silence of night


 紅蓮が視界を埋め尽くし、暴風を巻き起こして天空まで黒煙を吹き上げながら燃え盛る。
 紋章の暴発は、普段見慣れたそれとは段違いに、猛威をふるう。
 まるで神が起こしたかのような情景に、マイクロトフは危機感も忘れて―――綺麗だ、と思った。






 * * *



 騎士団領主ゴルドーの目下、謁見室にて鋭い青年の叱責が飛ぶ。
 白い騎士服の巨躯から、僅かの場所に立つ赤い騎士服の青年団長が、己より数段降りた先に膝を着く青い騎士服の同じく青年団長を責めているのだ。
 並び立ち、黙って成り行きを見守っている隊長格の騎士達は、厳しい声が響くたびに己が鞭打たれたかのように肩を竦める。それほどに激しい叱責を一身に浴びている青騎士団長は、項垂れ始終口を真一文字に閉ざしたまま反論をしない。

「今回、大した被害が出なかったのはただの幸運に過ぎないのだぞ。もし後少しでもこちらの救援が遅れていれば被害は甚大となっていたはずだ! おまえは騎士団長として尤も恥ずべき醜態を晒していたのかもしれなかった!」

 戦いから既に数日が経過している。
 戦闘後の始末と、遠地からこのロックアックス城までの帰還に要した時間がそれだけかかったということだ。結果的に勝利を収めたものの、帰り着いたマイクロトフを迎えたのは先に帰城していたカミューの叱責だった。
 国境での小競り合い程度のものだった。
 最近、ハイランド側からの嫌がらせのような領内侵犯が目立ったものだったから、ここいらでひとつ騎士団の権威を見せつけよとのゴルドーからのお達しで、マイクロトフ率いる青騎士団が出向いた。
 しかし対するハイランドもどうやら同じように考えていたらしく、マチルダが考えるよりも多勢の軍を配備してたのである。それでも、マイクロトフは持ち堪えた。急ぎロックアックスからカミューの率いる赤騎士団の援軍が来るまで。
 結果援軍は間に合い、ハイランドは敗走。マチルダ騎士団は勝利した。しかし、援軍が来るまでの戦い方に問題があったと、戦いが終わってから言うのだ。
 確かに無茶をした自覚はある。
 引くべき時を見定められない指揮官は無能だ。マイクロトフもそれは分かっていたので、もし後少し経っても援軍が無ければ引くつもりでいた。だがギリギリの線でカミューは間に合ってくれたのだ。だから、それで良かったと思った。
 しかし城に戻って、改めてこうして理路整然としかも厳しく叱責されると、己の慢心を思い知らされて確かにその通りだと猛省するしかなかった。
 今回は何とか部下たちも持ち堪えてくれた。しかし、戦場では何が起こるかわからない。そもそも、今マイクロトフは満身創痍である。ゴルドーの前で膝を着くのは礼儀上のこともあるが、実のところ立っていろと言われたならかなり辛い。
 マイクロトフでさえこの有様なのだから、部下たちも散々たるものである。流石は丈夫が取り柄の青騎士たちとは言え、無傷でいられた者は少ない。
 だから、こうしてカミューに鋭く叱責されて、何も返す言葉がなく、マイクロトフはひたすらに落ち込むのみだった。

「もうその辺で良かろう。見よ、マイクロトフも随分反省をしておる」
「ですがゴルドー様」
「良い。もうそれ以上は耳障りだ。今回の事は結果的に勝利したのだ。二人ともご苦労だった、下がって良い」

 領主は億劫そうに手を振ると、言葉限りのねぎらいをかけて退室を命じる。それでもまだ心残りのある様子ではあったが、仕方なくといった風情でカミューは一礼するとマイクロトフの横を通り過ぎて先に出ていってしまう。
 マイクロトフは部下に促されるようにして、半開きの扉から後を追った。

