月の呼び名
「見ろカミュー……月が出ている」
マイクロトフはそう静かに傍らの青年に呼びかけた。腕の中にあるのは栗色の髪。蝋燭の灯りを受けて僅かに金色に透けて見える。
「薄雲越しに満月が浮かんでいるぞ」
まるで、おまえの存在のようだ。マイクロトフはそしてその髪を撫でた。
「幼い頃はあんな月をどう呼んでいたかな……そうだ確か『綿毛の月』と呼んでいた。雲でぼやけた満月の輪郭が、綿毛のように見えるだろう?」
おまえはいつだって眩しくて、目を細めた俺には輪郭がはっきりしなかった。
輝かしい存在で、同じ団長職に並んだとて、おまえの姿はどこまでも神々しかった。月から降りてきた神人のようだった。
「カミュー……おまえは、月をどう呼んでいた? グラスランドでは、どう、呼ぶんだろうな」
何度も髪を撫でる。
「ある国の神話では月はアルテミスと言う女神になぞられているそうだぞ。清純で汚れなき美しさでありながら、勇ましい狩りの女神だそうだ。激しい気質を持っていてな、何者も彼女の肌を盗み見る事は許されなかったらしい」
カミュー。おまえもそんなところがあったな。
清廉で、どこまでも清く美しかった。
「カミュー」
密やかに名を呼ぶ。
「カミュー」
冷たい頬を撫でる。
白い肌は陶磁のように滑らかで、その造りは彫像のように整っている。それはいっそ作り物のようで、その口の端から零れる赤い糸だけが、生彩を持っている。
「カミュー。人の魂は潰えると天に昇って星になるという」
だがこんな薄曇りの空では、魂も楽には昇れまい。
「おまえは、月に宿るか?」
閉じられた瞼を指の腹で撫でる。
「俺は道に迷いやすいから、その方が良いかもしれないな。おまえが月で待っていてくれると、有り難い」
ふと、腕に力を込めて腕の中の青年を抱え直した。
「カミュー」
こめかみにくちづける。さらりと髪が唇に触れた。
「愛している。今までも、これからもずっとおまえだけを愛している」
だから、待っていろ。
人の一生などたかが知れている。
いつか必ずおまえを追って、あの月まで行くから。
その時はどうか、今と同じように薄雲りであるように。
眩しくないように、そこへ辿りつけるように。
「おまえは、こんな月をどう呼んでいた?」
ふと、青年の涼やかな声が耳奥に蘇る。
―――朧月と、マイクロトフ。
今宵の月の光のように柔らかな声。
天空に燦然と輝いているのに、決して強過ぎない優しい光。
「ああ、そうだったな。そうだった―――」
呟いて、静かに男は涙を流した。
END
2000/05/03