車の運転を頼んでみた。幸い、午前中は空いているという。9時半、家を出た。11時前、受付で事情を話すと、すぐに緊急処置室へ入れられた。Y医師が来て、状況説明する。その場で、心電図と血液検査。その後は心エコーが待っていた。心エコーをやっている間に、A先生が来て、「まさか、嫌とは言わないよね」ということで、すぐステント室へ移動するよう指示が出された。
この時点でほぼ12時ごろのようだった。息子は、手術承諾書や入院手続きをさせられていたらしい。

今日は長いなあと思いながら、手術台の上にいた。表で待っていた子供たちは、気が気ではなかった様だ。心臓インターコンベンションは2時間。緊急だったので、剃毛からして、手術台の上で行った。勿論、尿ホース取り付けも。当初、2010年の検査の時に見つかった右下端に近いところの狭窄が詰まったと考えていた。従って、それ用の準備をして臨んだのだろう、狭窄部が別にあることが分り、最初のカテーテルが引き抜かれたらしい。詰まっていたのは、右の中間、三叉路の辺りだった。次に、プラークを吸引し、それから、バルーン、ステントと進めたようだ。新たに、ステントは2本。これで7本入ったことになった。施術中、又、血圧の急低下があったようだ。気分が悪くなる前に処置してくれたので良かった。

いつも通り、足に針が刺さったまま8Fの緊急患者用病室へ。絶対安静で、まさに何も出来ない。水を買ってきて貰い飲みたいのだが、自分では飲めないので、ストローを突っ込んで、そこに入った分の水を口に入れてもらう。2,3回の少量で、もういい。背中の痛みは徐々に消えていったが、すっかり疲れ切っていた。気がつくとまどろんでいた。子供たちは3時ごろに遅い昼食。万一に備えて用意しておいた入院用の必要品を持って、女房も来た。ベッドに寝たまま、X線撮影。両腕に点滴がつき、脚は延ばしたまま動かせない。先生に「疲れますね」と言ったら、そりゃそうだよと笑われた。17時過ぎに3人が帰り、19時になって、先生がカテーテルの針を抜きに来た。20分ほどの間に、何が起こるか分らないので、初めのうちは看護師も傍にいたが、5,6分過ぎて、何事もなかったので、先生が、大丈夫だから自分の仕事に戻るよう言った。私の手の中には、ナースコールのボタンが握られた。10分過ぎた頃になって、少し話も出来るようになり、詰まったり、流れたりしていたんだろうな、とのことだった。私も経過について、詳しく話をした。止血箇所を厳重に固定して、22時まで安静が言明された。この時間が一番きついのだが、この日は、比較的遅く18時ごろから腰が痛くなってきたので、22時過ぎに看護師が枕を用意して持ってきてくれるまで、何とか我慢した。ハップ剤はないかと尋ねたが、ないと言われた。腰の痛みを、何とか少しの動きでカバーしながら寝るので、睡眠は浅かった。おまけに、何の音か最初は分らなかったのだが、ブザーがしばしば鳴った。隣の患者の方かと思っていたが、自分の警報だったらしい。

6月20日
6時ごろだろうか、空腹を初めて感じた。一番に採血。9時になって、A先生の回診。腫れもなく順調とのことだった。昨晩のCPKが700以上あり、ダメージを心配したが、今朝は、600台に下がっていたから、少し安心だとのこと。完全に梗塞が起こっていたら、一桁高くなるので、よい方だと言われた。しかし判断は厳しく、安静はベッド上、座位可能とのことだった。朝食は食べてもいいと言われたので、おなかが空いたので、お願いした。しかし、ロールパン一つ、ゆで卵一つ、牛乳半分で食欲をなくした。女房にスマホのコードを持ってきてもらった。これで、スマホが使えるようになった。本を図書から借りてきてもらい、一冊夜までに読んだ。飲み物は、買ってもらったCCレモンを一本飲むのがやっと。テレビでニュースを見る。時々姿勢を変えられるので、腰の痛みは随分楽になった。点滴が22時に終了、フリーになった。22時就寝、途中布団を厚めにして良く寝た。

6月21日
よく寝た分、腰痛がひどい。今朝も朝一で採血。CPKは大分下がったので、トイレまで行ってよいと言うことになり、尿ホースが取れた。しかし、トイレまではナース付き添いということだった。研修医が来て様子を聞いていった。今心配な合併症とは何かと尋ねたら、不整脈になることだといわれた。本を読んで過ごす。すぐ昼になった。食後、ナースが来て、急遽部屋の移動(急患用から大部屋へ)。心電図撮る。午後の回診で、検査数値の時系列表をもらった。確かに、異常数値が続いていた。この時点で、トイレまで歩行可となった。娘が来たので、本2冊、飲み物2本頼む。夜まで排尿2回、大便なしで少し心配。夜も異常なく、早めに寝ることにした。

6月22日
3時ごろ一時目覚めたが、7時前に看護師の声で目覚めるまでよく寝た。朝は、血圧などの簡単な検査だけ。回診で、廊下歩きの許可が出た。先生が計器をチェックする間、8Fを一回り。午後、娘と孫か見舞いに来たところで、先生から病状とインターベンション説明受けた。右回旋枝、Uターン部の下、T字部に狭窄があった。決戦を取り除いてから、バルーンで拡げ、3ミリのステントを3.3ミリまで拡げて挿入した。右側はかなり広く流れた感じで、下方の狭窄部からも、血液の流れが確認されたので、そこは手をつけなかった。左も若干不揃いに見えるが、全体に動脈硬化が進んでいるので、致し方ない。今後は、様子見をしないでチェックすることにしたいとのことだった。孫が帰った後で、仕事途中で息子が立ち寄ってくれた。18時ごろまで居たが、正直なところ、今度はやばいかと思った、と言っていた。夜、気がかりな次回のゴルフコンペのことを頼むので、友人にテルした。

6月23日
土曜日の病院とは、これ程何もないものだったと、改めて分った。2回、看護師の巡回(検温、血圧、酸素など)だけ。午後、書類を持ってきたので、事後サインをした。夜、消灯前に就寝。

6月24日
2,3時間ごとに目覚めトイレに。ついでに、ナースが来て心電計が外れていると言われた。女房が来たすぐ後で、友人夫妻が見舞いに来てくれた。デイルームで1時間ほど歓談。素敵な花篭を頂く。心配していた便通は3日続けてあった。

6月25日
朝のうちに採血。14時から車椅子で2Fへ。心電図、心エコ、X線撮影。すぐ結果が出てどうするか言われるかと思ったが、来ていた娘も17時半には帰り、夜になって、やっと先生が来て、数値も半分になったし、心エコでは入院時止まっていた部分も僅かに動いているとのこと。早く家に帰りたければ、明日、入浴チェックをして、OKなら、あさって退院ということになった。

6月26日
朝のチェック。体重55KG,血圧98〜46、酸素96、脈拍64。10:30から入浴、シャワー。久し振り頭を洗う。湯上り後、特に変化なし。自動的に鼠径部の絆創膏がはがれた。昼前に先生が来て、明日の退院許可が出た。3W後の診察ということで、薬は院内処方で出る。夕方、薬剤師説明に来た。

6月27日
朝、最後のチェック。午前中に退院。最後まで、我慢しないで早めに病院に来なさいとの合唱を聞きながら、退院し、息子の運転で帰宅。