あ た た か い も の
そこを通らなければ、多分ずっと気付かずにいただろう。
マイクロトフがそこを通りがかったのは全くの偶然で、たまたま少し迂回をして部屋に戻ろうという酔狂な思いからだった。
だが心の何処かで、同盟軍の敷地の中でも人気のないその辺りを、見回りしておこうかなどという気分もあったのかもしれない。もっとも、この時に限ってはそれが功を奏した―――いや、裏目に出たのかもしれない。
鼻腔を掠めたのは僅かな匂い。
ものの燻る匂いである。ほんのりと香ばしさの混じったそれは、木々の向こうから漂って来ているらしかった。
この人気のない木立の向こうで、誰か火を扱っているらしい。
その不審さにマイクロトフは息を潜めるとそっと茂みを掻き分けて匂いの元を辿って行った。進むにつれて匂いはますます顕著になり、確かに人の気配を感じる。用心の為にダンスニーの柄に軽く手をかけて音を殺しながら歩み寄った。
そこで不意に聞こえた子供の声。
眉を寄せてマイクロトフは立ち止まった。
まさか子供が火遊びをしているのだろうか。もしそうならばこの乾燥する季節では危険極まりない。マイクロトフはもう音を立てることを気にもせず一直線に声のした方へと突き進んだ。
ところが、視界にふと入ったその色彩に心臓がどきりと跳ねた。
見覚えのある赤いその色。
木漏れ日に透ける金茶の髪に、揺れるマントの影―――。
「カミュー!」
つい大声を出してそのひらけた場所へと踊り出ていた。
かの青年はマイクロトフの声にびくりと肩を震わせて、素早い動作で振り向いた。そしてその驚きに見開かれた琥珀の瞳がマイクロトフの姿をみとめるなり、その緊張した身体から力が抜けていく。
「なんだ……。マイクロトフか」
「こんな所で何をしている」
「何って―――焚き火」
白い手袋の指先が、足元を指し示す。そうして目を向ければぶすぶすと燻る枯れ落ち葉の山と、その周囲を取り囲む四人の子供たちの姿があった。年齢に多少のばらつきのあるらしいその子供たちは、どの顔も一心に燻る枯れ落ち葉の山を見つめている。
「何をしているんだ?」
「いや、だから焚き火を」
繰り返し同じ答えを返して来るカミューに、マイクロトフはただ黙って目を眇めた。するとコホンと小さな咳払いがあった。
「……と、焼き芋」
「………」
「人数分しかないんだ」
「誰も寄越せなんぞとは言わん……」
「あ、そうか?」
ホッとしたような、どこかしら照れたような顔をしてカミューは足元に座り込む子供たちをみた。
「こういう事はやっぱり小人数でこっそりやると楽しいじゃないか。なぁ」
「知らん」
確実にこの子供たちと同じ目線にまで精神年齢を下げているに違いないと溜息を落としながらマイクロトフは改めて周囲を見回した。
鬱蒼と木々の茂る城近くの場所。ほんの少しひらけたそこはどことなく子供たちの秘密の遊び場のような印象を与える。このような場所はまだまだ他にもあるに違いない。時折カミューがふらりと姿を消す時があるが、おそらくはこういった所に身を潜ませているのだろう。
そうして辺りを見回すマイクロトフを、カミューは首を傾げてじぃっと見詰めた。
「それにしても犬並みの嗅覚か? どうやってここが分かったんだ」
「失礼な事を言うな。たまたま傍を通りかかったのだ。……匂いがな」
「やっぱり、煙は消せても匂いは無理だったか」
頭上に茂る常緑樹の枝葉が重なり合い、煙はそれで消える。だが匂いは風が吹けば漂うものである。
と、その時子供たちのうちのひとりがそんな二人を見上げてきていた。
「…ね、まだかなぁ」
カミューは「うん」と頷いて膝を付く。
「まだ……かな。もう少し待ってくれるかい」
言ってやると子供はこくりと頷いてまた燻るそこへ目を向けた。
「しかし、何故こんな場所で……そもそも許可なく敷地内で焚き火は感心せんな。火事になったらどうする」
「用心はしているよ」
「だが」
それでも難色を示せばカミューが器用に片眉だけを上げてマイクロトフを見上げた。
「ならば今からこれを消せとでも言うのか? この子達をがっかりさせるのがおまえの本意か、マイクロトフ」
「う」
居並ぶ幼い面々を見せつけられてマイクロトフが言葉に詰まる。
「……今回だけは見逃す」
「相変わらず固い奴だね」
「言っておくがこれは危険なんだ。良いか、大人が居ない所では決して真似をしてはならんぞ」
マイクロトフは真面目に子供らにそう言い聞かせる。すると素直な子らなのだろう、各々がこくこくと頷いて不安そうにカミューの顔を見た。
「怖いけど心配は要らないよ―――さ、そろそろかな」
