沖縄一周旅行
 〜 1年間のお疲れ様、そして10年ぶりに修学旅行の地をたどる! 〜

   地図

   日程

1日目 318日(金) 那覇


羽田空港

11:50 出発
12:25
 町田BC
13:35
 羽田空港
14:40
 離陸
17:20
 那覇空港

昼間の出発は初めて。
リムジンバスで羽田空港へ。
飛行機を使った旅、18切符類を使用しない旅も初めて!


道の駅かでな

17:40 送迎
19:00
 道の駅・かでな
19:45
 夕食(花織そば)
21:00
 宿泊・読谷(やーにんじゅう)

やーにんじゅうのオーナーに迎に来て頂く。
空港から読谷は1時間。非常にありがたい。
しかも途中で道の駅かでなに寄って頂けた。夜なので静か。
夕食はるるぶにものる名店。花織(はなうり)は、織物のこと。
宿は共用スペースもあり、同じ宿泊客の方と情報交換ができた。
アメリカから来ている方もいて、海外への興味がわいた。

 

2日目 319日(土) 読谷(よみたん)


シムクガマ

7:30 起床
9:30
 読谷村観光協会・レンタルサイクリング(電動)
10:20
 @チビチリガマ
11:20
 Aシムクガマ

アジア太平洋戦争でアメリカ軍が上陸した地・読谷。
国家による集団死があったチビチリガマ。
ハワイ帰りの老人2人のおかげで全員生還したシムクガマ。
シムクガマは看板もなく、地元の人に聞いて農道を入る。
地元の人は、小学校の遠足で入ったことがあるとか。


残波岬近くのビーチ


12:30
 B座喜味城・昼食
13:40
 C読谷村立歴史民俗資料館
16:50
 残波岬
19:40
 宿泊・読谷(やーにんじゅう)

沖縄の城(ぐすく)は、石垣ではなく城壁。
日本より中国文化の影響が強いことを改めて感じる。
建物は残って居らず、城壁の上に階段で上ると絶景!
残波(ざんば)は読谷の先っぽ。灯台もある。
この名の泡盛を、この旅でよく飲む。
資料館では、亀甲墓と破風墓(はふーぼ)の違いを知る。

 

3日目 320日(日) 今帰仁(なきじん)


琉球村

6:30 起床
8:30
 @琉球村
11:50
 A名護博物館

帰りもやーにんじゅうのオーナに送ってもらう。
琉球村ではハブショーを見る。
様相も10年前と変わって居らず、今回はゆっくり見られた。
ここで初めてバスに乗る。手をあげる、早く行ってしまうというのは古い!
今時のバスは、神奈中以上に正確!びっくりした!


今帰仁城

13:00 昼食
14:15
 B今帰仁城
16:31
 本部港(もとぶ)
17:30
 伊江港
18:00
 宿泊・伊江島(伊江島ゲストハウス)

名護十字路のバス停が複数有り、1本乗り過ごしてしまう。
食堂には、先日聞いたようにアイスコーヒーとティーがセルフであった!
今帰仁城は、バス停から1キロ。ずっと登り。雨も降った。
へとへとで、資料館もあり、あまりゆっくり見られなかった。
本部港からフェリーで伊江島へ!
夜は地元の人と宴会!航路の話など、ためになった!

 

4日目 321日(月・祝) 伊江島


ヌチドゥタカラの家 反戦平和資料館

6:20 起床
9:00
 @伊江ビーチ
10:00
 Aヌチドゥタカラの家(反戦平和資料館)

昨晩、泡盛を飲み過ぎたせいか、かなり疲れが出る。
ビーチでさんごを拾いながら一眠り。
反戦平和資料館は気合いが必要と思い、体調を整える。
しかし、資料館はお金を払ったら、電気を自分でつけて入るとのこと。他に人もなく、じっくり2時間30分見ることができた。
伊江島の戦中・戦後の展示。戦中の焼夷弾など。
戦後は、土地強制収容と反発。当時の横断幕がずらり。
権利意識の高さの源泉をここに感じた。


湧川(ワジー)

13:30 昼食
14:30
 Bリリーフィールド(石灰岩を展望)
16:00
 C湧川(ワジー)展望台and崖下
17:00
 D団結道場(米軍土地強制収容への対抗)
17:15
 E伊江島補助飛行場(米軍)
17:30
 F寺
18:00
 Gニャティヤ洞
19:00
 夕食(伊江島牛)
21:00
 宿泊・伊江島(伊江島ゲストハウス)

昼食後昼寝。ゴルフに来ていた同じ宿泊客に見つかる。
湧川は絶景!岩が黒い!先に行くと下る道があったので下る。
その道は、相模原公園から原当麻に下るような急な坂。
恐ろしいほどスピードがでる。虫がすごくとんでいた。
帰りは登りだけど、景色が良かったので、さほど苦ではなかった。
補助飛行場は、ひろーい道。農道でもあった。
寺は墓地がない。飛鳥寺以来だ。
夕食は伊江島牛のハンバーグ。1,000円でサラダ・野菜スープ・ライス・巨大ハンバーグという、かなりのボリューム。
この旅でソーキそば・沖縄そばについでおいしかったかもしれない。
夜は民泊を主催している方からお話を聞く。
沖縄は砂糖などを薩摩に「搾取」されたことを忘れてはいけない。
その後、心も体も疲れがピークに。他の宿泊客に少しきれてしまう。
でも、そこで教わったことは、「自分に自信をもつ」ことを教えてくれ、かけがいのない出来事となった。

