泡 沫 の 甘 え - うたかたのあまえ -


 湯気の篭る密空間。
 未だ留まらない水滴が落ちる音が、耳に馴染んで心地良い音楽的な響きになっている。
 ほんの少しだけぬるめの湯にのぼせるほど浸ったあとに、そこから引き上げられて冷たい夜気に晒される。だが肌が粟立つより早く、白い清潔なタオル地に包まれて溜息が洩れた。
 正面から広げられた起毛のそれに顔を埋めて、カミューはそのまま倒れ込むように凭れる。だが身体は床に横たわるでもなく、力強い腕の中に包み込まれてしまう。
「カミュー?」
「……眠い」
 耳に滑りこんできた低い声は笑み混じりだ。そして大きなバスタオルを引き下ろされて、栗色の髪がばさりと跳ねて、水気が散った。引き下ろされたタオルはそのまま背の方へと滑って濡れた箇所を撫でて行く。だが濡れた髪も直ぐに別のタオルに包まれてごしごしと拭かれた。

 カミューはまるで赤ん坊のように床の上に座ったまま、されるがまま風呂上りの火照った身体をマイクロトフに拭かれている。その、マイクロトフの身体も濡れているのだが、彼はそこにやはりバスタオルを巻いただけの姿で、自分のことは後まわしにして取り敢えずカミューの世話を焼くのに忙しいようだ。
 時折マイクロトフの髪から滴った水がカミューの背中に落ちて、ぴくんと白い肌が震えたりする。だがそれに文句を言うでもなく、また笑うでもなくカミューの反応は鈍い。
「ほら、カミュー。万歳だ」
 声に、ゆっくりと両手が上がるが、脇から離れたくらいで万歳と言うほどの形にはならない。だがマイクロトフにとってはそれで充分なようで、持ち上げられた両手に服の袖を通すと器用に頭を入れて着せてしまう。それから、まだ湿気を含んだ髪を拭いながら、その上半身を引き寄せて自分に凭れ込ませてやると、片足を引き寄せて下衣を穿かせてやる。
 それほど手間取らずに寝着を着せられるのは、カミューが全く抵抗をしないためか、それともマイクロトフが慣れているためなのか。
 ともかくもすっかりカミューの支度が整えられると、そこで漸くマイクロトフは自分の髪を乱暴にタオルで掻き回すようにして湿気を飛ばすと、寝着の前合わせの釦を留める時間も惜しいとばかりに、ぞんざいに着てしまい濡れたタオルを籠に放る。それからいつもの定位置の壁に寄りかかって、うつらうつらと今にも眠りに落ちそうな身体を抱き寄せた。
「待たせたな」
「……ん…」
 小さな応えに微笑で返してマイクロトフはひと息にカミューの身体を抱え上げた。そして扉の木枠や壁にその足先や頭をぶつけてしまわないように細心の注意を払って脱衣所を出て、寝室へと向かう。その間、人気のなかった冷えた空間によって寒さを覚え無いように、自分の体温さえ盾にでもするかのようにマイクロトフのその腕は揺ぎ無くカミューを抱いている。
「あぁ、ほらもう寝て構わんぞ」
 と言っても殆ど夢心地であるその身体を、やっと柔らかな褥に横たえさせてマイクロトフ自身もその隣に滑りこむ。そして上掛けを引き寄せてカミューの肩までを覆った。そうしながらもチラリと窓の外を見て、苦く口元を歪める。
「……すまんカミュー」
 小さく囁くように声を掛けてマイクロトフは枕元の灯りを消した。
 外はまだ暗いが、夜明けは実はそう遠く無い。
「出来るだけ間際に起こすからな」
 小さな詫びの声に、応じるようにもぞりと身じろいだその身体は、擦り寄るようにマイクロトフの胸にぴたりと添う。その肩に手を回してマイクロトフは宥めるように撫でた。



 無条件の甘えは無意識だ。
 本来ならこれほど素直に為すがままでいる青年ではない。
 ただ、こうして夜を過ごしすぎた情愛深いひとときの終わりにだけ、ほんの僅か無防備に甘えてくれる。
 悪いと思いつつ、この甘えが決して嫌いではなく、むしろ歓迎しているくらいのマイクロトフにとっては、幾らも無い睡眠時間を惜しむ気持ちは皆無であった。

 己の腕の中。眠る愛しい身から薫る清潔な石鹸の香りが心地良く。
 まだ湿気の残る肌をゆるゆると撫でながら、黒い瞳はもう暫く眠りに閉じられることがなかった。


END



可愛い赤が書きたくなったんですよ!
良いじゃないっすか可愛い赤ぁ〜!

2003/02/25