tamay.gif   レトリックの夢 K      「ふむふむ」さんの夢  chibiz.gif

夢とレトリック12 : 夢における中断

夢に一連の流れがあって、筋書きのようなものが見えるときがありますね。
その途中において突然中断し、夢が立ち止まることがある。
たとえば、どこからか飛び降りて、いまにも地面に激突するというときに突然、夢がそこで終わる。
終わったように感じる。

夢を見た人はそこで目が覚めたと思うのが普通だろう。
何しろ、その後を連続して見たような記憶がないのだから。
実際は、まだ夢の中かもしれないが、とにかく中断する。
その夢の作業の目的は何なのだろう。夢を見た人には気になることだろう。

その中断のねらいは
それまでに見てきた夢のわずかな要素に基づいて
または夢の周囲の事態をたよりとして、その先の夢はもう見る必要がないだろうと
思わせぶりなふりをして、実際には夢を見ているあなた自身に
その結末を、その続きを想像させようとしているのだとふむふむは考えているのです。

そのような終わり方だから、中断の仕方だから
夢を見ているあなたには気がかりなこととして記憶に残りやすくなる。
あなたに記憶させることによって、起きた後に、あなたは思い出してくれるかもしれない。
思い出すことに成功するかもしれない。
そのことにより、あなたに伝えたいことを伝えられる。

あなたに伝えたい以上のことを理解してもらおうとしていると
夢はたくらんでいるのだとふむふむは感じる。

このようなゆめの「あや」は多くの夢の中で行われる。
あなたに実際の夢映像として結末を見させることより
見させないことの方が効果のあることを夢は知っているのだ。
地面に激突する瞬間まで夢に見させておいて、そこで中断する。他の場面に切り替える。
激突したのだろうか。それとも、どうなったのだろうとあなたは想像する。
そこにある意味をあなたは知ろうとする。

夢は、あまりにも激しい感情で始めたストーリーの結末として
すでに見せ始めた視覚的映像を途中で放置して、そこからまったく別の夢を見せる。
ときには、まったく別の夢を挟んで、寄り道をさせてから、もとの夢に戻る。
もちろん、そのときは、状況設定も登場人物もその他の要素も
全く違うものになってはいるが、夢の構造は似ている。

このように、結末を明確にしない、決定しない「未決のままにする」ことは夢の得意技なのです。
「未決」にしておいて、夢を分断し、別の夢を挿入する。
あるいは何も挿入しない、つまり「空白」を置いて
夢の続きを推察してほしいという夢の意図を表すのです。

見せなくてもわかることは、見せないということ。

見せたかったけど、見せることはあまりにもショックだから
あえて見せないことにするという場合もあります。
夢は、このけじめをどのようにつけようとするのであろうか。
中断したあと、それっきりにしてしまうのか。
それとも、中断した瞬間に
そこにおいて発生する無意識の認識を頼りにしてしまうのだろうか。
すなわち、なんとなく分からせるという暗黙の了解。
あなたの夢では、どちらが多いのでしょうか。
夢が中断する、未決のままである、結末をはっきりさせないことの本来の目的は
あなたに夢を覚えて欲しいということなのです。
そして、その中断した後の夢の展開の捉え方は別の夢が挿入されるか
空白をおいて、別の日に再び見るか、別の夢を挟んで、別の設定で
一連として構造が似ている夢を見せるかということなのです。


 




夢とレトリック13 : 夢における「ためらい」 

夢を創造するあなたの無意識は
夢表現に確信がもてず、夢要素の選択に迷いながら
その迷いそのものを夢の中で表現することがある。
そのような無意識の表現が「ためらい」である。
たとえば
あなたの記憶のなごりとして
その日の恋人の何気ない仕草が仕舞いこまれていたとしましょう。
それが、あなたへの心変わりに感じられて仕方がないという思いが
きっかけとなって夢が創造される場合。

