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by ゆったりママ&チー画伯
[ VOL,1〜 逃走・カモの場合 ]

 私はその昔、東京の、とある街のかたすみのボロアパートで一人暮らしをしていた。4階の、その部屋より広いような細長いベランダで、親友に「養子縁組〜」と言って授けられた合鴨のヒナを育てていた。真下の3階に、親友の彼が住んでおり、その彼が西友で衝動買いした2羽のうち、1羽を私が引き受けたのだ。“へっへっ”と情けなく鳴く、「へっち」と名付けたそのカモは、オスだったようで、手のヒラに隠れるほど小さかったのが、半年もするとリッパなデコイ状になった。

 ある夜、残業から帰ってみると、へっちの姿がどこにも無い。最近バタバタと羽ばたきが大きくなってきていたが、とうとう柵を飛び越えてしまったらしい。でも、へっちは飛べないのだ。公園で投げ上げても、頭から落下して、ツンのめって転ぶ。

 パニックになった私は、物陰に首を突っ込みながら街中を走り回った。もちろん、不動産屋にバレたら、出て行かなければならない。カモなんて飼っちゃいけないのだ。それでも万策尽きて意を決し、最後に駅前の交番に、わらをもつかむ思いで入っていった。

「あの〜、飼っていたカモが逃げちゃったんですけど、もしかして届いていませんか?」

すると、退屈そうに店屋物を食べていたお巡りさん達が、目を輝かせて寄ってきた。
「うむ、まあ、そこに座りなさい」
中でも年配の一番偉そうなお巡りさんが、一番嬉しそうに白い書類とボールペンを出した。

「え〜と、この近辺だけじゃなくって、区内全域に書類を回しとかなくちゃならんので、
遺失物届けを書くから。誰が拾って、どこへ届けるかわからんからな」
「は‥い」(涙目)

「遺失物‥‥カモ。ギャハハ!」
「あの〜、カーキーキャンベルって言うんです。合鴨で。名前は“へっち”と申します」(グッスン)
「あ、そ。で、特徴は?」
「頭がグリーンで、くちばしが黄色。体がグレー、羽が茶色で、足がオレンジです」(ウルウル)
「ほーほー。‥‥そんでもって、状況だな」
「ベランダから、飛んで落ちたんだと思います。ずっとずっと探したんですが‥ウウウ」
「ふむ。『ベランダより逃走』、と。‥デュワ〜〜〜!!!ガッハッハ!」
かもの絵
 私は必死だったが、そんな調子で、すっかり面白がられてしまい、何だか無性に腹が立ってきた。一発ガツンと言ってやろうと思った矢先、
「アンタ!自分ばっかりこんな時間まで遊んでっから、こんなことになるんだ!」
「ふぇぇぇ‥‥仕事ですぅ」
「(ギロリッ!)もういいよ!はい、さいなら」
「よ、よ、よろしくお願いしますぅ‥‥」
完全に負けだった。お巡りさんに勝とうと思う方がおかしい。これがヨノナカなのだ。

 その後、へっちは戻ってきた。

 もしかしてと思い、ようやく連絡がついた親友に、留守だった彼の部屋を合い鍵で開けてもらい、ベランダに直行すると、カモが2羽、仲良くうずくまっていた。

 だいぶん後になってわかったのだが、へっちが逃走した時、下を通りかかった灯油屋さんが、3階の彼の隣の部屋に灯油を届けた時に、下で、へっへっと鳴いているカモの噂をし、その部屋の人が、それなら隣の部屋のだといって(やっぱりカモ飼ってるのがご近所にはバレていた)、捕まえてきてベランダ越しに投げ入れてくれたのだった。

 しばらくして、私は引っ越すことになり、へっちは養子縁組を解消して、彼の所に出戻った。メスだった彼のカモは、卵を数個産むと死んでしまい、失意の彼には慰めだった。だが、やはり不動産屋に見つかって、カモを飼うなら出て行けと言われたらしい。親友と彼は、泣く泣く、他にもカモがいっぱいいる、大きな公園の池に、へっちを放した。そして、次の休みの日に、二人はその池に行ってみたが、いくら探しても、へっちらしいカモはいなかったという。

 どこへ行ったんだ、へっち。私はそれから「交番」を見るたび、へっちを思い出して辛くなる。スーパーの「合鴨」の肉のコーナーは、目をそむけて走り去る。弟の結婚式で食べた肉が「合鴨」だったらしい。美味しかったのがとてもカナシイ。一生の不覚だ。

 それから、十数年経った。

 先日、テレビのワイドショーをぼんやり見ていたら、ニュースのコーナーが始まった。
「‥東京都○○区○○の駅前の派出所に、中学生の男子生徒が、鉄パイプを持って乱入。
派出所のガラスを割るなど、大暴れをして、取り押さえられました。調べによると、この中学生は、この派出所の警察官に、以前職務質問を受けたことがあり、その訊き方に相当な恨みを持っていたということで、仕返しとして、今回の犯行に及んだ模様です。では、次‥‥」

 映し出されたその交番は、まさしくあの交番そのものだった。

 この少年は、お巡りさんに勝ったのか、負けたのか。これって‥‥どう考えたらいいのか。細かな、やっちゃいけないことをいっぱいやっているのは私達の方。少年がやったことも、悪いことなのではあるが‥。

 まずは、心の中で小さくパチパチと手を叩く、小心者の私なのだった。