嵐と眠り
季節の移り変わるこの頃、不意に嵐がやってくるものだから同盟軍の居城はそれはもう大変なことになっていた。
風は吹く、雨は降る、雷は鳴る、気温は下がる。
窓の木枠が風に圧されてがたがたと小刻みに鳴るのも、もう耳に馴染んでしまっている。隙間を吹き抜ける風の細い悲鳴も何処か遠い。降り続ける雨が、時折思い出したように土砂降りに変じて雷鳴が轟くたびに「あぁそう言えば嵐だったな」と人は堅牢な石造りの城の中で思い出すのだった。
「また凄い降りだな」
地面を穿つ程の勢いで叩き付けてくる豪雨に、この夜城中で何度呟かれたか知れない言葉を吐いてしまう。
窓辺に立って、真っ暗な外の景色を眺めつつカミューは吐息をついた。
「大丈夫なのかな、この城は」
古城を改築し、増設に増設を重ねているこの同盟軍の城だ。職人が誠心誠意込めて築いているとはいえ、全く不安がないわけではない。何しろ目の前で軍師のケチ振りを拝見している者にすれば、その不安は他の比ではなかった。
そんな事をつらつらと考えていると、背後の洋燈の明かりが反射して、窓が鏡のようにカミューの姿を写すその肩越しから、ぬっと男の寝惚けた顔が現れた。つい苦笑して振り返ると乱れた短髪を掻きながら首を傾げるマイクロトフと目が合う。
「起きたね」
「あぁ……つい寝入っていたか」
暗雲が空を覆っているために普段よりも早い日暮れ頃、早めの夕食を摂り終えて部屋に帰ってくるなり子供のように居眠りを始めたマイクロトフだった。
その傍でずっと書物を読み進めていたカミューだったが、退屈を感じ始めたところだった。暴雨を見物した後、無理やり起こしてやろうと思っていたのだ。
「おまえにしては間が良いな」
「ん?」
機嫌の良い自分を自覚しながらカミューは窓辺を離れて立ち上がったマイクロトフに手を伸ばす。
「ぐっすり寝ているから、つまらなかったよ」
「す、すまん」
首に腕を絡ませて、至近距離で極上の微笑を投げてやると、途端にマイクロトフの頬に朱が上る。恐る恐る腰に回ってきたその腕に、くすりと笑うとカミューは口付けを待って目を閉じた。
しかし、寸前それは中断を余儀なくされた。
二人の耳に、雨音と雷鳴に紛れて戸を叩く音が届いたのだ。
ぴくりと強張って、名残惜しげに身を離すとだみ声が扉越しに響いてくる。ビクトールだ。
「俺だ俺。ちと緊急事態だ」
そしてドンドンドンと叩くと言うよりは殴っているような音がまた響いた。
カミューはマイクロトフと目を合わせて首を傾げる。
「なんだろうね」
こんな嵐の夜に夜襲もあるまい。だが緊急事態とは聞き捨てならず、やにわに二人の顔に緊張が走った。足早に扉に寄るとカミューは一息に扉を開けた。
「ビクトール殿、いったい何が?」
「あ、やっぱりマイクロトフもこっちにいたか」
素早くカミューの後ろに立つ男を見つけてビクトールは肩を竦めた。そして手を一振りする。
「なに、そうたいしたこっちゃねえけどな。ちょっとやべえんだわこの城」
「やばい、とは」
存外、緊張感のないビクトールの口調に、やや肩の力を抜いてカミューは問い返す。するとビクトールは「はっはっは」と乾いた笑い声を漏らして顎を掻いた。
「雨漏りとかな」
豪放磊落な傭兵にしては気弱に呟いて苦笑した。
「この大雨で城のあっちこっちでガタがきちまって、ちょっと手が足りなくてよ。悪いが手伝ってくんねえか」
おやまあ、とカミューは目を見開いたのだった。
どうやら傭兵連中は、嵐到来の初期の頃からあちこち不安のある場所の補強などに奔走していたらしい。ところが予想外に強い風雨で追いつかなくなってきたとビクトールは言った。
「早く言って頂ければ良いのに」
近くにいた騎士を呼び寄せて、他の者たちを集めるよう指示するマイクロトフの横で、カミューはビクトールから事情を聞いていた。
「最初っからここにいる俺たちが一番この城の事知ってるしよ。充分対処できると思ってたんだがなぁ」
ぬかったぜ、とビクトールは顔を顰めた。
「ま、そういう事でよ。ちいと洗濯場周辺の崖の方頼むわ」
「分かりました」
あの辺が崩れりゃあ危ないからよ、と言うビクトールに「任せて下さい」とカミューは請け負った。そして集まってきた騎士たちに早速指示を出す。
数人ずつで組んで、崖周辺の崩れそうな個所に網だの綱だので補強を施す事。
「この暴風雨の中では危険な作業だが、よろしく頼むぞ」
マイクロトフが最後にそう言うと、騎士たちは頼り甲斐のある表情で頷いて掛け声のもと散り散りに去って行く。
「俺たちもやるか」
「そうだな」
