おっさんのつぶやき22

「こわさ」について

「こわさ」とは

私の診療にはいろいろな疾患の患者さんが診察にみえられます。
種々の基礎疾患以外にも過敏性腸症候群、不安神経症、過換気症候群、うつ病、心身症、等の病名が診療上ついている方が大変多くいらっしゃいます。
これらの患者さんの話を聞いていて感じるのはみなさんが「こわさ」を訴えられることです。
こわいから何も出来ないとおっしゃいます。
しかしこの「こわさ」の程度が異常かというとそうではなく、一般の方が感じる「こわさ」とたいして変わらないのです。
何が違うのかと言うと、この「こわさ」の処理の仕方が違うように思います。

度胸や積極性をはばむものは、「こわい」という心理であると思います。
何かがこわいから行動力にブレ−キがかかるのです。
「不安」や「心配」というものも広い意味で「こわい」に含められると思いますので、この「こわい」さえ処理できれば度胸も積極性も出てくるはずです。

人はさまざまなことに「こわさ」を感じています。
初めての人に会うとき、初めての場所に行くとき、偉い人に会うとき、初めての仕事をするとき、初めて結婚するとき、飛行機にのるときなどさまざまな場面で「こわさ」を感じるでしょう。
もっと日常の生活の中でも多少の不安を感じていることはたくさんあると思います。
しかし、一般の人はこの「こわい」という気持ちがあっても、たとえば仕事仕事で心がいっぱいで、その「こわさ」を意識する暇が無かったり、期待や希望の方が「こわさ」より量的にはるかに上まわるから、不安な心情がうち消され抵抗なしにやっていけるのだと思います。
決して「こわさ」を克服しているわけではないのです。

ところが、「こわさ」を訴えられる患者さんたちは、このだれもが感じる主観的な心情を正面から見つめ、相手にし、克服しようとしています。
こわいままでいいのにその心理に逆らおうとしています。
「こわさ」はどうにかできるものではないのに、「こんなことではだめだ。こわさを感じない人間にならなければ」と反省しています。(内省癖というものです)
この内省癖が一番問題だと思います。
完全主義、完全欲、100点主義に間違いがあります。
本当の度胸は「こわい」を否定することではなく、「こわい」を認めることから生まれるのです。

自信がないといって行動をためらう人がいます。
しかし、100%の自信を持って行動する人などこの世にいるはずがありません。
だれだって自信はないのです。自信はないけどとにかくやる。それが人生ではないでしょうか。
私も患者さんと話をするときいつもこわさを感じています。自信もありません。
この先何十年診療を積み重ねても、おそらく診察の時はこわさを感じ続けるでしょう。
こわいから度胸がないのではなく、「自信がないままにやる」こと、これがほんとうの度胸であると思います。

疾患をもった患者さんが病気の再発や症状の再燃をこわいと感じるのは当然のことですが、その「こわさ」の処理が間違っているために何倍も辛い思いをし、有意義な人生をおくれないでいるのは不幸なことです。
それぞれの人が十分な自己発現が出来るように、「こわさ」に対する発想の転換が必要と思います。

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