朝 の 一 幕
冬も入りの頃である。
マイクロトフはいつものようにきっちりと定刻に目を開けた。
目覚めた瞬間から眠気は何処かへ消え失せる非常に寝起きの良いこの男の場合は、目が開けば即座に起き上がる癖がついている。早朝の肌寒さに震えが来ようと何だろうと、それは変わらない。
しかし時に、直ぐに起き上がれない事情もある。
「………」
肩の辺りに感じる重み。横たわったままくいっとそちらに目をやれば朝方の白々しい明るさに、常よりも白く見える手が確りとマイクロトフの肩を掴んでいた。その先には当然ながら腕が伸び、折り曲げられた肘からは綿生地の寝着に包まれた肩が見え、うつ伏せ状態の襟首から顕わな項があり金茶の髪がその手とマイクロトフの肩に無防備に散っていた。
マイクロトフは一瞬の躊躇いの後に、ぴったりと凭れられている側とは反対の腕を持ち上げ、その白い手をやんわりと掴んだ。
「…カミュー、ちょっとすまんな」
抵抗なく手は肩から離れ、その隙にマイクロトフは身を起こした。そしてカミューの手を元のように敷布へと置いてやってからぐるりと首を回せば小さく音が鳴り、ついでとばかりに凭れられて未だその温もりの残る肩もぐるりと回す。
漸く、いつも通りの朝の始まりだった。
マイクロトフはさっさと寝台から降りると、衣服を纏めて仕舞ってある棚へ向かい、騎士服の上着の下に着る服を取り出す。そしてそれをぽん、と寝台の枕元へと置いておき水場へと向かった。
ざっと顔を洗ってさっぱりしたところで寝台へと戻ると、置いてあったはずの服がそこに無かった。しかしマイクロトフは首を傾げるでもなく、小さく吐息を落とすと視線を横へとずらしてみた。案の定、そこにはマイクロトフの青色の服を手に取り込んですやすやと眠り続けるカミューがいた。
「まったく……」
ぼやいてマイクロトフはカミューの手から服を取り戻そうと手を伸ばす。しかし皺が寄るほどにぎゅっと強く掴むその指は寝ているくせに頑固だった。長年の不思議であるが寝ているカミューは何かを掴みたがる癖があるのだ。その対象がマイクロトフ自身に向かう事は良くあるのだが、服とはまた珍しい現象である。
とにかく掴んだら離さないし、仮に離してもまた別の拠り所を探してふらふらとその手はさ迷うのだ。しかしここでカミューを起こしてしまうのはマイクロトフの本意では無い。なので出来るだけ慎重に指を一本一本剥がし始めた。
だがしかし。
「……カミュー…」
がっくりと肩を落としてマイクロトフは奪取した服を片手に途方に暮れた。
服の変わりに今度は己の手をがっちりと掴まれてしまったのである。
いったいどうしろと言うのだろう。今朝のカミューはどうにも掴み癖がひどいらしい。恐らくは、そろそろ寒いから少しでも温もりを得ようとしているのだろう。困ったものである。
それにしても、とマイクロトフは眠るカミューを見下ろした。
己の手をぎゅっと握り、心地良さそうにそれに頬を寄せてくる様はなんとも言えず、カミューへの愛しさが込み上げてくる。それだから余計に邪険に扱えないのだろう。無理に解くにはその懐き加減が溜まらなく―――可愛いではないか?
眠っているカミューは常よりも随分幼く見える。とはいえ充分な男の大人であるから、可愛いと言う表現は適切では無いかもしれない。しかしマイクロトフにとって可愛いものは可愛いのだ。本人にそんな事を言おうものなら機嫌を損ねてしまうかもしれないのだが。
しかしずっとこうしてもいられないので、とりあえずマイクロトフは服を置き、片手をカミューに預けたままなんとかもう一方の手だけで寝着を脱ぎ始めた。だがそれも直ぐに不可能であると悟った。
どうしても、袖が抜けないのだ。当然だが。
脱いだ寝着を肘の辺りに留めてマイクロトフはまたも途方に暮れ、寝台の傍に座りこむと幸せそうに眠り続けるカミューを眺めた。
「カミュ〜〜…」
そっと呼び掛けてみたが当然ながら効果は無かった。
仕方が無い、これはまた指を一本一本引き剥がすしか無いか。片手では難しそうだが、それでもやらねば早朝訓練に遅れてしまう。
決起してマイクロトフは立ち上がると前に屈み込みいざカミューの指に手をかけた。ところが、その弾みで肘の辺りに留めていた寝着がずるりと落ちてその手を覆ってしまった。
「おっと…」
これでは邪魔だと、すかさず退けようとした矢先だった。
カミューがひどく嬉しそうに笑ってその寝着を掴み締めると、ぎゅうーっとそれを抱え込んで顔を埋めたではないか。そして呆気なくもマイクロトフの手はそれで解放された。
「こいつは……」
思わず苦笑してマイクロトフはそんなカミューの髪をさらりと撫でた。そして寝着はすっかりカミューの手に預けてやると、手早く着替える。最後に手袋を嵌めて用意が整うと改めてカミューを見下ろした。
「良く寝る奴だ」
それにしても。
「幸せそうに眠る」
ぽつりと零してマイクロトフは屈み込むとその髪にそっと口付けを落とした。
「それでは行って来るぞ」
囁きでありながらもはっきりとそう告げてマイクロトフは足音を立てないようにして部屋を出た。
早朝。
まるで綿の人形を抱いて寝る子のように、穏かに眠るカミューの姿を知るのは、この世でただ一人マイクロトフだけなのであった。
END
可愛い赤さんネタでした
きじまさん、ありがとうございます
2002/09/16