フレックスタイム


 荘厳なるロックアックス城。その城内にある赤騎士団長の私室には、毎朝定刻になると青騎士団長が訪れる。
 三度のノックの後、青騎士団長は声もかけずにノブに手を伸ばすと、当然のように扉を開けた。
 彼は無言のまま室内を横断すると、奥にあるもうひとつの扉もまた三度のノックをしてから開け放つ。そして中にいるであろう人物に呼びかけた。
「カミュー」
 扉の奥の寝室は閉じられたカーテンが曙光を遮ってまだ薄暗い。マイクロトフはシンと静まり返った室内を一巡してから、おもむろにそのカーテンを開けた。さっと室内に朝の光りが満ちる。
「カミュー」
 もう一度呼びかけると、中央にあるベッドに横たわる赤騎士団長は僅かに身じろいだ。それでも完全な覚醒には程遠い。マイクロトフは靴音高くベッドに寄ると、そこに腰掛けた。
「カミュー?」
 手をついて彼の顔を覗き込むと、朝の光りにその瞳を固く閉じている。思わず笑みをこぼしてマイクロトフはその瞼にそっと触れた。その手が影を落して、カミューの目許から緊張が解ける。だが直ぐに触れた温もりにその瞼がそろりと開いた。
「―――……マイクロトフ?」
 掠れた声が彼の名を呼んだ。おぼろげながら瞳の焦点が彼の視点と絡み合うと、その琥珀色の瞳に緩やかな笑みが宿る。
「おはよう。カミュー」
 瞼から額に移った指で、乱れた栗色の髪を掻き上げてやると、その笑みは陶然としたものに変わった。
「おはよう……マイクロトフ」
 カミューはその手を取ると、手の平にくちづけた。
「起こしてくれてありがとう」
「かっ……カミュー」
 美しい恋人の、些細な戯れにさえマイクロトフはうろたえる。慌てて引っ込められた手を名残惜しそうに見て、カミューは困ったような笑みを浮かべた。
「いや……えっと」
 マイクロトフは引っ込めた手を一瞥して、もう一度そろりと伸ばした。その指先がカミューのこめかみに触れたとき、同時に彼らの唇も触れ合っていた。軽いくちづけの後、身を引くマイクロトフにつられるようにカミューは身を起こした。そして、腕を突っ張って背伸びをすると、窓の外を見る。
「今日も良い天気みたいだな」
「ああ」
 まだ少し掠れた声のカミュー。寝起き特有の緩慢な動作ながらものろのろと動き出すが、今にももう一度寝床に倒れ込みそうな様子だ。どうにか完全に寝具から抜け出るとその瞳から徐々に眠気が消えて行く。
 マイクロトフはそんなカミューの覚醒を確認すると、朱の走った頬を隠すように立ち上がり踵を返す。
「さっさと着替えるんだぞ」
 寝室の扉に手をかけ、出ていく前にそんな言葉を残していく。返事をする間もなく姿を消した恋人に、カミューは人知れず苦笑を浮かべた。



