交差する道 5
同盟軍の正軍師だったシュウは、交易商人としても天賦の才能を持った人物だった。
かつて大勢の難民を抱え、デュナン湖畔の廃墟に逃げ延びるだけで精一杯だった同盟軍だ。それをシュウは、ハイランドからの侵攻を防ぎつつ、同時に各地との交易販路を築いて組織としての地盤を固めていった。当時の軍の資金源はもっぱらその交易から賄っていたといっても過言ではない。おかげで新たに建国されたばかりだというのに新都市同盟軍は最初から経済の基盤が出来上がっていたのだ。
これは外交的にも有利であり、デュナンの動静を見守っていた他国も注目せざるをえなかった。
そしてマチルダ領はその立地から、いまや重要な交易の要となっている。領内を東西に真っ直ぐに突き抜ける広い街道と、東西南北に通じる関所。ミューズは湖畔近くにあるためにもっぱら水路を利用した交易が盛んだったが、この戦争の中で都市同盟はこのマチルダを通る陸路を使っての新たな交易路を確保していた。
これのおかげでマチルダは戦後、領内政策のありかたを考え直す必要があった。
「あー! マチルダ産だってこれ!」
ナナミが歓声をあげて雑貨屋の軒先を覗き込む。
市場まで繰り出してきた一同だったが、大喜びで見てまわっているのはナナミで、カミューたち男連中はひたすらその後をついて行くばかりだった。
「最近はこちらでもマチルダのものを見かけるようになりましたね。交易の販路が戦後よりずっと整いつつあるということでしょうから喜ばしいことです。ああ、ナナミ殿、これなど貴女にとてもよく似合いそうだ」
髪飾りをひとつ手に取り、少女の髪に添えてみせる。さりげないその仕草に、ナナミは頬を赤らめ嬉しそうにはにかんでいる。
「……ナナミはもっと、こういう、明るい色の方が似合うんじゃないか」
そして張り合うようにして、また別の髪飾りを手にしたのはジョウイだ。しかし。
「そうですね。ああ、こちらの首飾りも綺麗ですよ、ほら。少し大人っぽい意匠かもしれませんが、こうした良い品はもうお持ちですか?」
「ううん。でも駄目駄目、こんなの綺麗すぎて似合わないってば。私には高価すぎるし無理だよ」
「そんなことはありませんよ?」
にっこりと間近で微笑むカミューに、ナナミはますます顔を赤くして俯いた。けれどもちらりと上目遣いで「ほ、ほんとに?」と小さく呟く。
「もちろん。わたしは女性を褒める時は正直なんです」
「や、やだもう! カミューさんったらぁ」
ナナミは頬を両手で押さえて首をぶんぶんと左右に振りたくった。
ところが。
「きゃ」
ナナミのひじが、すぐ近くに居た小柄な女性にぶつかり小さな悲鳴があがる。
「ごっ、ごめんなさいっ!」
「まったく、ナナミはやっぱりいつまでたってもナナミだな」
「どー言う意味よ〜。ああ、もう。本当にごめんなさい。痛くはなかったですか?」
ジョウイに頬をぷくりと膨らませながら、ぶつかった相手に詫びるという器用な真似をするナナミに、つい苦笑を誘われる。
「大丈夫ですか? おや、これは――」
ナナミに何度も謝られて恐縮している女性に歩み寄ったカミューは、ふと彼女の足元に落ちているものに気付いて拾い上げた。
「お守り……?」
「あっ!」
パッ、とカミューの手から、小さな木彫りのそれがひったくられる。呆気に取られて女性を見ると、我に返ったようにハッとして胸元で握り込み、顔を伏せた。
「すみません、あの……拾ってくださってありがとうございます」
「どういたしまして。大切なもののようですね」
話しかけつつカミューは女性をさりげなく観察する。それはもう習い性のようになっていて、無礼だと分かっていても控えることはしていない癖だ。しかもこうして大切な守護するべき誰かがそばに居る時は特に。
女性は小柄で、裕福な家に暮らしているのか艶やかで長い金髪を背中の中ほどまで豊かにたらし、手入れの行き届いたきれいで美しい指先をしていた。背丈はカミューが見下ろすほどに小さく、ナナミとそう変わらない。線も細く薄い肩が頼りない。だがすっと伸びた背筋がささやかな芯の強さを感じさせた。