傍らに置いてあった太い木の枝を取り上げて、カミューは焚き火の中へそれを突っ込んで掻き回した。ほどなく、真っ黒に焦げた物体がころころと転がり出てきた。
「うん、良い感じ」
にっこりと笑ってカミューはその黒い塊を五つ、枯れ葉の山から遠ざけた。
「まだ熱いから触ってはいけないよ?」
言いながら懐から取り出した小枝を並べて、何の躊躇いもなく塊に次々と突き刺して行く。そのどこまでも機嫌の良さそうな顔で作業をして行く姿は、余りに騎士の優雅さからは掛け離れていた。
「カミュー……」
「ん?」
片手に枝に突き刺した黒い物体を持って笑うカミュー。
「いや、なんでもない」
「なんだ。変な奴だな―――さ、出来た。まだまだ熱いが何とかして回りの焦げた皮を剥いてごらん」
そうしてひとつずつを子供たちに手渡してやる。子供たちは受け取ったはしから「熱い」と騒ぎ立てながら黒く厚い皮を何とか剥こうと奮闘している。そうしてぼろりと剥がれ落ちたその下から湯気を立てて現われた黄金色の中身にそれぞれ喚声をあげた。
「良い出来」
笑ってカミューは自分の分を剥き始める。ご丁寧に手袋を外して素手である。
「あつつ……―――あぁ、ほら…良い匂いだ」
ほっこりと薫る甘い香ばしい匂いにカミューが嬉しそうに瞳を細めた。そして。
「ほら」
湯気をたてる美味しそうな芋を、マイクロトフの口元に差し出した。
「ん?」
「食べないか?」
「あ、いや……」
ふと気付けば、子供らが芋を頬張りながらじぃっとそんな二人を見上げていた。見下ろしたマイクロトフの仕草にカミューもそんな幼い視線に気付く。
「美味しいかい?」
「うん」
にっこり笑って促され、元気良く頷いて子供たちは再び芋に没頭する。それを確認しながら再びカミューはマイクロトフに向き直った。
「ほら、食べろ。熱いうちが美味しいから」
と言ってマイクロトフの手を掴んで握らせる。
「全部食べたら怒るからな」
そして最前の太い木の枝を再び手にすると、枯れ葉を上手く寄せ集めて掻き回す。瞬く間に燻っていたそれらが空気を含んで勢い良く燃え始めた。
「燃えろ燃えろ〜〜」
「おい」
あまりの不穏な物言いに嗜めるが、カミューはガサガサと燃える枯れ葉の山を突つき回しては更に火を大きくする。
「真似をしてはならんからな。これは悪い大人の見本だ」
火の照り返しを受けてその暖かさに頬を緩めているカミューの頭をごつんと拳で押し付けてマイクロトフは辺りの子供らに言い聞かせる。
「痛いよ……マイクロトフ」
非難がましい目で見上げて来るのを無視してマイクロトフは腕組みをする。
「そもそも、こんな人気のない場所にこんな子供を誘い出すなど―――姿を見ないと親が心配するだろう」
「…無粋な奴め……」
「何か言ったか」
じろりと睨んでもカミューにはあまり効果はない。先ほどまで枯れ葉を突ついていた枝を放り出すと腿を叩いて立ち上がる。
「ま…おまえの言う事も尤もだろう―――芋も焼けたし解散するか」
そして傍にいた子供の頭を軽く撫でてまた身を屈めた。
「さあ、もう火を消そうか」
すると子供たちは皆、悲しそうな顔をしてカミューとマイクロトフを見比べた。
「なに、火を消すのも楽しいよ。しっかり消してしまうから」
カミューが言うと倣うように子供たちも頷く。随分と上手く懐かせたものである。
マイクロトフが呆れていると、遠くにいた子供が一生懸命に何かを運んできた。
「あぁ、有難う。持ってきてくれたんだね」
子供の手からそれを受け取るとカミューはお礼代わりにやはり頭を撫でて微笑みを見せる。老若男女の区別なく魅力的なその笑みは、十分な褒美になったらしい。やたらと嬉しそうな顔をして子供も笑う。
「なんだそれは……」
見れば、それはバケツで、中にはなみなみと水が張ってあった。
「どこからそのバケツを……」
「ん? モクモク殿がね、カレーをご馳走したら何処かから持って来て快く下さった」
零しちゃいけないから、離して置いてあったんだけど、とカミューはそのバケツを持ち上げた。
「重かったろう? 有難う」
もう一度微笑んで、カミューは勢い良くそのバケツを焚き火の上で傾けた。途端に山の端から白い煙がのぼり一帯が水浸しになる。そこへ足癖の悪い足が砂をかけ始めた。
「水をかけた上で、こうして砂をかけておけば大丈夫だ」
すると子供たちも真似をして一斉に砂をかけ始めた。
「そうそう。賢い賢い」
マイクロトフは傍らでただ黙って見ていた。だいたい、入り込む余地などなく、そうこうする内にすっかり消火活動を終えてしまう。