「おはようございます、カミュー様」
「おはよう」
 朝の早いうちから登城しているメイドの女性たちに、満遍なく笑みを向けて、カミューは真っ直ぐ執務室へと向かう。城内は朝の光に満ちて、そこかしこで一日の活動を始めている。執務机の上には既に部下から上げられた書類が束となって積まれていた。
「おはようござます」
 カミューが執務机の椅子に座ると同時にノックの音も高らかに、待ち構えていたかのように赤騎士団副団長が入室してくる。
「おはよう」
「本日もよろしくお願い致します」
 カミューよりも年かさの副団長は、毎朝の決り文句を述べてから、手に携えた書類を執務机に積まれた種類束の横に置く。
「こちらこそよろしく頼む」
 カミューも毎朝繰り返す返事を、変わらぬ口調で微笑みと共に彼に返す。そして置かれたばかりの書類を手に取り上げた。書類は城内の風紀についての発案書である。日付は昨日。副団長経由で届けられた書類の重要性を慮って、カミューの視線は注意深く文面を追うが、それがある場所でぴたと留まった。
「これは……青騎士団長の発案か?」
 湧きあがる興味深さを隠せず、つい口に出す。すると副団長は素早く手元の資料を繰ると、滞りの無い声で答える。
「はい。出仕時刻に対しての提案書でございますな」
「ああ」
「現在は皆同時刻の出仕となっておりますが、これを数時間の幅を持たせ各自申告制にしてはどうか、というものですな。無論、出仕時刻を遅くしたものはそのぶん退出時刻もずれ込みますが」
「なるほど」
「もしこれが採用、実現されれば、城下の離れた場所から登城している騎士たちには喜ばれましょうな」
「そうだな」
 そう。朝に弱いものも喜ぶだろう。逆に朝に強いものもまた時間を有意義に使えるわけだ。
「しかし、あのマイクロトフ様にしては随分とくだけた内容の発案書ですな」
「うん」
 頷きながら自然と笑みが零れる。
 書類に走る癖の強いマイクロトフのサイン。
 毎朝彼は、全ての支度を整えた上に自主的な訓練を済ませてからカミューを起こしにくる。それはカミューの休暇日を除けば欠かされる事の無い日課であった。いつの頃からか、恋人がまだ親友だった頃から続けられてきたその日課は、実はマイクロトフの方にかなりの負担がある。
 今朝などは珍しくすんなり済んだ方だ。寝つきも悪ければ寝起きも悪いカミューは、例えどんなに早く寝たとしても目覚めが遅い。結果、随分といぎたない真似をする。声をかけられようが揺さぶられようが寝具を剥ぎ取られようが―――。
 愛するマイクロトフが起こしてくれるのだと思うと、なんとか目をこじ開けようとするが大抵うまく行かない。恋人の声の心地よさに酔ってしまう効果もわざわいする。これが休暇の日となると自然に目覚めるまで眠っているわけだが、そんな時は城内の騒然とした気配に騎士としての訓練された知覚が反応してしまい、執務が始まる頃には起きている。そんな日の朝はなんだか素っ気無くて心許ない。
 毎朝、まどろみの中で恋人の優しい声と手を感じて目覚める。それは眠りを妨げられた不機嫌さを吹き飛ばすほど幸せなひと時で―――。

「この案―――私などは通れば良いと思いますが、カミュー様はどう思われますか?」
 副団長の声にカミューは暴走し始めた思考を中断した。少し早まった動悸を自覚しながら、副団長に微笑みを向ける。
「わたしも、通れば良い方に賛成かな」
 そしてマイクロトフのサインをそっと指でなぞった。
 マイクロトフは企画や発案などを進んでするタイプではない。これは、そんな彼がカミューの為に思い付いた案だと、そう思うのは余りに身勝手だろうか。このサインは彼が恋人の朝を考えた結果のものと思うのは思い上がりだろうか。
「赤青両騎士団長が推すのなら恐らく通るでしょうな」
 と、副団長は手元の書類になにやら書き込みをする。そして時計を見ると、不意に目を見開いて首を傾げた。
「どうかしたか?」
「申し訳ありません。少し雑務を思い出しました」
 直ぐ戻ります、と慌しく副団長が執務室を出て行くと、カミューはマイクロトフの書類をもう一度見直した。清書は部下がしたのだろうが、サインだけはマイクロトフのものだ。カミューはその箇所が無性に愛しくて、そこにそっとくちづけた。



 赤騎士団副団長の予想通り、マイクロトフの案は通った。
 そしてカミューは出仕時刻を常よりも若干遅くに設定した。城が活気付く時刻になれば自然と覚醒するのだ。それほど遅らせる必要は無かった。無論マイクロトフもその出仕時刻を早くにしたのは言うまでも無い。
 だが、相変わらずマイクロトフはカミューの私室に毎朝訪れる。
 恋人をその声と手で目覚めさせる日課は、お互いの出仕時刻が変わっても無くならなかったのだ。

 ―――これからも変わらず起こしてくれるだろう?

 案の通った日の夜。カミューがマイクロトフの耳元にくちづけと共に囁いたのは、そんな言葉だった。


END



コンセプトはくちづけ
甘いですねー
しかしマイクロトフの語彙が少ないですね
カミューとしか言っていない(笑)

初青赤SSはとりあえずこんな仕上がりでした

2000/02/22