そのことを表すのにぴったりの記憶がどうしても引き出せないでいるとき
取り合えず、ワイングラスについた口紅をイメージとして映し出すかもしれません。

その口紅はぬぐい去られるものであるから
ワインを飲むときは口をつぐむものであるから、それを夢要素として選び出したのです。
ところが、あなたの現実思考が
そこに「しっくり」とした密着感がないと微妙な違和感を「口紅」に覚えてしまうのです。
どうイメージを広げてみても、あなた自身が安心して委ねることのできない対象に思える。

そこで無意識は途方にくれてしまう。

困惑した無意識は別の夢要素を新たに準備することになります。
ワイングラスを手にもって、それをかざして見ているあなたの指に視点を切り変える。
相手を表すはずだったワイングラスの口紅を
こんどは相手を見つめる自分自身の目の奥にある「指」のイメージに切り替わる。
少しだけ、夢の表現が的確さをもってくる。

もっと知って欲しい。分かって欲しいと
夢は未練にも似た甘えをあなたの目の前で演じてみせるようになる。
これでよかったのかなという自信とはうらはらの感情が夢要素を揺らめかせる。
それが、ワイングラスを氷の剣に変えたりする。
そこに理由などないのようではあるが。

冷たい怒りが熱をもって吹き上げてくる象徴として氷の剣をあなたを突き刺したりする。
夢の「したたかさ」は、「ためらい」の裏返しであり
あなたの了解を得られれば、他愛もない夢で決着をつけようとする。
あなたのひそやかな思いを痛みやいらだちで紛らわそうとするのである。

夢の大部分はうまく表現できないことであふれている。
しかも、その表現が稚拙であなたに通じないことが多い。
あれこれと材料を並べて、まことしやかにあなたに提供してくる。
そのいくつかは余計なものなのである。

本当に伝えたいのは何なのか。

夢の創造の主体である無意識とじっくり面接する必要があるということになります。
いずれにしても、提供された夢要素は、「ためらい」ながらも、それなりの役割を果たしている。
それなりが、果たして何を目指したものかを
見つけること、見抜くことが夢診断では大切であると感じている。

「ためらい」は夢表現のあやであり
無意識がいくつかの夢要素の間でためらい
いくつかある立場のどれをとるかについて迷うことを意味している。
夢見者あなた自身か
それとも対象となる相手かということに関わってくる。
また、ある行為に対してそれをどちらの行為にするのか
さらには、その行為にどのような意味を与えるのか決めかねているということなのです。
決めかねていて、結局はどちらかに決めてしまう。
それが夢の主体と客体の混同につながる。
あなたがあなたでなくなり、相手が相手でなくなる。
自分が相手であり、同時に相手が自分になり得る。
夢の中でのあなたの存在が次々と変化する。
いずれも「ためらい」が映し出すイメージなのです。

となれば
ためらっているとき、夢はそのためらいにそって解釈しなければならないでしょうね。
そして、相反する推理が夢の中で対等に成り立つと
「ためらい」はより大きな現象として「困惑」の表情をとるようになる。

どちら側に立っても、どちらも同じように論理が進む場合
どちらをとるか、選択の逡巡を夢は表現せざるを得ないのです。
「ためらう」ふりをすることも、ためらっているように見える場合も
ためらって見せる場合も、実は歯切れよかったりするのである。
このような粗雑で取りとめもなく展開をする夢は、ときには注釈をつけてあなたに迫る場合がある。
夢で表現された過剰な思いは、その中にためらいを含んでいることが
かなりの確率であることは間違いないのです。
したがって、どこかで夢がよどむ必要があるわけです。

夢表現は、それへの抵抗として、簡潔に夢のテーマを述べたくなるときがやって来ます。
それが「色」や「数字」の夢だったりする。
夢のほとんどが同じことの繰り返しであったり
構造として類似していたりするとき
夢はそれまでのもやもやを一掃するように
確信をもって、躊躇せずに、醒めた表現をとることがあります。
それが「物」の夢だったりする。
ところが、夢を報告するあなたの意識は
その素っ気ない表現の重要さに気づかないことが多いのです。
見過ごされてしまうのほとんどなのです。
何気なく、そこの置いてある物には
強いメッセージが肯定的にも、否定的にも同じ意味合いでそこに存在しているのです。


by エリカ