Halloween Night


 万聖祭。
 ロックアックスでは毎年秋のこの頃になると行われる祭である。歴史は長く最初は一部地域の宗教的な行事のひとつだったものが、次第に広がり民俗化していったものだ。
 また収穫祭とも呼ばれているこの祭は、秋の実りの収穫を祝うと同時に亡き家族や友人を偲ぶ日でもある。だからか、この祭の前夜にはそんな人々の想いに引き寄せられてか悪鬼や小悪魔が徘徊するとも言われている。
 そんな存在に、祭に浮かれる子供たちが騙されて浚われたりしないように親達は、小悪魔たちを驚かせ退散させるために子らに特別の衣装を着せるのも、ずっと昔からのこの祭独特の慣わしだった。
 しかしマイクロトフが子供の頃から、この独特の衣装を着るのは別に子供に限った事ではなくなっていた。時代の移り変わりとでも言うのか、大人たちもまた子供たちに負けない奇抜な衣装を身に纏い、万聖祭の前夜には御馳走や酒に酔い痴れ、浮かれて騒ぐのである。

 自分も、暇な年はこうして仮装をして前夜祭に紛れ込んだりしたものだ。
 毎年祭の前になると店先にそれ用の衣装が並んだりするのだ。
 いつの時だったか、気紛れにそれを買ったのはカミューで、まだ十代だった自分とマイクロトフの分を手にして、これを着てこっそり街に出ようと誘われた。
 騎士服を脱いで、自分は黒尽くめのボロボロの服を纏って―――きっとこれはゾンビの衣装なのだろう―――帽子を目深にかぶり、カミューはやたらとびろびろしたすその長い衣装でご丁寧に木彫りの仮面までつけて―――あとから聞いたらソーサラーの衣装だった―――準備万端街に出た。
 街中、夜も遅いのにモンスターや伝説の魔物の衣装を着た子供たちが夜更かしを許されて菓子を頬張っているし、大人たちはこれ幸いと酒をくらって大騒ぎをしている。
 マイクロトフも、カミューと一緒にこの時ばかりは騎士である自分を少しだけ忘れて羽目を外した。仮面の空いた目元から覗くカミューの瞳と視線を合わせて、クスクス笑いながら。
 それから二人揃って、時間があればまた似たような格好をしてこの前夜祭に忍んでいた。
 時に忙しくて無理な年もあったし、去年はマチルダの地を離れて遠くデュナン湖の南西、ノースウィンドゥの城に居たからこの祭には参加できなかった。そもそも、ハイランドの占領下に置かれたこの街で祭自体が行われたかも謎である。
 しかし今年は。
 長年に渡る戦も終わりを告げ、漸く平和の訪れたこの地で。
 多くの哀しみが生まれ、それを乗り越えようとするこの年にこそこの祭は意味を成すのではないだろうか。
 疲弊しきった土地には、それでも作物は大地に深く根ざし実りをもたらした。戦によって多くを失った虚ろを埋めるかのように。

 街の人々は実に陽気に騒いでいる。
 その様をマイクロトフは、数年前と変わらぬボロボロの衣装を身に纏いながら、深くかぶった帽子の下から眺めていた。
 場所は街の中央広場にある彫刻のそばだ。
 縁石に腰掛けて、数刻前からずっとこうして街と人々とを眺めている。
 誰もゾンビ姿の青年を、マイクロトフだとは気付かない。
 カミューが探しだしてきた仮装の衣装は実に見事で、まったく上手い事マイクロトフを覆い隠してくれるのだ。

「楽しんでるかい、ゾンビさん」

 稀に、通り過ぎる人がそんな風に声をかけてくるのに、マイクロトフは無言で片手を掲げて答える。
 誰かを待つかのようにずっと動かずにいたなら、確かに気になるかも知れない。しかしマイクロトフは飽きる事無く目に映る風景を眺め続けていたのだ。
 平和なロックアックスの街を。
 そして陽気に騒ぐ笑顔の人々を。
 泣きたくなるような気持ちで。



