何かの参考になればいいのですが
目黒の秋刀魚・・・
落語でおなじみの「目黒の秋刀魚」の話です。
ある大名が目黒へ狩に出かけたとき一軒の農家に立ち寄ったところ、
昼食時にサンマを出された。そのあまりの美味さが忘れられず、自邸
に帰ってからサンマを所望して食べたところ、すっかり油を抜いて焼
いたので、それほどではなかった。そこで、その大名いわく「やはり
サンマは目黒にかぎるゾ」。・・・・・・・・・・・・・・・・・・
いや〜、旬のサンマは七輪で焼いて食べるのが一番ですよね。
自分の不幸を言う人は、人の気持ちが判らない・・
不幸の自慢屋さんという人がいる。
人間関係のトラブル、仕事の悩み、体の不調、何でもかんでも「聞いて
聞いて、私ってこんなに不幸、こんなに不運」とばかりに喋る。
こういう人は、人の不幸など聞く耳を持たない。私の不幸に比べれば
たいしたことないと思っている。それで自分が如何に大変か、いかに
可哀想かをアピールする。人の痛みを自分の痛みより軽く見る人は、
結局は誰からも自分の痛みをわかってもらえなくなる。痛みの感じ方
に、私より軽いも重いもない。・・・・・・心当たりありませんか?
自分の考え方次第で・・・
人生なんてツマンナイ、世の中なんてツマンナイ、と思っている人は、
自分がツマンナイ方にスポットをあてて、ツマンナイ側から見ている
んだ、ということを感じたらいいですね。あなたの「観念」を、あなた
が見たい側から見ているだけのこと、なんですから。
アーロン収容所での会話・・・
アーロン収容所とは、戦後、日本軍捕虜を収容する為にビルマの
ラングーン付近に作られたものである。そこの収容所で交わされた
日本軍将校とイギリス軍将校の会話を聞いた元京都大学教授の
会田雄次氏が自著で述べられているものです。
日本軍将校⇒日本が戦争を起こしたのは申し訳ないことであった。
これからは仲良くしたい。
イギリス軍将校⇒君は奴隷か。奴隷だったのか。
『我々は我々の祖国の行動を正しいと思って戦った。君達も自分の
国を正しいと思って戦ったのだろう。負けたらすぐ悪かったと思う
ほどその信念は頼りなかったのか。それともただ主人の命令だった
から悪いと知りつつ戦ったのか。負けたらすぐ勝者のご機嫌をとるのか。
そういう人は奴隷であってサムライではない。我々は多くの戦友を
このビルマ戦線で失った。私は彼らが奴隷と戦って死んだとは思い
たくない。私達は日本の侍と戦って勝ったことを誇りとしているのだ。
そういう情けないことは言ってくれるな。』
会田雄次著:アーロン収容所より
何か、グサリと胸に刺さる会話である。
夏みかんが何故?
以前から疑問に思っていたが、旧家の庭先を見ると大抵、夏みかん
が植えられている。別に食べるだけの物ではないらしいのだが・・・・
そしたら、たまたま読んでいた本(本の名は失念)に、その答えを
見つけました。夏みかんは実がふくらむ頃には次の実が小さく用意
されているという。これは、家系が連綿と続く事を願っての事だ
そうです。
江戸時代のこぼれ話・・・・
江戸時代には、医者と産婆に特権を与えていた。例えば大名行列は、
権威のあるもので、行列の途中を横切る事を許さず、うっかり横切る
と斬られていたが、産婆には大名行列を横断する権利を与えていた。
それは人命に関わる、緊急を要する職業だからである。産婆は得意
になって、悠々と大名行列を横切っていく。それを川柳では・・・・
大名を胴切りにする取り上げ婆
といっている。この話は、勝海舟が明治の世になって余りにも徳川
政治を非難するので、徳川幕府はこういう粋な政もやっていたんだ
よ。と明治政府を皮肉って語ったものである。・・・氷川清話より
地球の自転速度・・・
その速さは、日本においては時速約1370キロ、赤道に
いたっては約1700キロにもなる。これほど凄いスピード
なのに振り落とされないのが不思議な位ですが、これは
勿論、地球の引力のお陰ですよね。動いている事を実感
できないのは、それだけ滑らかに動いている事と飛行機
に乗って高高度を飛んでいる時など、全くスピード感が
ないですよね。原理はそれと同じです。
自己流養生訓・・・
人間の体を、畑に例えて言えば全く鍬を入れないで置くと
畑の土が固くなってしまって、いくら肥料を上げても養分
の吸収率は悪くなる。同じように、人間の体が堅いといくら
健康に良い物を摂っても栄養分の吸収率は低くなるような気
がします。そこで始めたのが約10分間の柔軟体操。お陰さま
で最近は、体も軽くなり内臓の調子も良く食事が美味しく
なりました。
何故、鰹のタタキは皮を焼くか・・・
勿論、美味しくする為です。本当に美味しい季節は秋なのです
が初鰹といって、脂の乗っていない春に食べるので、堅くて味
が悪い。しかし、ちょっと焼くだけで身が緩んで柔らかくなり、
生臭さも取れるので美味しくなります。その始まりは、オランダ
と交易をしていた頃に土佐にやってきたオランダ人が、魚をステ
ーキのように焼いてみたらどうかと云ったのが始まりらしい?
