安堵
ロックアックスの冬は厳しい。
冬に突入すると夜は吹雪に、朝は深く積もった雪に難儀する。日常、人里はそう酷くは無いが、町と町を結ぶ道は雪に閉ざされ、森はその時季になると、生命の活動がぴたりと停止したかのように凍りつく。
「参ったな」
苦笑を浮かべながらマイクロトフは脱いだびしょ濡れの服を広げた。傍らではカミューが熾した火を睨みつけている。
森の小屋は、人里離れた辺鄙な場所にあるものとしては確りとした造りをしていた。それでも随分と放置されていたのだろう扉は、錆びついていて開けるのに一苦労した。
漸く開けた扉の向こうは、湿気と埃が充満していて、奥に積んであった薪を引っ張り出して、小さな鉄製の暖炉に火をつけるまでは、とても息苦しかった。それでも寒さに凍えた体は、燃え上がる炎にたちまち緊張を解く。
「ここを見つけられて良かった」
自分でも呑気な言い草だなと思いながら、マイクロトフは服を椅子の背にかける。そしてまだ服を着たままのカミューを見た。
「おまえも脱がないと風邪を引くぞ」
何しろこの小屋に辿りつくまでに、二人とも雪にまみれて髪まで濡れそぼっているのだ。苦労して脱いだブーツもつま先部分までぐしょぐしょだった。
上半身裸のマイクロトフに対し、裸足になっただけのカミューは火から逸らした剣呑な眼差しを向ける。
「死にかけたんだぞ。良かったで済むか」
腹の底に怒りを抱えているようなカミューの声は、もう何度と無く聞いたものだった。
「すまん」
素直に謝るがカミューの怒りはそれで収まらない。
「今度と言う今度は、おまえの愚かさを嫌というほど思い知った。冬は金輪際おまえと一緒に出掛けないからそう覚えておけよ」
「わかった」
微かに口元に笑みを浮かべマイクロトフは頷く。
カミューがこうと決めたらもう二度と、余程の事が無い限りそれを撤回しないのを知っている。彼を良く知らない者は、その見掛け通り柔軟な性格をしているのだろうと信じ込んでいるが、実際は随分頑なな性質をしているのだ。だがその反面、こうして怒りも露わに詰ってくるのはマイクロトフ相手に限られている。
本当は豊かな感情を、どうしてマイクロトフ以外には見せないのか、不思議に思う事はある。だが他に対して感情を押さえてしまうのは、本人も無意識にしているらしく、問い掛けても無駄だろうとマイクロトフは感じていた。
だからこうしてカミューが自分に対して遠慮無く怒ったりするのを見ると、今後、冬一緒に出掛けてもらえないのは随分と心寂しいものではあるのだが、何故だか嬉しくなってしまうのだ。
「何を笑っているんだおまえは」
「いや」
白状した処で更なる怒りを呼ぶのは目に見えているので、マイクロトフは黙る。これ以上怒らせて、口も聞いて貰えなくなるのは避けたいのだ。
「本当に悪かった。この償いに城へ戻ってから何でもする」
「……何でもだな?忘れるなよ」
「あぁ」
深く頷いて見せるとマイクロトフはカミューの横に腰を下ろし、自分も火にあたる。しっとりと濡れた肌が火の暖気にみるみる乾いていった。隣ではカミューが漸くごそごそと濡れた服を脱ぎ始め、湿った生地に随分と難儀している。そして息を詰めて腕を抜くとやれやれと頭を振った。
疎らに散った薄茶の髪が、炎の灯りを照らして金色に透ける。それを見てからマイクロトフは炎へと視線を移した。
怒っても、それをいつまでも長引かせないのがカミューの良いところだ。いつも迷惑をかけてしまうマイクロトフだが、その度に最後には仕方が無いと許容してくれるカミューのその懐の広さは、とても有り難かった。
今回も、全面的にマイクロトフが悪い。
執務のために向かった近在の町から、城へ戻る道すがら見た事もないモンスターの姿が視界を過ぎったからと、周囲へ目もくれずに森の中へと飛び込んでしまった。
積もった雪に足を取られながらも、モンスターの足跡を追って突き進めばいつの間にか方向すら分からない森の奥深くへと迷い込み、驚き付いて来たカミューに「この馬鹿」と強か頭を叩かれた。
