第184回

60歳 Tさんの死

02.1.14

60歳 Tさんの死

60歳のTさんは肝内胆管癌が発見されました。
黄疸で気づき、検査の結果悪性疾患であることが判明しました。
Tさんは私の実家の近くの方で私が子供ののころからよく知っていた女性でした。
いわゆる近所のおばちゃんでした。
検査治療のため入院され私が主治医として診させていただくことになりました。
残念ながら発見されたとき肝内胆管癌は手術や化学療法などの有効な治療ができない末期の状態でした。
入院後短期間のうちに黄疸は急速に増悪し、腹水貯留も進み歩行も困難になってしまいました。
もともとTさんは地域の世話役などを積極的にされるたいへん活発で社交的な女性でした。
私は病名を告知するべきかどうか迷いました。
すでに末期癌で本人にとって意味がないので病名は告げないで欲しいというご家族の希望でした。
私はご家族の希望通り本人には肝炎と説明しました。
しばらく黄疸や腹水で全身状態が悪いが必ずよくなると嘘をつきました。
告知しないということは結局みんなで嘘をつくということなのです。
一つの嘘が次の嘘をつかせます。
いろいろな矛盾が出てきますが結局ごまかし続ける状態が続いていました。
その当時私も経験が浅く、ただ死ぬのを待つだけの状態の患者さんに真実を告知するのはかわいそうであると思っていました。
どんなに肝っ玉がすわっている方でもこの真実に耐えることは出来ないだろうと思っていました。
それで家族の希望通り本当の病名は告げずに肝炎と嘘をついていました。
いよいよ全身状態が悪くなり黄疸が著明になり、腹水がひどくベッドから動けなくなりました。
家族にはあと1週間くらいしか生きられないでしょうと説明しました。
その数日後Tさんは私に腹水を抜いて下さいと頼んできました。
腹水が減って動けるようになったら1時間でいいから自宅に帰りたいと訴えました。
私は肝炎がもう少しよくなってから帰られたらいかがですかと言いましたがどうしても帰りたいと頼まれました。
私は腹水穿刺をしてある程度の腹水を抜いてあげました。
それでもまだ大量の腹水がたまっており腹囲は100cmほどありました。
お腹は大きくても足は長期臥床のためやせ細っていました。
お腹をかかえやっと歩ける状態でした。
娘さんが迎えに来られ2〜3時間の約束で自宅へ返しました。
自宅につくとTさんは娘さんに買い物を頼みました。
娘さんが買い物に出かけている2時間の間にTさんは腹水のたまったお腹をかかえてなんと自宅の大掃除をし、庭の草をきれいに抜いてしまいました。
病院に帰って来られたTさんはぐったりして眠ってしまいました。
その後ほとんど動けなくなり全身状態は急速に悪化しました。
血圧も徐々に下がってきました。
私は家族に今夜が峠でしょうと説明しました。
Tさんの目が覚めたとき私は Tさんに声をかけました。
「自宅の掃除きつかったですね」
すると Tさんはわたしにほほ笑みながらおっしゃいました。
「先生こそきつかったですね。私のために嘘をつくのはさぞかしお辛かったでしょう。ありがとう。感謝してます。最後に葬式の準備も自分でできました。わがままを許して下さって本当にありがとう。」

最後の力を振り絞って自分の葬式の準備としての自宅の掃除をしたかったのでしょう。娘さんの話では自宅の畳はすべてきれいにふきあげてあったようです。

Tさんは翌日の朝方家族の見守るなか息をひきとりました。
すっきりしたお顔でこの世を去られました。
Tさんはすべてお見通しでした。
主治医、看護婦、家族の嘘は分かっていながらだまされたふりをされていました。
癌の告知については積極的にする時代になってきましたが、私はこの Tさんの経験からまだ告知については迷っているのが現状です。
この Tさんは告知していないのにすべてお見通しでした。
Tさんの場合告知したほうがよかったのか、これでよかったのか、いまだに分かりません。
しかし、私にありがとうと言って帰らぬ人となりました。

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