彼が笑うとき


 いつもは、生真面目で頑なな表情をしているマイクロトフだが、その実直な性根は決して頑固者のそれではない。実は結構、純粋で素直な心を持っている。そして時折そんな内面があらわれるような、とても朴訥な笑顔を見せるのだ。
 カミューは誰よりもその笑顔を目撃する機会を得、また誰よりその笑顔を愛しているのだった。



「カミュー」
 背後から呼びかける声にカミューは足を止めて素早く振り返った。
「マイクロトフ」
 自然と口許が笑みに綻ぶ。
 マイクロトフは廊下の曲がり角から今まさに出てきたところで、カミューと目が合うと足早に駆け寄ってくる。まるで小さな子のようなその行動にカミューはつい苦笑を漏らした。それを、傍まで寄ってきたマイクロトフが不審がる。
「なんだ?」
「おまえ…迷子の子供が母親を見つけた時でもあるまいし。城内を走るなと見習いの頃に散々言われなかったか?」
 するとマイクロトフは居心地の悪そうな表情を浮かべて、次にはカミューの肩を何気なく叩いた。
「気にするな。どうせこれから昼飯だろう。一緒にどうかと思って気が焦ったんだ」
 そんなもの、と思う。
 いつどんな場面でもマイクロトフに呼ばれて応えないわけが無い。呼ばれなくともその姿を見つけただけで呼吸が止まる。気配を感じただけで耳を澄ます。そんなカミューの内実を果たして気付いているのか気付いていないのか。
「別に走って追い掛けて来なくとも、呼び止められればわたしはいつでもおまえを待っているのに」
「それでも追い掛けたい俺が居るんだ」
 自然な口調でそんな言葉をさらりと告げて来る。
「まったく、疎いくせに殺し文句だけは底が無い」
 マイクロトフには届かない程度の小声で呟いてカミューは仕方ないと笑った。
「ならご希望に応えて昼食は一緒に」
 するとマイクロトフはカミューの愛する、あの笑顔を見せたのだった。










+ + +

 幼い頃、自分は「無愛想な子供」と言う種類なのだと思っていた。
 例えば隣の同じ年頃の娘が「確りしたお嬢さん」と言う種類であるように。
 それが、周囲の大人が勝手に貼り付けた判別の方法なのだと知ったのはいつだっただろう。それまでは随分と悩んだものだった。
 ――― 何を考えているのか解からない子。
 ――― 身体ばかり大きくなった子。
 ――― いつも怒っている子。
 ――― 怖い子。
 大人は事あるごとにマイクロトフをそう言い表した。
 だが別にそれを不本意と感じた事は無かった。彼らの言う通り、マイクロトフはいつも怒ったような無愛想な顔をしていたし、会話が不得手だったので概ね無口だった。それに同年代の子供たちの間では身体の成長も早く、幼い頃から人並み以上の運動能力に恵まれており、戯れに模擬刀で近所の子らと遊んだとき、相手に大怪我を負わせてしまった事もある。
 大人たちにしてみれば、そんなマイクロトフは不気味で怖い子供だったに違いない。
 ところが、騎士になろうと思い始めた辺りから周囲の評価が変わってきた。
 もうその頃は己を客観的に見る術を心得ていたし、不用意に周囲を不安がらせるような事も無くなってもいた。だから「無愛想」が「真面目」に変わり「何を考えているか解からない」が「思慮深い」に、「怖い」が「頼もしい」に変化していった。
 相応の社交術も身につけた。だがただひとつ。表情だけはどうにもならなかった。

 笑顔が作れない。

 これだけはどうしても無理だった。
 楽しいと、愉快だと思える事があっても決して笑えない己を、おかしいと感じ始めたのは騎士見習いになった頃だった。同期の者たちが親しく談笑するのを見ながら、時には加わりながらマイクロトフは常に無愛想だった。
 どこか、通常あるはずの何かが己には欠けているのだろうかとぼんやりと考え、そしていつしか考える事すらしなくなっていった。
 何しろ周囲がマイクロトフは笑わないのだと認識し、それが定着してしまっては本人がどう足掻こうとそれは現実として受け止めざるを得ないのだ。
 そうしてマイクロトフの無愛想振りは誰でも知っている特徴となったのだった。