「どうするつもりなんだ」
と責めるカミューの背後では、木々の合間に見える空が徐々に暗さを増していく。冬の夕暮れは容赦無く二人を覆い尽くしてきていたのだった。
今更森を抜けて、歩いていた道筋に戻ろうにもそれは不可能で、さりとて暮れ掛けた冬の森の中を歩くのは危険この上なく。カミューが責め立てるのももっともなのだ。
「す…すまん」
謝るしかないマイクロトフに、カミューはここであれこれ言っても始まらない、とせめて雪が降り出す前に小屋か何か一晩過ごせる場所を探そうと率先して雪を掻き分け歩き始めたのだ。
しかし、辺りが急速に暮れ、雪の白さが映す薄明るさだけが頼りとなる暗闇に落ち込んだかと思った途端、ちらほらと粉雪が舞い始め、瞬く間にそれは横殴りの吹雪へと変じたのである。
周囲を見えない雪に囲まれ視界も方向感覚も狂わされ、冷たい雪に全身まみれながら、張り出す木々の枝だけを手掛かりに、カミューはずっと悪態をつきながら森の中を突き進んだ。悪態の対象は殆どが天候に対してであり、マイクロトフに対するものは滅多に無かった。もしあの時責め続けられれば、今いる小屋に辿り着くまでに自分は消沈のあまり果てていたかもしれないと思うマイクロトフだった。
それでも、天の恵みか生まれつきの運の良さか、視界にこの小屋を捉えた時はカミューもそうだがマイクロトフも安堵のあまり重くなっていた足を我武者羅に動かし、固い扉も体当たりでこじ開けて小屋の中へと転がり込んだのであった。
小屋の中は、いつの間にか暖気に満ちていた。
二人とも暖炉の前で黙って座っていた。そしてすっかり乾いた肌が、今度は心細い寒さに震えると共に、微かな眠気が思考を支配し始める。なんとなく不安を感じてマイクロトフは隣を見た。すると、カミューの瞼は今しもぴったりと閉じ合わされようとしている。
「カミュー、そのまま寝ると寒いぞ」
「…あぁ……」
返事はするが、うつらうつらとしている様子にマイクロトフは困ったなと小屋の中を見回した。素肌をさらした状態で一晩を過ごせば、いくら火を焚いた室内とは言え凍えてしまう。毛布か衣服で身を包まなくては眠る事が出来ないが、脱いだ服はまだ湿っているし他に毛布になるようなものは無かった。
「起きろカミュー」
「……うん………」
これはいかん。
マイクロトフは真剣に焦った。何しろカミューの寝汚さと言ったら半端ではないのだ。一度眠りにつけば揺すった程度では絶対に起きないと、短くは無い付き合いの中で思い知っている。本格的に寝てしまう前に何とかしなければならなかった。
「凍えるぞ」
「…ん……」
「もしかしたら死ぬかもしれんのだぞっ」
「………」
「カミュー!」
どうしようもなく叫ぶみたいに名前を呼んで、その肩に手をかけた時、ふにゃりとカミューの口元が綻んだ。
「…ぬ…くい……」
どうやら触れた掌の事を言っているらしい。そのまますりすりと頬を擦り付けてくる。
「おい」
「……温か…い…」
「カミュー!」
肩を掴んでいた掌を引き剥がされ、腕もろとも抱き込まれるに到ってマイクロトフはうろたえ叫んだ。しかしそのまま凭れかかるような態勢に持ち込んで、すっかり目を閉じて口元から健やかな寝息を漏らし始めた様子に、ついに観念する。
「俺に一晩中この態勢で火の番をしろというのか…」
どっちにしろ、現状を呼び込んだ大元の原因はマイクロトフ自身にあるのだから、そこを考えれば一晩中寝ずの番をするのに些かの不満もありはしない。しかしこの不安定なきつい態勢を強いられるのはおおいに遠慮したかった。
しかし、無防備に寝入る親友の寝顔を見下ろせば何もかもが霧散してしまうのだ。
「……良く休めると良いがな」
小さく呟いてマイクロトフは手もとの薪を小さくなった炎の中へと投じた。ぱきん、と甲高い音がして火が爆ぜる。そうして冬の森小屋での夜は更けていったのであった。
END
青赤ではないですね…はい騎士です
ロックアックス平騎士時代かと思われます
まだ恋仲(笑)では無いもよう
2001/07/25