 

5日目 322日(火) 美ら海


美ら海水族館

6:20 起床
7:30
 伊江港
8:30
 本部港
9:00
 @美ら海水族館・イルカショー

オーナーより、「今度は彼女と来てね」と言われる。
がんばんなければならない。
修学旅行で最もよく行くところが「美ら海水族館」。
水族館に興味はなかったが、ここに行って随分見方が変わった。
写真はジンベイザメ。和服のジンベイのような模様をしているため。
コバンザメがくっついている。最初は子どもかと思った。
歯は小さく、凶暴さは少ない。3匹いた。これが目玉だ。


コザ(沖縄市)

13:00 昼食
13:30
 A海洋文化館
15:01
 出発・名護十字路・コザ・与那原
19:30
 宿泊・与那原(民宿アガイ浜)

美ら海→名護十字路→コザ→与那原。
3
つのバスを乗り継ぐ。大量の小銭を用意したつもりだった。
しかし、1,000円札が欠けていて、コザで200円不足してしまう。
バス内では2,000円以上は両替できない。非常に気まずい。
3
つ目となったアガイ浜では、同世代の人たちとパーティー。
偶然、スタッフの送別会と重なり、寿司が出てラッキーだった!
エイサーや文化の話をたくさん聞けて、同世代だったこともあり、とても楽しかった!
年下の人を年上と思うほど、皆さんが立派に見えた。

 

6日目 323日(水) 南城


せーふぁーうたき

7:30 起床
9:00
 @せーふぁーうたき

何でもない「石」や「場所」が聖地になる。
沖縄に古くから伝わる聖地を「うたき」という。
せーふぁーうたきは、琉球王朝の聖地でもある。
本来、聖地を守るため城(ぐすく)ができたという。
ここは本来は男子禁制(王を除く)。
近くの久高島(くだかじま)は、男が来ると住民ににらまれたらしい。
住んでいる男性住民は別とか。


糸数アブチラガマ

13:00 昼食
14:00
 A糸数アブチラガマ
17:00
 出発→徒歩で宿へ
18:30
 宿泊・八重瀬(ゲストハウス海ぬ風)

この旅で最も勉強になったところ。それが糸数アブチラガマ。
細長いガマに、母親と同じ年くらいのガイド付きで入る。
色々質問しすぎて、本来の倍の2時間かかる。
途中で係の人が心配して様子を見に来たほどだった。
自分たちは「生かされている」ことを忘れてはならない。
戦争のため、生きたくても生きられなかった人が大勢いる。
このことを、修学旅行でも伝えていきたい。
ちなみにここは、南風原(はえばる)陸軍病院の分室が置かれ、ひめゆり部隊(師範学校の女子高校生たち)が活躍したところでもある。

 

7日目 324日(木) 糸満


平和の礎(いしじ)

6:30 起床
9:45
 @平和の礎
11:00
 A沖縄県平和祈念資料館

沖縄から世界へ「平和」を発信する。
戦後50年につくられた平和の礎。
日本人以外に、韓国、アメリカ、イギリスなどの戦死者も刻む。
資料館もじっくり見た。
戦後本土から切り離され、見捨てられてしまった沖縄。
基地が残った返還後、沖縄県民は今でも苦しんでいる。


摩文仁(まぶに)の丘

13:50 昼食
14:30
 B忠魂の碑・摩文仁の丘・自決の壕
18:00
 Cひめゆりの塔
19:30
 宿泊・八重瀬(ゲストハウス海ぬ風)

店のおじさんがのんきに野球をしていた。
「あとで一緒にやろう」。ん〜いい感じ。
摩文仁の丘。10年間ずっと勘違いをしていた。
平和の礎があるところを、摩文仁と思いこんでいた。
摩文仁の丘の休憩所の真下のガマで、牛島満が自決した。
花売りのおばあさんが、当時遠いところでもにおいがすごかったという。
このおばあさんは、「牛島先生」と呼んでいた。
地元での牛島の評価を聞くと、半々とのこと。
さらに戦争の話となると、「目を光らせて話す。止まらなくなる」とおっしゃるので、あえて聞かなかった。
当たり前だが、こうした話を聞くには立ち話ではなく、きちんとした心構えが必要とあとで思った。
自転車の荷台のひもがからまり30分格闘。
さらにとめた場所を勘違いして行方不明となる。結局公園の人により見つかる。
そもそも、サビだらけの、鍵もかからない自転車を貸す方が悪い。
せめて、「これでも良いか」くらいは聞いてほしかった。
さらに部屋の突然の変更。さすがにオーナーに叱った。
(そりゃ、年上の人だし、迷いもあったが、自分のすることに自信をもった)
「言うときは言う」。それを学んだのも、この旅行の成果だ。