「おひとりですか。こんな賑やかな場所に貴女のように可愛らしい人が一人で居てはあぶない」
「あ、いいえ」
慌てて顔を上げた彼女と視線が合う。薄い蒼の瞳が真っ直ぐに見上げてくる。その顔は小作りで小さな鼻とくちびるに比べて目は大きく睫毛がばさりとしていた。年齢もナナミと近いくらいだろうが、彼女とは対照的な白い肌が石膏のようだった。
いわゆる一般的に見て美少女の類いだ。ジョウイと並べて立たせたらきっとお人形のように映るだろう。
「あの、向こうに連れが」
「なら良かった。カレリアには観光ですか? この市場には各国の特産物があって楽しいですよ」
「は、はい」
「それでは、失礼しました。どうぞごゆっくり」
にこりと爽やかな笑顔を浮かべて少女に会釈すると、カミューはナナミらに意識を戻した。
「さ、あちらに参りましょう」
すぐ隣りにいたナナミの肩を押すようにして方向転換させる。だが下方からじっとりと見上げられて、カミューは「ん?」と首を傾げた。
「どうされました」
「相変らずの美青年ぶりだと思ったの」
「はは、なんですかそれ」
笑うと、ナナミは歩を進めながらも呆れたようにため息を零した。
「同じ言葉をジョウイたちが言ったって絶対に舌がもつれるもの」
「そんなことは―――」
ちら、と主を見れば困ったような照れ笑いを浮かべられる。実はそこまで甘い言葉を口にした自覚がなかったカミューである。
「ありましたか?」
苦笑して問い掛ければナナミはくすくすと笑って「そうだよ」と頷いた。
「でもそんなところも変わってなくて、すごく懐かしいな。あれってカミューさんが騎士様だったからかなと思ってたけど、やっぱり性格だったんだね」
「そうですね。女性に親切に振舞うのは騎士の心得ですが、それが得意かどうかは個人差としか言えません」
「だよね。マイクロトフさんとか?」
問われてカミューは軽く頷いて笑みを浮かべた。あの男は女性相手にはとにかく不器用な性質だった。優しくはあったが戸惑いが勝ってぎこちなくなるのだ。いつだって助けを求めるような目で見つめてきたのを思い出す。
「あれは見ない振りが難しいんだ」
「なにが?」
「いえ、こちらの話で」
滅多に人を頼ることをしない男の、たまに見せるあの眼差しが、カミューにはかわいくてたまらなかった。それもマイクロトフが隊長位を拝命された辺りからは、彼も社交界にも出なくてはならなくなり、そうそうカミューが手助けしてやるのも良くないと見ない振りをすることが多くなった。
放って置いてやればそれはそれで、なんとか卒なくこなす程度の技量はあるのだから、黙って見ていてもなんら問題はなかったが、苦手意識は拭えないらしく、後になって意地が悪いのなんだのと文句を言われたりもした。
懐かしい思い出である。
ところがそんな追憶は、不穏当な気配によって唐突に断たれた。
視界の端を過ぎる妙な一団の影に、カミューの研ぎ澄まされた感覚が危機を察知して、目の前の主と少女の肩をぐっと左右の手で掴んで引き止めていた。
「カミューさん?」
「お静かに、妙な連中がいます」
市場で名産品を見繕う客達の中で、奇妙に浮いた荒くれ者たちの姿が目に入る。ちらりと視線を横に流しながら、カミューは主たちの肩を押して、露天の柱の影へと誘導した。
そして彼らが柱に隠れる場所に入り込んだ、ちょうどその時だ。カミューの目の前で屈強な男が三人がかりで、小柄な女性を静かに有無を言わせず囲い込み、その腕といわず肩といわず抱き込み、人気のない裏路地へと連れ込もうとしていた。
きらりと光ったものはおそらくは刃物の類いだろう。
「さて」
見間違い出なければ、かどわかされそうになっているのは、先ほどぶつかった少女である。
「カミューさん」
同じものを見たのだろう。主の硬い声が聞こえ、カミューはその耳元に顔を寄せた。
「助けますか?」
小声で問うと、振り向き見上げてくる真っ直ぐな黒い瞳が小さく頷いた。