 だが。マイクロトフは出会ってしまった。

 およそ信じられぬような笑みに。



 騎士と名乗る事を許された日、マイクロトフはそれまで会った事の無い者にも初めて会う機会に恵まれた。騎士見習いと言ってもその全てが顔見知りとなるわけでもない。望む騎士団の色が違えばまず顔を合わすことは無く、騎士となっても他団となれば言葉を交わす機会も顔を名を知る機会も、まず隊長クラス以上にならねば有り得無かった。
 だが例外もあって、こんな風に騎士の叙勲を受ける日が同一であれば顔どころかその名も声も知れるのだ。
 そこでマイクロトフはその日自分と同じように赤騎士となったカミューを初めて知ったのだった。
 お互い騎士見習いの頃から群を抜いて優秀だった事が他の者の口から伝わり、自然と顔を合わせば挨拶を交わすようになり、いつしか気が向けば一緒に食事をとったり休憩を共に過ごしたりするような間柄になった。
 だがそんな二人を、周囲の者はおかしな組み合わせだと言う。
 片や愛想の欠片も無いマイクロトフと、片や笑顔の大安売りのようなカミュー。まるで正反対だからこそ惹かれ合うのかと判じた者も居たが、実際のところマイクロトフには別の理由があった。

 カミューの笑顔だ。

 その一点の曇りも無いような爽やかな笑顔を見た時、微笑さえ浮かべられぬ己を何とかしたいと思ったのだ。傍に居れば学ぶ事もあろうかと。何かコツのようなものを知る事もあろうかと。
 だがどれほど付き合いが深くなっていっても、相変わらずマイクロトフは笑顔を操る事は出来なかったのである。
 何故、と煩悶する日々が続いた。カミューは如何にも容易く笑みを浮かべる。苦笑から大袈裟な爆笑までいとも簡単にしてのける。女性には甘く蕩けるような笑みを、男性には油断のならない含みある笑みを、と実に表情豊かだ。
 そしてカミューは笑顔ばかりか喜びの顔も怒った顔も哀しみの顔も、全てにおいて豊かだった。
 マイクロトフがどうしても手に入れられぬものを、間近でカミューはあっさりと披露する。
 そもそもたかが喜怒哀楽の表情如きで思い悩む己も馬鹿馬鹿しいが、小さい頃から言われ続けて気付けば体内に根深く棲みついた何かがマイクロトフに焦燥をもたらすのだ。
 無愛想な、と何度言われたか。
 何をしてやっても嬉しがりもしない、と嘆かれた事がある。だが表情がどうであれマイクロトフの中には確かに喜怒哀楽があり、表に出なくともそれは感じていたのだ。嘆かれるたびに歯噛みする思いをしてきた。違う、と訴えても諦念の声でいなされ相手にされなかった。
 笑顔さえ浮かべられれば良かったのに。
 己に欠けているその何かをずっと追い求めているのに、手に入らない。それどころかカミューはまるで不自由無くそれを無駄遣いする。

 いつしか、苛立ちしか感じなくなっていた。
 だがそこでカミューを嫌うには、マイクロトフはかの青年と親しくなりすぎていた。また騎士としてそんな身勝手な思いにとらわれるなど言語道断だった。そしてそんな己を打ち消したい思いもあって、気付けば無意識にカミューを避ける日々が訪れた。
「そう言えばおまえ最近良く一人でいるな」
 誰かがそんなことを言う。
「そうか?」
 無表情で真っ直ぐ相手の目を見て返すと、大抵相手は「いや…気のせいかな」と前言を撤回したりする。いつの間にか手に入れていた威厳と迫力。だが欲しい物はこんなものではなかった。
 そしてこのままなし崩しにカミューと距離が置ければ、あの気持ちの良い青年を必要以上に嫌う事も無いだろうと、そんな卑怯な事を思い始めたある日、それはやってきた。