人生に於いて、夢や希望を実現できる幸福のほかに、人間として
喜びをかみしめる事ができる幸福が、3つある。それは・・・・
@体と心が健康である幸福
A家庭の幸福
B適度に財産が満たされる幸福
この3つの幸福のうち「家庭の幸福」は、家庭の中で次世代へ受け
継がれていく、精神的な財産・糧となる。それは「慈しみ」「敬愛」
の心で父・母や子孫に接する事。そうした温かい心が、子供への
無言の教育、教えとなるのだ。
紫陽花・・・
雨に濡れた紫陽花、綺麗ですね。色も緑から青に変わる姿が
印象的ですが、あれは花の色を構成している物質の中の葉緑素
やカロチノイド(黄色)が分解した後に残されるフラボンの
せいなのです。やがて葉が茂ってくると、光合成で糖分が作られ
これが花にまわって赤くなる。そして、最後は細胞液の酸で
マグネシュウムが分解しカリウムと結合して紫色になる。
このように花の色がどんどん変わるので紫陽花の花言葉は
「移り気」。
日本人の気概・・・
「平和主義」を唱え、戦争反対を叫び続ける人達は
世界の平和を守るために、自分達は何を為すべきか
という義務には目をつけず、ただ「戦争反対」、「戦争怖い」
という感傷と恐怖を口にするだけにすぎない。平和は
願うだけでお出ましいただけるような簡単なものでは
ない。過去に「平和主義者や反戦主義者」達が殺戮や
戦争を止めることは勿論、それに多少のブレーキを
かけたと胸を張って云えるような具体的な事例が
あっただろうか? 平和を守るためには、時に血を流す
必要もあることを忘れてはいけない。気概を取り戻せ!!
雪隠の由来:昔、中国のセッコウ省、臨案府に雪隠というお寺が
あったが、これがトイレの隠語の元だと言われている。このお寺
には便所掃除係のお坊さんがいたが、ある時転勤になった。
転勤先のお寺では新参者をからかって「雪隠寺の便所坊主」と
よんだ。そしていつの間にやら雪隠はトイレの隠語となったので
ある。日本には鎌倉時代に伝わった。
「信念」という言葉は非常にいいことのように世間ではいう
が本当に立派な信念は百人中一人ぐらいにしかないものです。
あとの99人の信念は、本人は信念と思っているが、所詮は
固定観念であり、単なる思いこみにすぎない。
あなたにとっていい人とは・・・
あなたにとって、「いい人」って、どんな人ですか?
簡単ですね。無条件であなたを受け入れてくれる人ですね。
自分のことを肯定的に見てくれて、話は最後まで聞いてくれて
いつでも付き合ってくれる人。つまり、自分の出したいゴミを
いつでも無条件で受け取ってくれる人が、いい人。そうですね。
では、反対に、いやな人、嫌いな人とは?
「私がこんなに悩んでいるのに、私の話を聞いてくれようとも
しない人」。つまり、ゴミを受け取ってくれない人。
人は、自分のゴミを、誰かに受け取って貰いたいんです。
そういう人がいなければ、生きていけない位です。
自分のゴミを受け取ってくれる人は、大事な大事な人です。
そんな大事な人に、いつまでもゴミを渡し続ける自分を、
どのように感じますか。
人の生涯、何事に寄らず、もうお終いと思うなかれ
未だかつて始めらしき始めを持たざるを思うべし。
成功は一部の霊感と九分の流汗による。
退屈は死の予告と知るべし。
天下害無ければ、聖人有りと雖も、才を施すところ無し。
上下和同せば、賢者有りと雖も、功を立つるところ無し。
故に曰く
「時」異なれば「事」異なる。時を得るものは栄え
時を失うものは滅ぶ。
徳に順う者は栄え、徳に逆らう者は滅ぶ。
IF(イフ)に頼るから身の置き場がなくなる。
かつての零戦パイロットの坂井三郎氏はご自分の体験として
次のように言われていた。
死んでいく若者を多く看取ったが彼らが死んでいく時
必ず、お母さんと呼ぶ。しかし、空中戦など真剣勝負で
勝った時は、必ず親父どうだ。と言うそうである。
植民地になってしまった国の特徴は、国民に国のためなら
命を捧げるといった強い意志、国に対する誇りがない場合
がほとんどなのである。国に対する誇りがないから、力の
強いものが入ってくると、途端に卑屈になってしまう。
実務能力に欠けたマルクスの家系
実務に携わったことのある人ならば、具体的に変えることを
考える。そういう意味ではスペンサーの方が、現実社会と
いうものをずっとよく知っていた。マルクスの娘がオックス
フォード・イングリッシュ・ディクショナリーの政策に携わって
いたのだが一番仕事にだらしなかったといわれている。