 ところが。

「……マイクロトフ」

 扉を出た直ぐの処で呼び止められる。
 驚いて振り向けば、そこには先ほどの厳しい表情など欠片も無い、いつも通りのカミューが立っていた。
「カミュー……」
 弱く名を呼べば、カミューの瞳に苦笑が滲む。
 そんな二人を残して部下たちは三々五々去って行く。カミューはふと手を差し伸べるとマイクロトフの肩に触れた。
「少し、歩こう」
 抗う気も起きず、マイクロトフはのろのろと従った。



 石造りの城は、内部はどこか寒々しい印象が拭えないが、外から見ると厳重なふうに見えて頼もしい。二人は城の中庭に出ていた。
 黙ってカミューについてきたマイクロトフだったが、いったいこんな人気のない場所で何を言われるのだろうと今更身構える。先ほどまでの激しい叱責がひどく堪えていて、もしかしたらまたここで個人的に注意を受けるのだろうかと思うと、落ち込んでいた気持が更に地を這うようだった。
 しかし、木陰にマイクロトフを誘ったカミューは、ふと真正面から視線を合わせると、両肩をがしっと掴んで真面目な顔で言った。
「マイクロトフ、おまえは良くやったよ」
「……なに?」
「おまえは本当に頑張ったと、言ってるんだよ。どうせハイランドの国境警備隊風情をとゴルドー様の許可したたったあれだけの少数の部隊で、おまえは良く持ち堪えた」
「………カミュー?」
 カミューがいったい何を言いたいのか分からない。
 するとカミューは少し表情を曇らせて、小さな声で囁いた。
「本来ならおまえは褒章を貰っても良いくらいの手柄だったけど。おまえの功績を挙げ連ねれば、ゴルドー様の判断にけちをつける事になる」
「あ―――」
 派遣する部隊の規模を定めたのはゴルドーだ。後から慌ててカミューに救援を命じたが、本来ならそれまでのハイランドの動きから、罠を察して最初から大軍を派遣していても不自然は無かった。そもそもマイクロトフは最初からゴルドーにもっと多数の部隊を出せるよう申請していたのだった。
 カミューは苦味を噛んだように顔をしかめてこくりと頷いた。
「小賢しい、余計な真似だったかもしれない。だが白騎士から不安な話を事前に聞いていたから、一芝居うたせてもらった。ごめんマイクロトフ、嫌な思いをさせてしまった」
 ゴルドーは、己の非を認めたがらない領主だった。
 何か問題があればそれは全て周囲の責任としてしまうような、そんな領主だった。
 つまりカミューは、マイクロトフに先に泥をかぶせて、ゴルドーから必要以上の叱責を受けないように配慮して、ああなったと詫びているのだ。
 途端に、それまでマイクロトフの胸に重石のように抱え込んでいた気持がするすると溶けていく。
「カミュー、良いんだ。俺が無理をしたのは事実だったのだし。それに、ゴルドー様からはちゃんとお褒めの言葉を頂けた」
「マイクロトフ」
「かえってカミューの立場を悪くしたな……俺の方こそ嫌な思いをさせたのを謝らなければならん」
 あそこまではっきりと他団の団長を罵ったのだ。
 たとえ赤騎士団長の方が地位的に上であるとしても、今日以降、青騎士の連中のカミューを見る目は少々冷たいものが混じるだろう。
 しかしカミューはそんなものはね、と呟いた。
「あの叱責は本心からではないけど、怒りは偽りではなかったからね」
「……ん?」
 首を傾げたマイクロトフに、カミューは何故だか不機嫌になってじいっと睨んでくる。その手が、不意にマイクロトフの胸に置かれた。
「こんな傷だらけになって。少しは心配するこっちの身にもなって欲しいよ」
「カミュー」
「援軍を率いて戦場に駆け付ける途中、おまえがいつまでも撤退しないと報告を聞くたびに、俺の胸は冷えていったよ。もう手遅れになるんじゃないかと、考えたくも無いのにそんなことばかり過ぎって」
 カミューの掌の下。青い騎士服の更に下には包帯がある。
 未だ熱を持ち続ける傷が、鼓動に合わせてじくじくと痛む。
「マイクロトフ。俺がおまえの姿を見つけてどれほど安堵したか分からないだろう。おまえの無謀は今に始まった事では無いけれど、ここにおまえを死ぬほど心配する者がいるのを、忘れないでくれ」
「…カミュー……」
「おまえも、一度は同じ気持を味わってくれたら良いんだけどね」
 憮然と呟きカミューは俯く。
 しかし直ぐに顔をあげるとひょいと肩を竦めて苦笑した。
「でもまぁ、立場上いつだって俺はおまえを諌めるばかりだから、そんな事はこの先ないのだろうけどね」
 無謀に走る青騎士団長と、無謀を嫌う白騎士団長に挟まれて、赤騎士団長には無謀をする余裕など欠片もない。
 その心労を思ってマイクロトフはゴルドーにそうしたよりもずっと、深く潔い気持で頭を下げた。
「すまなかったカミュー」
「良いよ。なんだかんだ言っても、おまえはこうして俺の腕の中で生きていてくれているんだし」
 笑ってカミューはマイクロトフを抱き締めた。
 とくんとくんと、カミューの鼓動が触れて傷の痛みが消えていくような錯覚を覚える。マイクロトフは、それ以上何とも言えず黙り込むと、そんなカミューの背を抱き返して、暫しの安息に目を閉じた。
 互いの未来を、この時は知りもせず。