「マイクロトフ」
 呼び止められ振り返ると、いつになく気弱な微笑を浮かべたカミューが居た。
 あぁ、こんな時もカミューは表情が細かく豊かだ、と心の中に棲まう何かが囁いた。
「カミュー、どうした?」
 やはり無表情のままで、真っ直ぐ射抜くようにカミューを見つめる。だが他の者と違ってカミューは視線を逸らしたりはしなかった。それどころか瞳の色を濃くして見つめ返してくる。
「わたしは、おまえに何か悪い事をしたか?」
 そう聞いてくる。
「いや、何も」
「なら他に理由があるのか」
「カミュー?」
「どうしてわたしを避けるんだ?」
 そして浮かべた哀しそうな顔。
 どこまでも豊かな表情を、マイクロトフは凝視する。
「避けているつもりは無い」
「わたしの気のせいだと言うのか? ――― 違うだろう。おまえは確かにわたしを避けているじゃないか」
 今度は怒りだ。それは唯一マイクロトフが表わすことの出来る顔だ。しかしカミューのそれは実に奥深い。見ているこちらがつい怯むような威力を秘めている。
 この豊かな表情で、周囲の全てを翻弄する。
 ――― 俺もまた例外でなく。
 突如、怒りが湧き起こった。
 その表情が消える時があるのか。あるのなら見てみたい。
「マイクロトフ?」
 不意に伸びたマイクロトフの手に、カミューの怪訝な声が被さる。だが、その手に強く腕を握り込まれてその声が変化する。
「――― っ何を、マイクロトフ」
 力任せに腕を引いて、城内の自室へと向かう。カミューは僅かに抵抗を見せながらも腕を振り払う事もせずについてきた。痛みをありありと浮かべた、不安そうな顔をして。
 自室の扉を乱暴に開くと、腕を引き寄せ勢いのままにカミューを室内に突き押した。
「マイクロトフ?」
 探るような声音を掻き消すように、また乱暴に扉を閉めると後ろ手に鍵をかけた。そして再びカミューの腕を掴むと一直線に寝台まで引っ張っていく。
 そして突き飛ばすようにそこへカミューを倒した。
「おい、何のつもりだ」
「………」
 マイクロトフは何も応えなかった。無表情のままにカミューに覆い被さるようにするとその衣服に手をかける。と、そこに来て漸くマイクロトフの意図を知ったらしいカミューが驚きに目を見開く。だがその驚きの表情さえも今のマイクロトフには怒りを煽る材料に他ならなかった。
 どうすればその忌々しい表情が消える。
 深く、深く傷つければ或いは消えるかもしれない。
 そしてマイクロトフはカミューの服を引き裂いた。



 最初の頃は、ひたすら抵抗の意志を見せ、力でマイクロトフに敵わないと知ると、今度は怒りも露わに罵倒してきた。だがその全てを黙殺し、行為を更に進めていくといつしか抵抗が失せていった。見るとカミューは諦めと哀しみの色を宿してぼんやりとどこかを見ていた。
「カミュー……」
 漸く声を出してその名を呼ぶと、ぴくりと反応があった。
「何故だ? マイクロトフ」
 震えた声はカミューの悲しみを良くあらわしていて、再びマイクロトフは無言で行為を再開した。衣服を開き露わになった男にしては白い滑らかな肌に触れる。そして僅かながら知識にあるそこに指を這わせると、何の潤いも施さずに突き入れた。
 カミューからはただ苦しげな息遣いが漏れるのを耳にしながら、性急に指の本数を増やすと乱暴にそこをほぐした。
「嫌だ…マイクロトフ……やめてくれ…」
 切れ切れの声で哀願するカミューを、だがマイクロトフは無視した。その足を抱え上げると腰を進める。寸前カミューが泣きそうな顔をした。これだけは長い付き合いでも見たことが無かったなと、考えながらも行動には容赦が無かった。
 無理に繋げた事でカミューのそこは裂け、敷布に赤い染みを作る。そして泣きそうに歪んでいた表情が今度は苦しげな耐えるようなものに変わった。
 まだだ。まだカミューの表情は豊かだ。
 そしてマイクロトフは一切の情を感じさせない暴行を、ますますカミューに施していった。