「お願いしても良いですか。もちろん、僕たちも一緒に」
「では参りましょう」
「じゃあ、僕たちは向こう側から回り込むので、カミューさんは正面からお願いします」
「承知しました」
二人のやりとりを聞いて、ナナミとジョウイも心得た表情で、主と一緒に通りを小走りに駆けていった。カミューはそんな彼らの背を見送ると、やおら腰の剣の留め金を外し、柄を押さえ込むようにして握り込み、連中の後を追って裏路地へと向かった。
路地を覗き込むと、少女は男達に取り囲まれ抵抗らしい抵抗もなく、口を掌で塞がれ、その手を背中の後ろで縛られているところだった。カミューは無造作な足取りで彼らに近寄っていく。
「お嬢さん」
声をかけると全員がはっとして振り返る。
「彼らが、お連れの方々ですか?」
少女の目が大きく瞠られて、それから慄いたように取り囲む男達を見る。だがカミューの問いかけに答えたのは、その男たちの方だった。
「騒がれんのは面倒だ。おい」
「へい」
頭目らしき男が顎をしゃくると、少女を捕まえている男以外がカミューの方へゆらりと歩み寄ってきた。これは問答無用で黙らせるつもりか、とカミューは身構える。だがその時、ドカッと鈍い音がして、少女を捕まえていた男が吹っ飛ばされ、路地に積み上げられていた木箱に激突して、派手な音を立てた。
見ればナナミが今まさに、飛び蹴りから華麗に着地したところであった。
「今よっ!」
瞬く間に少女を解放したナナミは、その腕を取ると脱兎の如く駆け出した。そして入れ替わるように、その場に進み出たのは二人。片や長い棍を掲げ、片やトンファーを構えている。相変わらずのそれら武器をしっくりと使いこなしている彼らの姿に、カミューの瞳が細くなる。
「なんだ、おまえらぁ!」
と、そこで唖然としていた頭目らしき男が唸り声をあげた。
しかしそれに答える代わりに少年たちは声もなく踏み込むと、ぴたりと息の合った動きで男を挟むように囲むと、あっという間に地面に沈めてしまった。そして、じろりとカミューの前に居る連中を睨み付ける。その迫力に呑まれて男たちは思わず背後を振り返るのだが、そこには剣をいつの間にか抜き放っていたカミューが立っている。
「残念。逃げられない」
にっこり笑ってカミューもまた、力強い踏み込みで前に進み出たのだった。
路地から大通りへと抜け、人波を縫うように走って、ナナミは少女の腕を引いたまま逗留中の宿へと駆け込んだ。
「よし、つけられてないわね」
それからずっと腕を掴んでいた少女を漸く振り返って、目を瞠る。彼女は今にも崩れ落ちそうな程に息を乱してぜいぜいと苦しそうに喘いでいたのだ。
「え! あっ、大丈夫?」
ナナミは思わずしゃがみこんだり立ち上がったりした挙句に、おろおろと慌てふためき宿の者から水を貰って差し出した。
少女は咳き込みながらその水を飲み干すと、ようやく一息ついたようによろりと倒れこむように椅子へと腰を下ろした。宿に入って直ぐの場所は小さな机と椅子が設えられていて、休憩できるようになっている。
「ごめんなさい、こんなに……走ったのは、……はじめてで」
「ううん。こっちこそごめんね。全然気付かなくて、無理させちゃった」
よく見れば少女の白く細い腕には、ナナミがしっかり握った痕が赤く浮き上がるように残ってしまっている。
「腕、痛くない? あ、こっちで横になる? ほんとにほんとにごめんね? 怖かったのにね」
「……え?」
少女がきょとんと目を瞬かせる。
「うん、だってあんな物騒なおじさんたちに、危うくかどわかされかけたんだもん」
「あ、そう……ですね」
「ん?」
俯き、ぽつりと呟いた少女にナナミが首を傾げた時、宿の扉が開いてカミューたちが姿を見せた。
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五ヶ月ぶりの更新でした。
唐突な場面転換に戸惑われましたらごめんなさい。
物騒な連中のセリフがなかなか決まらずに悩んでいたりしてました。
2011/10/14