 * * *



 そして、季節が巡り―――二人の立場は微妙に色を変えた。
 ゴルドーは既に二人に取っての主君にあらず、新たに剣を捧げた相手は年端も行かぬ少年だったが、彼らにとって後悔はなかった。
 マイクロトフは思う存分、己の信念に従って剣をふるえるようになった現在を喜び、カミューもまた厄介なしがらみを捨て去り一介の剣士として立てる現在に満足していた。
 その所為だろうか。
 これまでマイクロトフを諌めるばかりだったカミューが、戦場で驚くほど無茶をする機会が増えた。
 カミューも元から性根は烈しい男である。戦いに血を滾らせて敵を震え上がらせる程の実力の持ち主だ。鬼神と恐れられるマイクロトフと双璧を担うに充分な人物なのだ。
 それが今まで大人しくしていたのはひとえに、立場があったからだ。
 しかし今、二人はもう重責ある騎士団長の席に居ない。
 無論、志しを同じくして同盟軍についてきてくれた部下たちに対する責任は変わらずにある。しかし、騎士団にあった頃のそれとはまるで形が違うのである。
 妙な言い方をすれば、ここ同盟軍にきてカミューは漸くのびのびと本領を発揮できるようになったのである。それは喜ばしいことであったのだが、反対にマイクロトフにとっては頭痛の種が増えたことでもある。
 しかしそれも、ただの杞憂であれば問題はなかった。
 いつか何かしでかすのではないかと、柄にもなく案じたそれがいけなかったのだろうか。よもや不安が現実となるなど、思いもよらなかった。





 ―――おまえも、一度は同じ気持を味わってくれたら良いんだけどね。

 冗談ではないと思った。

「おまえ! カミュー…っ、おまえは…―――!」

 程度が違う。
 自分がこれまで数え切れないほど無茶をした自覚はあるが、決して命を粗末にするつもりも、死を意識した覚えもない。
 けれど、これは。この、男は。

 マイクロトフは目を真っ赤にしながら怒りに震える拳を握り締めていた。
 こんな気持はもう二度とごめんだ。
 カミューが死ぬかもしれないなんて思うのは。
 いや、―――死んだか―――と思うのは。