 いつしか、カミューの身体から強張りが消えて行き、生理的な涙を流す瞳からは哀しみの色が薄れていった。せめてもの抵抗と、マイクロトフの肩に食い込んでいたカミューのしなやかな指も、力を失って敷布の上に落ちる。そこで再びマイクロトフは試した。
「カミュー?」
「………」
 応えは無かった。
 そして表情もまた、消えていた。



「カミュー…?」
 再び呼びかけるがやはり返事は無い。色を失った瞳がぼんやりと敷布を見つめているばかりだ。
「カミュー」
 マイクロトフはその頬に恐る恐る手を触れた。だがぴくりとも反応は返らない。
 不意に、マイクロトフの胸に何かが去来した。
「カミュー……!」
 無情な繋がりを解き、身を離すとカミューの上から退いてその青ざめた無表情な青年の顔を覗き込む。そして触れていた手をこめかみに差し込みその髪を梳くが、やはりカミューは微動だにしない。意識を失っているわけではなかった。自我を、失っているのだった。
「………っ」
 短く息を吸い込んでマイクロトフは両手でカミューの頭を抱えた。そして抱き起こすと胸に擁く。
「カミュー………」
 呟いた声は震えていた。何のために――――笑いのために。
「ふ――― っく……くくく」
 喉を突いてせり上がってくるのは紛れも無い笑い声だった。気付けば口許が酷く歪んでいる。
 ――― これが、笑みか?
「違う!!」
 カミューを胸に抱き込んでマイクロトフは怒鳴っていた。
「違う! 俺はこんな風にしたかったんじゃない!!」
 だがその叫びに応える者はいなかった。



 マイクロトフとカミューが友人同士であるのは周知の事実だった。
 どちらかの部屋に一人が泊まりこむ事など茶飯事であり、また滅多には無いが不調の際など執務に支障をきたす場合、健在な方が倒れた方の上司への連絡役をする事もあった。だから、カミューが翌日目覚める事も無く熱を出し、マイクロトフの寝台から動けなくなったとしても、ごまかす事が出来た。
「暫く寝こむかもしれません」
 そうカミューの上司に告げたマイクロトフだったが、実際カミューは酷い高熱を出していた。このまま死んでしまうのではないかと思うほどで、しかし医者に診てもらうのには差し障りがあった。
 何しろカミューの身体の至るところにマイクロトフの乱暴の痕があるのだ。マイクロトフが断罪されるのは構わなくても、意識の無いカミューに不名誉な事実が突き付けられるのは避けたかった。出来ればカミューの回復力を信じたかった。
 そしてもう一度、豊かな表情を見せて欲しかった。
 勝手な言い分だと、解かってはいたが。



