おっさんのつぶやき17

「癒し」に貢献できる医師とは

医師は患者の治療に誠心誠意をもってあたるが、
患者の心や魂の問題にはふみこまないという風潮が支配的である。
ある意味ではこういう風潮があるのも仕方がないのかもしれない。
医療行為を専門知識や技術のみに限定したほうが、心理的には楽であり、
どこからも文句は言われないし、煩わしさは防げるのである。
多くの医師は、患者とのあいだに一定の距離を保ち、
深い関わりを持とうとしない。
気難しそうで超然とした態度を身につけ、
患者と感情的に距離を置くことによって、
良い治療ができると考えている。
医師という重責を考えるとそれで良いと信じがちである。
しかし、こういう態度のままでは患者さんの「癒し」に
貢献することは出来ないであろう。

ある患者さんの状況を考えてみよう。
この患者さんは脳卒中にかかり片麻痺が残り、
自分の将来に絶望感をもって入院していた。
A 医師がベッドサイドに来たあとは、
治るような希望が湧き、
B 医師がベッドサイドに来たあとは、
もう自分はだめなんだと感じてしまう。
こういうことは現実に多く存在するはずである。
A 医師も、B 医師も、誠意をもって診療していたとしても、
このような違いが出てしまうことがある。
医師の信念が治療の結果を左右する事実は良く経験することである。
「癒し」に貢献できる医師になるためには、
立派な人格者になるにこしたことはないが、
そうでなくてもよいはずである。
患者の肉体を治すことだけが治療ではなく、
自分もまた必ずいつか死ぬ人間として、
患者と同じ立場に立って、医療を行うとき、
表面に見える行為は同じでも、「人間としての患者」への癒しに、
大きく貢献出来るであろう。

癒しを求める患者さんにとっては、
「その医師の前にいて自分が快く感じるかどうか、これが医師を選ぶ決め手である」
と言えるかもしれない。

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