 戦時下だ。それは分かっている。
 大小関わりなく戦いが起これば、誰かしら果てる。数と数をぶつけて、どちらがより効率良く手駒を減らさずに済ませるか、それが戦争だ。
 ひとたび戦場に立てば、誰の上にも等しく死神の鎌は突きつけられる。そこから逃れるのは本当に紙一重の運の良さが必要だ。しかしそれでも、予測可能な事態ならば事前に運を呼び寄せることも出来る。反対に運を捨てる事も―――。

 カミューは『烈火の紋章』をその右手に有している。
 しかし戦場でそれは滅多に使われる事が無い。元々彼は剣士として訓練をつんできたのであって、紋章はおまけのようなものだと常々言っていた。よほど切羽詰らなければ紋章は使わないのだと。
 だが今回、カミューはその紋章を使った。最悪の形でだ。

 戦況は思わしくなかった。珍しく苦戦を強いられていたマイクロトフ達だったが、その時遠方から大量の矢が放たれる音を聞いたのは気の所為だったのだろうか。しかし次の瞬間に、空気が震えた。その震源地から瞬く間に大きく弾けたのは炎の群舞。その中心にカミューがいた。
 呆然と剣をふるうのも忘れて見入ったマイクロトフに、カミューは炎の熱にゆらゆらと揺れながら、事もあろうに微笑んだのだ。
 本来、紋章の力は対象に向けて発せられる。
 しかし暴発によるそれは、紋章を宿す術者本人に返る場合が多いのだ。咄嗟に『烈火』が暴発したのだと気付いたマイクロトフは、カミューが周囲の敵もろとも―――飛んできた大量の矢も一緒に炎に飲まれるのを見た。
 見た瞬間に奇跡のようにカミューと視線が絡んだ。刹那、カミューは微笑んだのだ。
 カミュー、と呼ぶ暇さえなかった。
 マイクロトフが手を伸ばしたその時にはもう、炎がいっぱいに広がって、為す術もなく一帯を焦土と化して終わった。
 何が起きたのか、理解したくなかった。
 喉が引き攣って息が出来なくなった。
 しかし、その緊張は一瞬で解けた。

 カミューは、無事だった。
 寸でで紋章の暴発を察知したビッキーが、カミューだけを瞬きの紋章で移動させてくれなかったら、今頃骨も残っていなかったかもしれなかった。
 そんなとんでもない話に、理性が怒りを抑えられるはずも無かった。
 気が付くと、カミューを殴りつけていた。
 ビクトールが止めてくれなかったら、何度も殴っていたかもしれない。それくらい腹が立っていた。
 だが、殴られた頬を押さえもせず、痛いよと呟くカミューに、怒りとは裏腹に泣きたくなる程の安堵が胸に込み上げる。マイクロトフはビクトールの制止が解けるなり、ガックリと膝をついて地面に蹲った。
 声も出ない。
 ただ身体が震える。
 こんな無様な姿は部下には見せられないと思いながら、立ち上がる事も出来ない。
 幸いそこは、茫然自失で引き摺って連れていかれた先の天幕の中で、いつの間にかビクトール達も外に出て、カミューと二人残された。



 静寂が、身体を締め付ける。

 けれど。

 静寂の中に聞こえるマイクロトフの微かな嗚咽と、カミューの震えるような吐息が、何故だかこんなにも心を満たす。



 いつしか日が暮れ、カミューは蹲ったままのマイクロトフの隣に座っていた。殴りつけてからどちらも一言も喋ってはいない。
 無言で確かめ合う互いの息遣い。
 ただ、今日こうして生きてくれて良かったと、互いに思う。
 それがどんなに儚い願いと分かっていても、触れた場所から伝わる鼓動が、切ないほどに安堵をもたらす。

 戦場に、夜の静寂が降りる中、二人は一晩中無言で傍にいた。



end

2003/12/17

「赤青クリスマス企画 / 戦場のメリークリスマス」に寄稿させて頂きました