 カミューが熱を出し寝込んだ朝から、三度目の夜が来た。
 皮肉にも寝込んでいる間にカミューの体に残っていた乱暴の痕は消えていった。だがそれがマイクロトフの罪が消えたわけではない。見舞おうとする他の騎士たちを一切撥ね付け、マイクロトフはどうか目覚めてくれとひたすら祈りながら、独りきりの看病に徹していた。そしてその願いが届いたのか、深夜、流石に看病疲れに勝てずうとうととし始めたマイクロトフの耳に、小さな呻き声が聞こえた。
 霞む意識の中、その声を拾い意識を集中する。だが、次の瞬間マイクロトフは跳ね起きた。
「カミュー!?」
 立ち上がって寝台に横たわる青年の顔を覗き込む。
 室内は蝋の灯りがひとつ燈っているだけの、頼りない明るさだ。だがそれでもカミューの顔は見える。白く青ざめていたその頬に落ちていた睫毛の影が、マイクロトフの見ている前で確かに震えた。
「カミュー? カミュー?」
 密やかに何度も呼び掛け、覚醒を促す。するとその睫毛が確かにはっきりと震え、そして持ちあがった。
「………っ」
 息を呑んでマイクロトフはカミューの顔を見下ろした。そしてそこに見出した表情豊かな瞳の色。
「…マイクロトフ……?」
「あ、あぁ…」
 虚ろな返事を受けつつも、カミューは微かに身じろいで周囲に視線を這わせた。
「…? ここは、おまえの部屋じゃ…無いか? 何故……」
 ぼんやりと掠れた声で呟く青年を、マイクロトフは息を詰めて見守っていた。
「わたしは何故…ここで、寝て……」
 そこで身を起こそうとしたカミューだったが、不意にびくりとして動きを止めた。だが次にはどさっと再び寝台に倒れこんで深い吐息を吐き出した。
「身体中、節々が痛い――― おまけに喉もひりひりする」
 訳が解からないとでも言うような口調で訴えるカミューに、マイクロトフは眉をひそめた。
 まさか。
 そして、カミューの瞳がマイクロトフの瞳をとらえた。
「いったいわたしはどうしたんだ?」
 尋ねてくる声に、マイクロトフは喘ぐように応えた。
「おまえは、三日間高熱を出していたんだ」
「なんだと? どうりでくらくらする」
 そして何てことだと呟いてカミューは再びマイクロトフを見上げてきた。
「どうやら随分と世話をかけたらしいな。で、何故おまえの部屋でわたしは寝ているんだ?」
 そこでマイクロトフは確信した。

 ――― まさか忘れているのか。

 ならば。それならば。
 マイクロトフは強く目を瞑ると祈るような体勢で、カミューの側に肘を突いて俯く。
「カミュー……」
 無かった事にするのは卑怯だろうか。
 だが叶うなら、この大切な相手を傷つける前の自分に戻りたいと願っていた。
 そしてそれが叶う奇跡に、眩暈を覚える。恐ろしいほどの罪の意識を感じながら、同時に生きとし生けるもの全てへの感謝の念が溢れ出す。
「カミュー……おまえは三日前、突然この部屋で、意識を失ったんだ……」
「そうなのか? 何故だろう、倒れる前のことが良く思い出せない」
「あぁ、城の廊下でおまえに呼び止められてから暫く話をしてるうちに……おまえがふらつき始めたから……だから俺はおまえの腕を引いて……部屋まで連れて………休ませた」
「そう、だったかな?」
「あぁ」
 深く頷いて、マイクロトフは込み上げる何かをこらえた。だが直ぐに、覚えの無いその衝動に、己が感激しているのだと理解した。生まれて初めて、身が震えるほどの感激をしているのだ。そして今込み上げてきているものは恐らく嗚咽。
「…カミュー、無事で、良かった」
 何とかそれだけを言って、マイクロトフは寝台の端に突っ伏した。すると、その頚に触れる冷やりとした感触があり、直ぐにそれがカミューの手だと気付いた。
「その、本当に随分と心配をかけたみたいだな。でも、もうわたしは大丈夫だ」
 そしてその手がマイクロトフに顔を上げるように促した。
 マイクロトフは、抗う事も出来ずにゆるゆると顔を上げた。だがそこにあったカミューの表情に息を呑む。
 微笑。
 どこまでも穏やかで清廉なカミューの微笑。それはマイクロトフを安心させるために浮かべられたものだろう。だが、それはまた別にマイクロトフの中のあるものを呼び起こした。
「……マイクロトフ」
 不意に、カミューの驚いたような声が上がった。しかし直後、例えようも無く嬉しそうに青年が微笑んだのだった。
「マイクロトフ。おまえ、そんな顔も出来たんだな」
「なんだ?」
「おまえが優しく笑う顔など、初めて見た」
 マイクロトフは一度瞬いた。
「俺が笑う?」
 そう問い返した時、カミューが「あ」と今度は切なそうな声を上げた。
「あぁ、消えた。珍しいマイクロトフの笑顔だったのに」
 そして惜しそうな表情を浮かべる。