「口が曲がってるよ、ゾンビ殿」

 不意に、間近からそんな声がかけられてマイクロトフはハッと顔を上げた。
「………カミュー、か…?」
 信じられないような気持ちで問いかけた先には、木彫りの仮面をかぶったソーサラー姿の男が居る。しかし、彼は仮面から覗いて見える目元と口元に笑みを滲ませて首を振った。
「だめだよ、今はソーサラーなんだからね。名前を呼んではいけないよ」
 人差し指を立てて、しぃっと笑う。
 マイクロトフは立ち上がると、その手を取って握り締めた。
「馬鹿な事を……くそ、俺は待ちくたびれたぞ」
「ああ本当だ。もう夜は寒いからね、手が冷たくなってるよ。待たせて悪かったよ」
 握った手をもう片方の手で更に上から握り込まれて、カミューがすまなそうに首を傾げた。それから、そんな手を自分の胸元に引き寄せてマイクロトフの目を覗き込む。
「でも、祭の夜はまだまだこれからだよ。今夜中いっぱい楽しもうか」
 ほら、あっちに屋台があるよ。お金持ってきてる?
 カミューがそう言いながらマイクロトフの手を引いて歩き出す。
 前を歩くその背中を、だが見ているだけではつまらないからマイクロトフは横に並んで歩き出した。
「小遣い銭なら沢山あるぞ。なんだったら奢ってやろうか」
 にやりと笑って繋いだ手を握り返すとカミューがふわりと笑った。
 え、ほんと? 嬉しいなぁ。さすが太っ腹。
 人を散々待ち侘びさせたことなどすっかり忘れたかのように笑う。だがその笑顔が憎めなくて、仮面越しでもそんなカミューの笑顔が溜まらなく好きで、マイクロトフは苦笑する。
「調子の良い奴め」
 一言、言ってやってからマイクロトフは屋台の前に立つ。
 それから二人、それこそ一晩中。ロックアックスの祭の夜を楽しんだ。





 そして、秋の星々がそろそろ西の空の向こう側に消えて行く頃。
 祭の喧騒は静寂へと変わっていた。

 相変わらずマイクロトフの手とカミューの手は繋いだままだった。
 二人は最初の場所へと戻ってきており、中央広場の彫刻の前で何故だか黙ったまま突っ立っていた。

「カミュー……」
「………」

 もう、カミューもしぃっと口を塞ぐような真似はしない。分かっているのだ。きっと。
 マイクロトフも、もう憚るつもりもなかった。

「カミュー、顔が見たい。見せてくれ」

 祈るように、繋いだ手だけを頼りにマイクロトフは願う。
 しかしカミューは緩く首を振った。

「だめだよマイクロトフ。俺はもう、戻るんだから、顔なんかもう―――」
「嫌だ」

 困らせているのは分かる。
 今夜が特別だった事も分かっている。
 朝になればこの魔法は解けてしまうのだ。
 それでも、願わずにはいられない。

 今夜の始まり。
 かつて彼と待ち合わせを良くしたあの場所に、まさか来てくれるとは思わなかった。
 確かに朝までも待つつもりだったけれど。
 だからこそ余計に嬉しくて。
 願いがひとつ、叶ったならもうひとつ、願いを叶えて欲しくて。

