under the one roof
ふとした疑問にマイクロトフはぶつかった。
講義の真っ最中だったのだが、一度浮かぶとそれはなかなか頭から離れてくれない。好きな教授の講義なのに全く頭に入ってくれないのが悔しいと思いながら、仕方なくマイクロトフは意識を確り切り替えることにした。
「よ、マイクロトフ。ずっと難しい顔して、どうかした?」
講義のあと、ひとけが捌けてから出ようと思っていたマイクロトフに、シーナがぽんと肩を叩いて声をかけてきた。
明るい髪色は評判の美容師にわざわざカットしてもらっているらしいが、ただ短いだけで何処にファッション的要素があるのかマイクロトフには分からない。また服装も到底理解しがたい今風のそれの一番極端な奴だ。シーナが言うにはどれも流行りのブランドらしいのだが、名前を言われても分からない。
もともと他国の高官だか大臣だかの子息らしいのだが、全くそうは見えない。この大学には留学して学びに来ているらしいのだが、彼が真面目に講義を取る姿は見たことがないし、いつも綺麗で可愛らしい女の子たちに取り囲まれている所しか知らない。
そんな彼が何故マイクロトフに気安く声をかけてくるかは、詳しくは知らないが、以前に何気なく訊くと『真面目な奴って、たまに話すると新鮮なんだ』とか、結局よく分からない返事をされた覚えがある。
「マイクロトフが講義を聴かずにぼんやりしてるのって珍しいじゃん」
なんか悩み事があるなら相談に乗るよ? 力になれないことはしないけど。そんな風にさばさばとしたシーナに苦笑をしてマイクロトフは首を振った。
「少し、気になることがあっただけだ。これから気掛かりを解決しに行くから相談の必要はない」
「へえ。で、これから何処へ行くわけ?」
「図書館だ」
「ふうん……、あ! なぁ図書館って言えば新しい司書が入ったじゃん。男前の」
マイクロトフ良く図書館行くだろ、知ってるか? と聞いて来るのに頷く。最近入った司書で男前と言えば一人しかいない。
「カミューか」
「あ、知ってんだ。なぁどんな奴? 恋人とかいそう?」
「何故そんなことを聞く」
思わず噎せそうになるのを堪えて、マイクロトフは顔を顰めてシーナを見返す。すると彼は何やらブツブツと言いながら指先をくるくると回している。
「だって女の子たちの間で評判でさー。気になるじゃん。もしフリーならちょっと警戒しとかないとガールフレンドが減っちゃいそうでさ」
そんなシーナの言葉にマイクロトフは眉根を寄せて首を振る。シーナの女の子と見れば口説くのが癖などという理解しがたい悪癖は知っているが、そこまで気を回しての行動とは知らなかった。
だがそれも杞憂だろう。いや、杞憂でなくては困る。
「その心配は無用だ。あいつにはもう恋人がいると女友達にも教えてやると良い」
「え、本当? って、相手知ってんの? やっぱ美人なのかな……だったら一度口説いてみたい…」
「シーナ」
「冗談だって、怒るなよ。でも、そっかいるんだ。じゃあ女の子たちの心変わりは心配ないな」
「そうだな」
良かったな。と告げてマイクロトフは鞄を掴むと早々にシーナから背を向ける。
「ではな、俺はもう行くぞ」
「うん。悪いね引き止めちゃって」
ご機嫌の声で送り出してくれるシーナにまたもや苦笑を浮かべてマイクロトフは教室を出た。ここからなら図書館までそう遠くない。顔を合わせたら、先ず何を言おうか……。図書館にいる男前の恋人の顔を思い浮かべながらそんなことをツラツラと考えつつ、ゆっくりと歩いた。
「カミュー。おまえ何処に住んでいる」
図書館に入ってくるなり開口一番にそう言ったマイクロトフに、カミューは笑顔のままポカンと固まった。場所は貸し出しカウンターの受付所である。そこに両手をついて座るカミューを見下ろしている瞳は何故か真剣で。
「え…?」
「この町に来たばかりだと言っていただろう。引越し先は何処だ」
「あれ…言ってなかったっけ」
「聞いとらん」
むすりとして言うマイクロトフに、カミューは「あれ?」とこめかみを指先でかく。
そう言えばこの町に来た初日はフリックの部屋に世話になって、その翌日から仕事を始めて、その夜にマイクロトフの部屋に泊まっちゃって。そのまた翌日もマイクロトフの部屋で、あれあれと言う間に恋人になって、そう言えば入り浸っていた。