 ――― 俺が笑った……のか。

 自覚は無い。だがカミューがそう言うのなら笑ったのだろう。
 なんと言う事か。こんな事態になって漸く笑えたというのか。我ながら呆れ果ててマイクロトフは息を吸い込むと遣る瀬無くそれを吐き出した。そこへ、カミューが「まぁ良いか」と呟いた。
「また、その内見れるだろう」
「…その内な」
 返事を返す。
 このままカミューといる限り、またいつか笑えるかもしれない。カミューのそばに居て、あの微笑を見続けていれば、同じように笑える日が来るかもしれない。
 マイクロトフはそう考え、胸の内である決心をした。カミューと変わらず共に居続ける為にはどうすれば良いか。それにはこれまでのような脆い関係では無く―――。
「なぁカミュー、この際だ。聞いてくれないか」
「なんだい?」
「別に今すぐ返事をしてくれなくても良い。だが俺が本気でそう思っているのだと知ってくれ」
「いやに真面目だな」
 まぁ、いつもおまえは真面目だが、と軽口を叩くカミューにマイクロトフは真剣な眼差しを向ける。そしてその定評のある低音で心に思い浮かべた言葉を紡いだ。

 ――― 好きだ。おまえを愛している。










+ + +

 マイクロトフの穏やかな笑顔で朝を迎える日々は、カミューにとって何よりの至福だった。
 耳奥に染むような低音で覚醒を喚起され、温みのある手で優しく揺り起こされる。そして薄目を開けた時、朝の眩しい光の中でその笑顔を見るのだ。
「……おはよう、マイクロトフ」
「おはよう。今日は良い天気だぞ」
「あぁ」
 促されて身を起こすと窓の方を振り返る。そこから見える木々の青葉が白い朝日を受けて水飛沫の煌きのように輝いている。
「だが…今日は朝から会議だったはずだな」
 寝覚め一番にそんな事を思い出してカミューはげんなりと呟いた。こんな晴天の日は馬を駆って遠出でもしたいものを、城の奥の石壁に囲まれた寒々とした会議室に押し込められるなど。
「そう言うな。会議を執り行うのも俺たちの大切な役目だぞ」
「分かっているさ。でも晴れた日にはやっぱり外で元気良く遊びたいじゃないか」
 欠伸を噛み殺しながらそんな事をぼやくと、マイクロトフが眉根を寄せて唸った。
「どっちが子供だ……」
「何か言ったかい?」
「何も」
 その呟きを確り耳にしておきながら尋ねてくるカミューの事を、マイクロトフも良く心得ている。白々しく肩を竦めて応えるとさっさと寝室から出て行こうとする。だが間際で立ち止まるとくるりと振り返った。
「カミュー……こんな天気だ。どうせならおまえも晴れやかな顔をしていてくれ」
「ん?」
「笑ってくれ。会議でも何でも、どんな嫌な事があってもおまえだけは笑顔を見せていてくれ」
「あ、あぁ」
 首を傾げつつもカミューは頷き、そして常の微笑を浮かべた。するとマイクロトフの目が優しい色を宿して細められる。その穏やかな朴訥な笑顔。幼児が浮かべるような、純粋な笑顔がそこにあらわれる。
「マイクロトフ?」
「さぁ、早く起きて着替えろ。俺はこれから朝食を摂りに行く。間に合うようなら早くおまえも来い」
 そしてマイクロトフは扉の取っ手に手をかける。
「あ、待て。わたしも直ぐ行くから」
 慌てて立ち上がるカミューに、マイクロトフは手を振って応え扉の向こうに姿を消した。
 そしてまた、平和なロックアックスの一日が始まるのであった。


END



まだ二人が団長になる前の頃でしょうか
随分とお待たせした上にあんまり青が壊れてません
でも最後はちゃんと幸せ…どころかなんだかメロメロに甘い気が(笑)
最初と最後だけ読むとただのらぶらぶ
でも真ん中を読むと最後の青の言葉が不穏な感じです

2000/10/17