戎表紙.jpg (37590 バイト)

▲特大えびす面(特注品)▲

  このホームページは、えびす面製造卸および販売「三福屋」のホームページです。三福屋では、福箕、

  福サラエなどを中心に、十日戎祭礼に関する各種縁起物の製造卸、および販売を行っています。


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・えべっさんってどんなもの?

  「えべっさん」とは、新年の1月9日〜11日の3日間にかけて主に関西を中心に開かれている、

 十日戎(とうかえびす)というお祭りの名称です。十日戎は、商売繁盛を祈願して、七福神の恵比須神、大黒神

 などを本尊としてまつる神社で開かれ、恵比須、大黒をかたどった、福笹、福箕、福サラエなどが売られています。

 これらの縁起物を店先に飾ると、その年1年間の商売繁盛がかなうといわれています。

 十日戎を開いている主な神社としては、今宮戎神社、西宮戎神社などが有名です。

 十日戎では、10日の「本えびす」を中心に、前日の9日を「宵えびす」、最終日の11日を「残り福」と称します。

 やはり一番にぎわうのは10日の本えびすですが、「残り物には福がある」ということで、最終日の11日を狙って

 買い物する人も多く見られます。(最終日の夕方頃からは売値が下がる事も多いので、別の意味でも狙い目です)

  えべっさんの縁起物は1年で神社に奉納して、翌年は新しい縁起物を買うのがふつうです。

 その際、前年の商売がうまく繁盛した人は、感謝を込めてもう一回り大きな縁起物を買うのが良いとされて

 います。

・福箕と福サラエ

 箕(み)は、竹と藤で編まれた昔のちりとりです。同様にサラエとは、竹製の昔のホウキです。

 サラエはガンジキ、竹ボウキなどの名称で現在も残っているのでご存じの方も多いのではないでしょうか。

 これらにえびす面をつけるのには、「福」をサラエでさらえて、箕で集めるという意味が込められています。


・えべっさん 豆知識

 恵比寿天     恵比寿 または 恵美須 恵比須 戎 とも書きます。
            エビス(胡)という言葉は本来覇異邦人や辺境に住む人を意味する言葉で、、
            海のかなたのユートピアから豊漁と福をもたらす異郷人の神としてイメージされていた日本の神様です。
            (釣り竿と大鯛をかかえてる姿からも想像できますね)。もともとは漁業の神さまとして、漁師の間で
            信仰されていた神様でした。西宮神社の由来記によれば、もとイザナギとイザナミの二神の間に
            うまれた骨無しの「水蛭子」としてながされた長子で、海の海龍王の国に至って恵比寿となり、
            龍王より漁労、輸送船、会計、売買の主としての力を与えられ、海上、漁業の神となり、
            その神様が、中世における商業の発達に伴い、商業の神様という性格づけがおこなわれ、
            今日ではすっかり商売繁昌の神様という事に定着しました。
            姿形は、風折烏帽子を被り、鯛を釣り上げる姿に描かれます。

            ちなみに、えべっさんは耳の遠い神様とされ、参拝するときには正面でまずお願いしたあと、
            横側や裏手に回って大きな音をたてて、再度お願いしなおさないと御利益がないと言います。
            今宮戎神社などでは、裏手にそれ専用の木槌と板がおいてあったりします。
            えべっさんをお参りするときには、正面でのお祈りだけで帰ってしまわないよう注意しましょう。
            正面だけの御参りで帰ってしまったら、たぶんその願はえべっさんの耳にとどいてないですから。
           
 大黒天       元はインドの神様で、魔訶迦羅(マハ・カーラ)。マハは「大」、カーラは「黒」を表し、最高神シヴァの別名で
            破壊と死を司る神様です。その神様がなぜか仏教に乗って中国へ伝来する過程で破壊や死と同時に人間
            の長寿をもつかさどる医薬と死者の神様と言う側面も加えられて行きました、そしてだんだん、厨房、福徳の神様
            という事になり、最後には天台宗の開祖最澄によって「台所、かまどの神様」として日本に伝えられました。
            その後、「大黒天」と言う言葉の音の類似や、次第に日本古来の神様「大国主命」(おおくにぬしのみこと:イナバの白ウサギの
            話で有名ですね。)と混同されるようになり、「大黒さま」は「大国さま」とも呼ばれるようになり、
            やがてそのイメージの混同から、現在の大きな袋をもっている姿として描かれるようになりました。
            日本の大国主命も死と復活を繰りかえし、絵や医薬の道を教え、最後に死者の国の王となりますが、
            そのあたりからもイメージの混同はさらに進んだようです。

            食物と関連する神様であることから米俵に座し、袋をかつぎ、手に持つ「槌」は豊穣をもたらす「土」を象徴しています。。

 お多福      上記他の2人に比べて、お多福さんだけは神様に由来しません。
            中世日本で一般的な美人とされる、いわゆる「おたふく顔」の女性を模した物で、
            当時としてはこういうふっくらした顔立ちの美人は裕福の象徴だったのでしょうね。
            (ダイエットブームの現在ではまた違った評価があるかと思いますが)
            ちなみに、この時代の女性は未成年のうちは眉(あのお公家さんのような丸い眉)を描き、
            成人すると眉を剃ってお歯黒を入れたそうです。これもまた現在の価値基準から
            すると異論のある化粧方法かもしれません。