取り敢えず前に住んでいた町から早々に移りたかったから、転職先を見つけるなり単身移ってきたのだ。だから荷物の多くは実は前のアパートに置きっ放しである。
だが一応、着替えや身の回りの細々としたものは持って来ている。それらは何処に置いてあるかと言えば。
「ホテル……なんだけど」
本当は直ぐにでも不動産屋に出向いて大学の近所に適当なアパートを借りるつもりでいたのだ。だがマイクロトフと出会って夢中になる余り失念していた。と言うか、一緒に居たくて、ホテルに荷物を取りに戻る時間すら惜しいのが現実で、不動産屋でアパートを探すのが面倒だったのだ。
しかしマイクロトフはそんなカミューの答えを聞いて目を瞠る。
「もしかしてずっとホテルを取っているのか…?」
「うん。大学の近所の」
本当はビジネスホテルが良かったのだが、観光ホテルしかなかったのが少々不満である。それでも近いので毎朝大学に通うのに便利なのだ。と思っていたら。
「ば、馬鹿かおまえは。なんという無駄遣いを……」
「え……」
「大学の近所と言えばグリンヒルホテルしかないではないか! あんな所にいったい何日……」
「一週間かな」
確かそのくらいだ、と答えたのに何故だかマイクロトフの返事がない。おや、と思って見上げるとあんぐりと口を開けて放心状態のマイクロトフがいた。
「マイクロトフ?」
どうしたの、とその目の前に手をかざそうとしたところで。
「馬鹿もんが、今すぐ引き払って来い!」
静かな図書館内にマイクロトフの怒鳴り声が響いたのであった。
そして。
「ね、マイクロトフ。本当に良いの?」
「さっきから何度もしつこいぞ」
「だって、信じられないんだもん」
マイクロトフの部屋にスーツケースを引いて入る時、この一週間弱でそろそろ邪魔し慣れたはずの部屋が何故か初めて入る部屋のような気がして。
だがそんなカミューの手から、ホテルから引き取ってきたバッグを取り上げてマイクロトフはずかずかと先に入って行ってしまう。その後を追ってカミューは何度も聞いた。
「本当に良いの?」
「良いと言っているだろうが!」
怒鳴り返されてカミューは流石にくどすぎたと肩を竦める。それでもまだ確かめたい気分は拭えない。
ホテルに部屋を取り続けるくらいなら、自分の部屋に来れば良いとマイクロトフが言ってくれたのだ。
狭い部屋だがカミュー一人くらいなら平気だと言って。
「俺はこれからバイトに行くからな。その間に荷物を整理しておけ」
「レオナさんのところ?」
「ああ」
「じゃあ、後で行っても良い?」
毎日行っているのだ。最初は店の奥で大人しくしているが、客が少なくなるとカウンターのマイクロトフの前に陣取って、楽しいひと時を過ごしている。ところが。
「駄目だ」
「な、なんでっ?」
そんな。この部屋に連れて来てくれたのは嬉しいが、その代わり店に来るなと言うつもりなのだろうか。もしかして迷惑だったのか……。そう落ち込みかけたカミューだったが、マイクロトフは不意に苦笑を浮かべてそんなカミューの頭を撫でた。
「早とちりするな。ずっと店で出すようなメニューばかり食べていたら身体に悪い。大体金も勿体無いだろうが」
確かにその通りで、毎晩酒と一緒に食べるつまみ程度のものが夕食代わりなのだ。確かに褒められた食生活ではない、と自覚していたもののそうでもしないとマイクロトフと一緒にいられないのだから仕方がない。
だがマイクロトフはそんな不安そうな顔をしているカミューに微苦笑を浮かべて、また鞄を拾い上げながら言った。
「休憩時間に戻ってくるから、ここで一緒に食わないか」
え、とカミューが顔を上げるとマイクロトフは扉に手をかけるところで、その背にカミューは慌てて呼びかけた。
「じゃ、じゃあ作って待ってる!」
「そうか? なら冷蔵庫のものは勝手に使って良いから」
「うん!」
バタンと閉じられた音。だがカミューの心は喜びに満ちていた。
「カミュー」
「ごめん……」
「いや、謝らなくとも良いが」
「うん、でもごめん……」
「料理が苦手ならそう言え」
「ごめん…」
「食えん事はないから、そう情けない顔をするな」
「うん……」
end
(under the one roof =『ひとつ屋根の下』(笑))
2003/07/21