「さあ、もう帰りなさい。今日のここでの事はみんなには内緒だよ?」
カミューが微笑むと、子供らは一斉に頷いた。その顔はどれもきらきらと輝いている。その小さな背を軽く押し出してやると、元気良く子供たちは駆け出していった。それを見送り、やれやれとカミューが背筋を伸ばす。だが不意に慌ててマイクロトフを振り返った。
「あ、芋。冷めたか?」
「いや。まだ熱いぞ」
言って、一口も食べていないそれの皮を新たに剥いて差し出してやると、カミューは顔を突き出してそれにぱくりと食いついた。
「こら」
行儀が悪いと嗜めると、へら、と笑う。
「美味しいなぁやっぱり……騎士団にいた時、いつもやっていたから懐かしくて」
「……なんだと?」
「あれ?」
不味い事を言ったかな、とカミューが笑いながら首を傾げる。
「それは…平騎士だった頃の話なんだろうな」
まさか、隊長になってからはしていないよな。ましてや団長に任ぜられてからなどは有り得ないよな、と言葉なく目で訴える。だが。
「今年の春先まで……―――ほら、部下も結構喜ぶから……マイクロトフ?」
激しい脱力感を覚えてマイクロトフは芋を握り締めたまま屈み込んだ。
「あ、あ」
カミューはと言えばその芋を追ってマイクロトフの背に覆い被さって来る。
「マイクロトフ。ほら芋が」
「芋が芋がと!」
「うわっ」
勢い立ち上がったマイクロトフに跳ね上げられて慌ててカミューが受身を取る。
「いたたたた」
「む、すまん」
憮然とした面持ちながらもカミューに手を差し伸べて立ち上がるのを助ける。そうしながら持っていた芋をカミューに押し付け、ふい、と視線をそらせた。
「冷めんうちに食え」
「どうしたマイクロトフ」
不審に思ったカミューがその顔を覗き込めば、それは怒っていると言うのとはまた別の奇妙な表情を浮かべていた。
「……あぁ、もしや拗ねているのか」
「なっ! 誰が!」
「おまえに内緒で、毎年の冬に焚き火をしていたから疎外感を感じたりなんか……」
「カミュー」
低い声にカミューの目が、きょとんと見開かれる。
「あ、図星か」
「……分かっているのなら、あえて言うな…」
沈んだように目を伏せてぽつりと漏らすマイクロトフに、カミューがおやおやと苦笑を浮かべる。
「ならマイクロトフ。今度からは一緒に焼き芋を作ろうか」
「俺は別に芋は要らんぞ」
「じゃ、焼肉でも」
「どうやってやるんだ…」
相変わらず憮然としていても、どこかしら嬉しそうな瞳の色をするマイクロトフに、カミューも朗らかに笑う。
「アダリー殿あたりから、余りものの鉄板を貰ってさ」
「おまえ、人から貰ってばかりだな」
そのバケツと言い…と指差すと、カミューは「何を」と胸をそらせた。
「こう言う焚き火だとか焼き芋作りなどは如何に金をかけずにあるものだけで楽しく美味しく、というのが基本だろう? この芋だってトニー殿からお裾分け頂いたものだぞ」
「…そう言うものか?」
「あぁ、問題は肉だね。レストランから細切れを頂くか」
「……肉くらい俺が用意する」
「そうかい? ならいつ頃にしようかなあ……」
途端に目を伏せてワクワクと考え込むカミューに、マイクロトフは密かに溜息をついた。
そうなのだ。
カミューは昔から粗野で雑なところのある男だった。こいつなら山で遭難しても生き延びられるに違いないと思ったのも一度や二度ではない。そんな男が、焚き火のひとつやふたつや三つや四つや……―――黙ってこっそりしていないはずがなかったのだ。
「まぁ…ロックアックスの冬は殊更寒いしな……」
何気なく呟くと、カミューが何だと顔を上げる。
「いや。そうだな……また来週くらいにでもするか? それまでに肉を用意しておこう」
「分かった。それではわたしはワインでも持ってくるか。鍋を持ってきてホットワインを作ろう」
「………楽しみにしておこう…」
やはり些か呆れる感は拭えないが、楽しみな気持ちは本音だったマイクロトフである。
「さぁ、早く芋を食ってしまえ」
「うん」
にっこりと、心底嬉しそうにカミューが笑うのだから。
それに、焚き火の暖かさは厳しい冬の寒さを和らげてくれる。マイクロトフとて決して嫌いではないのだ。
そうして後日。
如何にも怪しい動きで肉を用意するマイクロトフに気付いた者達が二人の焚き火現場に乗り込み、結局こっそりとするはずだったそれが、大勢での屋外焼肉パーティーと化したのはまた別の話である。
END
焼き芋は美味しい
大きいのも好きですが小ぶりのものをパクパク食べるのも良い
自宅でオーブンなどで作れば直ぐなので
屋台の石焼き芋は高価でいかんです(笑)
2002/01/14