臓器移植について
1997年に「臓器の移植に関する法律(平成9年法律第104号)」が成立しました。
日本の臓器移植の歴史を考えてみると、1968年の和田心臓移植が最初のように思われていますが、実際には、死体肝移植はそれより4年前の1964年に千葉大学(中山恒明)で行われ、死体腎移植は1965年に四方統男により開始されています。そして、1965年には日本移植学会が設立さています。日本の最初の臓器移植から30年以上かかって臓器移植法が成立したわけです。
しかし、臓器移植は近代の革命的な医療技術の一つであると言えますが、移植についての人間の願望はかなり古くからあった様で、今から500年前に「ガス壊疽に陥った城の門番の足を切り落とし、死んだムーア人の足を移植した」という記録が残っているようです。
もちろん成功したはずがありません。
心臓、肺、肝臓、膵臓、腎臓など、体を構成している重要な臓器が機能不全に陥り、もはや回復不可能となった場合、通常われわれは死を覚悟しなければなりません。しかし、臓器移植は自己以外の臓器を移植することにより、生命を維持させ、健康を取り戻す事を可能にした高度な医療技術なのです。
しかし、この臓器移植はなかなかうまくいきませんでした。拒絶反応という大きな壁があったからです。この壁を克服したのはここ20年くらいのことです。シクロスポリンという薬が開発され臓器移植は容易に成功するようになりました。
このように、いかに医療が進歩して、移植した臓器を安定した状態で生着させることができたとしても、臓器を提供するドナーが現れなければ、臓器移植の発展はあり得ないでしょう。
1999年2月から6月にかけて、法施行後始めての脳死者からの臓器提供が行われました。しかし、実はその直前に臓器提供を考えるうえで大事な出来事がありました。それは、三沢基地の米軍の家族で、16歳になるお嬢さんが事故に合い脳死となったことです。家族は日本での全臓器の提供を希望しましたが、本人が意思表示カードをもっていなかったことから、脳死による提供は法的に不可能とされました。それでも、家族は諦めきれずに、彼女を飛行機でハワイまで運び、そこで臓器を提供したたのです。
高知での第1例目の脳死臓器の提供はマスコミに大きくとりあげられましたので記憶に新しいと思います。この家族の場合は、多大な精神的苦痛を受けながらも、故人の意志を生かすために臓器提供を貫き通しました。マスコミの調査では、このことに影響を受けて、多くの人々が意思表示カードを持つようになったという結果が出ています。
人の死によって成り立つ臓器移植は、正に生命倫理の根幹を問うものであります。
移植が倫理的に正当であるとしても、それは個人の自由を制限するものではなく、当然のことながら、臓器提供を拒否する権利は認められなければなりません。臓器提供を承諾することも、拒否することも「個人の権利」なのです。
「臓器提供とは」を考えてみると、これも正しく「個人の権利」に外ならないのであります。そうである限り、何人もこれを犯すことができないことは当然と言えるのではないでしょうか。
今後この臓器移植は試行錯誤しながら徐々に症例を重ねていくでしょう。
医療技術はどんどん発展するでしょう。
そして、脳死判定も法的にスム−ズに処理され分かり易くなるでしょう。
しかし、臓器提供に関する個人の権利は絶対に犯してはならないと思います。