 

8日目 325日(金) 玉泉洞


喜屋武(きゃん)岬

7:20 起床
9:00
 @喜屋武岬
9:20
 A具志川城跡
10:30
 Bおきなわワールド玉泉洞・王国村

先日の部屋移動のため、無料で喜屋武岬へ連れて行って頂く。
ここで住民たちが追いつめられた。そう思うと、悲しいところだ。
石質が他とは異なり、戦争さえなければ観光地だっただろう。
戦争なんてイヤなものだ。
オーナーは、弾丸が海岸にまだ落ちているとのこと。
でも持ち帰ってはダメ。それに当たって亡くなった人がいるかもしれないから。その言葉が印象的だった。
具志川城跡は、この旅一番の絶景!


玉泉洞

13:00 昼食
16:00
 C沖縄県立博物館
20:00
 宿泊・那覇(スーパーホテル)

ひめゆり資料館が臨時閉館のため、急遽玉泉洞へ送ってもらう。
戦時中は、一部が水が満水。残りも鍾乳石が天井でとがっていて、いつ落ちてくるか分からないため、地元の人は避難壕として使わず、防空壕を掘っていたという。
水につかっていた出口(今の入口)は石が白く、最後の方は黒かった。
王国村は、古民家などもあるが、まさに「ショッピングモール」。
どんどん観光品を売りつけてくる。ちょっと悲しいような、いいような…。
昼食はアグーカツ丼。アグーは沖縄原産の黒豚。かなり貴重。
油がのっていて、とてもおいしかった。
豚は、北部から中部で主につくっているとのこと。この旅で一度も見ていない。
玉泉洞から那覇BCへのバスで寝る。今度は20円足りないが、BCの事務所で両替をして、すぐに支払う。スイカは便利と改めて思う。
ゆいレールに乗り、おもろまちへ。
県立博物館では1時間くらい寝てしまう。さすがに疲れが出てきた。
万国津梁(ばんこくしんりょう)の鐘の実物とご対面!うれしい!
夕食はチェックイン後に小禄でラーメン。博多風で非常においしかった。

 

9日目 326日(土) 首里


玉陵(たまうどぅん)

7:30 起床
10:20
 @首里城公園・園比屋武御嶽(ソンヒャンウタキ)

ゆいレール・首里駅から徒歩15分。
歓会門の手前に守礼門。これも、修学旅行のとき帰路だったため、てっきり帰りの門と勘違いしていた。
現在は経路がある程度決まっているが、王国時代はなかったようだ。
万国津梁の鐘のあった場所も復元されていた。
正殿は撮影OK!玉座で記念撮影!
お城のスタンプも、100番目の首里城をゲット!
大奥に当たる部分が、修復工事中だった。


国際通り

13:30 昼食
14:00
 A玉陵(たまうどぅん)
16:30
 B国際通り
19:30
 那覇空港
22:40
 羽田空港
24:30
 帰宅

昼食はこの旅ラストの沖縄そば。ソーキとあわせて5食食べた。
ゴーヤはそういえば1回だけだった。
玉陵は第2尚氏の墓地。破風墓。3つのうち、向かって左が王と王妃。
右が家族。中央は遺体安置所。12年くらい棺桶を置き、腐敗させてから洗骨をして、骨蔵器に入れておさめるという。
でも、なぜか1つだけ骨蔵器があり、それは昔誤って王に処刑された占い師のものではないかと言われている。
戦争で屋根がふっとんだが修復される。年数を経ると黒くなる。
元々は白い石灰岩のため、写真を見ると、黒と白の2色がある。
陸軍の司令部壕入口は、ソンヒャンウタキの真下にある。罰当たりだ。
看板も何もなく、地元の人に聞いて発見できた。
国際通り。10年前の修学旅行に行った場所は、これでほぼ全て行ったことになった。
路地にあまり入らなかったためか、豚の丸焼きなどはお目にかかれず。
でも、おきなわ屋本店でかんから三線(最後の1つ)を購入。
10000
円分買って送料無料とはお買い得!
県庁前の本屋で15,000円分の教育関係の書籍購入。
お金が不足し、ファミマでおろす!ファミマが近くにあってよかった!
この日は本など24冊を購入。1日辺りの購入数は旅行史上最大だ。
ゆいレールで那覇空港へ。小禄をすぎると、急に人が減った。
飛行機はがらがら。前後左右、全く人なし。
CAさんとも話ができ、飲み物も3回くれて、とても気持ちがよかった。
帰りのリムジンバスは、最終相模大野のため混んでいた。
相模大野から徒歩で帰宅。途中で日付が変わる。

9日間と短い旅ではあったが、何倍も生きた感じがした。
自分に自信をもつ。言うべき事は言う。生かされている。
色々学んだ「沖縄」の経験を、今後も様々なところで生かしていきたい。