頷いて身軽な服装のまま城の廊下を進む。すると部屋の中にいては分からなかったが、確かに城の中は奔走する傭兵や兵士の姿が見えて、気付かなかった方が少し間が抜けていたなと反省する。
出遅れたが、今からでも遅くない。カミューは肩で息をつくとにっこりと笑った。
ところが、廊下を進むうちに前方から泥だらけの小さな物体が転がってくるのに二人は足を止めた。
「…なんだあれは」
隣でマイクロトフが呟くのを聞きながらカミューは目をみはった。
「レディ……ユズ殿じゃないか」
小走りに駆けてカミューは小さな少女に手を伸ばす。全身泥まみれのユズはかわいそうにしゃくりあげるほどに泣いていた。
「ぅっく…だ、だれぇ?」
「騎士団のカミューですレディ。どうされました」
目の前に膝をつき、服の袖で泥と涙に汚れた少女の顔を拭ってやりながら、カミューは優しい声音で問い掛けた。
「あの、あの子達っ……のおうちがっ…こ、壊れちゃいそうっ…でっ」
ユズは小さな指で後方を指差して訴えた。
「とっ…トニーのお兄ちゃっ……お野菜が、大変そ……だしっ」
頑張ってたんだけど、とユズは声を震わせて泣いた。
「それは大変じゃないか」
一声残すとマイクロトフは駆け出した。
「ご安心下さいレディ。ほら、あのお兄さんが何とかしてくれますよ。さぁ、あなたはテツ殿の所へ行きましょう」
「も…もう大丈夫ぅ?」
見上げてくる幼い瞳にカミューは柔らかく微笑みかけた。
「はい大丈夫です」
その手を取って、廊下を風呂場へと向かって踏み出した。
折り良く風呂場にいたヒルダにユズを預けて、カミューは来た道を引き返した。その途中、何人かすれ違った兵士に声をかけて、畑と牧場の方にも誰か来るように伝える。
そして細い廊下を足早に抜けて外に出ると、そこはまるで酷いありさまだった。
周囲は暗闇に包まれ、目を凝らすと雨が真横に槍のように降っているのが見える。思い切って飛び出すと足元から風にすくわれるようだった。これはユズが泥まみれになるわけだ。よくも無事だったと思わざるをえない。
左側にはトニーの畑があるだろうが、ここはひとまず牧場が先だ。
横殴りの雨の中を駆け抜けると、小さな明かりが揺らめいて見えた。
牧場の奥に設けられた厩舎だろう。轟々と風の唸る音が渦巻く中、木造の小屋がぎしぎしと軋む音と一緒に家畜の鳴き声が聞こえた。
「あぁ、これはひどい」
呟いて口の中に入ってきた雨の冷たさに眉を寄せながらカミューは厩舎の扉を開けた。
四方に設えてある洋燈がぐらぐらと揺れる中、仄かに明るい厩舎の中は湿気が充満していて思わず咽る。
「マイクロトフ?」
眇めた視線の先、大きな背中が見えた。
「あぁ、来たかカミュー」
振り返ったマイクロトフは口許に微笑を浮かべた。
「一通り調べたが、この建物はそう脆く無さそうだ。問題はこいつらだ」
マイクロトフはその腕に子豚を抱えていた。
「暴れてひどい」
子豚はマイクロトフの腕で「きゅうきゅう」と鳴いてじたばたと暴れていた。
「牛も脅えているんだ……って何が可笑しいんだカミュー!」
「ご、ごめん…いや……」
子豚とマイクロトフの組み合わせがあまりに愉快で、カミューは笑いを噛み殺せなかった。
「似合うよ」
手の甲で口許を覆いながらカミューは笑いをこらえた。
「何がだ」
「うん、まぁ。それでは乾いた藁をもっと敷いてやって、火も焚いて湿気を飛ばすか」
厩舎の奥には一応火を焚く場所がある。くっくっく、と笑いながらカミューはそこへと向かった。
そして。
傍らで子豚を腕に抱えたまま、すうすうと寝息を立てる男の額を指で弾いてカミューは溜め息をついた。
「こいつは……」
火をつけて暖気がそろそろと厩舎の中を暖め始めた頃、漸く雨は小康状態になり家畜たちも落ち着きを見せてきた。
そしてやれやれと積み上げた藁の上で一休みした、その直ぐ後。カミューはまたもや寝入るマイクロトフに呆れたのだった。子豚でさえ、大人しく眠っているのだからもう笑うしかない。
「まぁ良いさ」
呟いて小さくなった火に焚き木を放り投げると、自分も藁の上に寝転がる。
「わたしも疲れた……」
細い吐息をついてカミューはゆっくりと瞼を下ろした。
翌早朝、心配のあまり眠れなかったユズが様子を見に行ったものの、なかなか起きてくれない騎士二人を持て余して、そこにいた泥だらけの騎士に相談を持ち掛けたが、結局なんの解決にもならなかった。
おかげでやはり泥まみれで泥のように寝ていたビクトールが引っ張り出されたとか、出されなかったとか。
END
役に立ってるのか立ってないのか
えー、テーマは「青氏と子豚」でした〜(冗談)
ばかっぷるのつもりで書いたんですが結局よくわからないですね
何が書きたかったんだろうアタシ…
2000/11/16