「カミュー……っ」

 繋いだままの手を離せずに、駄々をこねる自分が居る。

 カミューは仮面の奥で微笑を浮かべながら困り果てている。その空いた片手がまたそんなマイクロトフの手を上から包みこんだ。

「ごめん、マイクロトフ。泣かせるつもりで、戻ってきたんじゃなかったんだ」

 いつの間にか溢れ出した涙は頬をためらいなく滑り落ちて行く。
 泣くなんて情けない。
 だが、あの時涸れた筈の涙が、またこうして流れるくらい、今はまた哀しい。

「分かっている……これは、俺の我侭だ…」

 本当なら、また会えるはずが無かった。
 祭の夜が起こした奇跡だ。
 それでも。

「カミュー。最期にもう一度、顔を見せてくれ」

 繋いだ手からは間違いない温かな手の温もりが伝わってくるのに。これが一夜限りだなんて信じられない。

「マイクロトフ……」

 自分の名を呼んでくれる声だって、あの時と変わらないのに。

「ごめん、もう行かないと……」

 星の瞬きが白く薄くなっていく。
 刻限が迫っているのだ。
 途端にマイクロトフは胸を引き絞られる想いに喘いだ。

「だめだカミュー! 逝くなっ!!」

 叫ぶのに。

「ごめん、マイクロトフ」

 あっけないほど簡単に繋いだ手は解かれてしまう。
 所詮、死者を留めるのは無理なのだと、運命にそう言われているかのようで。

 だけどあの日。
 皇都ルルノイエが陥ちたあの日。
 崩れる城から逃げる時。
 皇王ジョウイ・ブライトを追おうとした同盟軍主を引き止めたカミューが。
 軍主の少年を庇うあまり、マイクロトフも必死になっていた。
 だから、気付くのが遅れた。

 崩れ落ちる瓦礫が、その身に降りかかるのが。

 カミュー。

 叫んだ声は、瓦礫と一緒に崩れた虚へと吸い込まれていった。



 それからカミューの行方は知れない。
 ただ分かったのは、絶望的だったという事だけ。



 いくら探しても見つからなかった。
 だからいつまでも諦めきれずに、この夜だってもしかしたら来てくれるかもしれないと、そんな馬鹿な期待を抱いてこの場所に座っていたのに。
 まさかこんな形で事実を突き付けられるとは思わなかった。

「カミュー……カミュー…っ…カミュー!」

 未明の夜に、マイクロトフの声だけが響く。

「嫌だ。逝くな、カミュー…! 逝くな!!」

 涙に滲む向こうではカミューが仮面の奥からひたむきな視線を向けてはくれるけれど、マイクロトフが見たいのはその顔だった。

「…本当にマイクロトフ。もう俺はいかないと……今夜は楽しかったよ。どうかお前はこれからも元気で…」

 まさしく別れの言葉を残して去っていこうとする男の顔が。

「待てカミュー!!」

 怒鳴ってマイクロトフは、これが最後だと消えかかろうとするカミューの手をもう一度掴んで握り締めた。
 ああ、まだ掴める。
 まだ奇跡は続いている。

「俺は、絶対に諦めん!」

 おまえを、カミューを諦めたりしない。

 心でそう強く誓ってマイクロトフは片方の手をカミューの仮面へと伸ばし、そして力任せに引き剥がした。

「う、わ……マイクロトフ…っ!」

 何をするんだ、との抗議の声は聞かずにマイクロトフは現れたカミューの顔に笑顔を浮かべる。
 変わらない、大好きなカミューのその顔。

「カミュー…っ」

 その首に縋りつき、驚いたままの顔に頬を寄せ口づける。
 触れた唇はやっぱりまだ温かくて、これが死者のものとは到底思えなかった。
 だが、奇跡はやぶられた。

 不意に腕の中の存在が掻き消えた。



「カミュー……?」

 何処に。

 きょろきょろと辺りを見回しても、そこにはマイクロトフ以外の誰の姿も無い。

「カミュー? カミュー!?」

 嘘だ。
 こんな。
 突然、予告もなく。
 嫌だ。





 絶叫が、未明の街に響き渡った。



 祭の夜が見せた幻想。
 万聖祭が起こした奇跡。

 だがそんなもの。

 マイクロトフは食い縛った歯の奥で呪いを吐いた。

 だが徐々に明るくなりゆく空が眩しくて、遣り切れず帽子を深くかぶると静まり返った通りの石畳を歩きだす。
 帰る場所はロックアックスの城。
 カミューのいない場所だ。

 疲れ果てた身体を引き摺るようにマイクロトフは、城の私室へと帰りつき、そして深い眠りに落ちた。





 だが。
 その数時間後。

 マチルダから遠く離れたルルノイエの廃墟跡で、見つかったのはまさしく奇跡の体現。
 眠るマイクロトフの元へその奇跡の報せが届くのは更に数刻後のことである。



end



ハロウィン話じゃないですよね…
ハロウィン=日本の盆祭と考えたのが悪かったらしい……
というか、カミューさん生霊………

2003/10/26