ゲーム
カミューがテラスに来た時、真っ先に視界に入って来たのは青い騎士服。マイクロトフだ。
穏やかな微風と日差しの中で、男はクラウスを相手に何やら取り組んでいる。一直線にそちらに足を進めると、テーブルの上にチェックの盤が見えた。
そばに寄る前にその気配に気付いたのか、マイクロトフが振り返る。
「カミュー」
「二人で何をしているんだい?」
赤い駒を持つマイクロトフと、白い駒を持つクラウス。
「これはカミューさん」
「こんにちは―――チェッカーですか?」
「ええ」
白と緑のチェックの盤上で駒を斜めに動かし、飛び越した相手の駒を取って行く。相手の全ての駒を取ってしまえば勝ちだ。単純なボードゲームだが凝り出すとなかなか面白い。マイクロトフの肩越しに盤を覗き込むと、赤の優勢だった。
「マイクロトフさんには参ります。全く勝たせていただけない」
そう言ってクラウスは肩を竦めて見せた。カミューは苦笑を漏らす。
「ああ。マイクロトフはね、わたしも勝てません」
この青騎士団長は、大柄な直情系の容貌から戦略ゲームなど不得意そうに見られがちだ。だが実は彼ほどこの手のゲームに強い男もいないのだ。マイクロトフに言わせてみれば、次に打つ手が見えるからその通り打っているだけだと言う。カミューの知る限り、今のところ無敵だ。
そう教えてやるとクラウスは深い溜め息を吐き出した。
「呆れた人ですね」
「でしょう?」
この手のゲームを用いた暇つぶしの相手には、全く適さない男なのだ。クラウスもそれ察したのだろう。小さく吹き出すとカミューと一緒にクスクスと笑い出した。
「何がおかしいんだ?」
「いえ。マイクロトフさんが悪いのではありませんから」
ひとり困惑顔のマイクロトフに、気にしないで下さい、と付け加えながらもクラウスはまだ笑いが止まらない。だが、ふとカミューを見上げると顎に手をかけ首を傾げた。
「カミューさん、何か用事があってここに?」
そこでカミューはここに来た目的を思い出し、傍らの男の青い騎士服の肩に手をかけた。
「ええ。こいつを探しに来たんです」
「なんだ?」
「うん―――ここでは少し。だが急ぐ用事でもないから、わたしは部屋に戻る。おまえはクラウス殿との勝負が済んでから来ると良い」
そして直ぐに立ち去ろうとするカミューを、慌ててクラウスが止める。
「待って下さい。これ以上連敗を続けると、わたしの立場が無くなってしまいます」
若輩とは言え、作戦会議に参加する身だ。元青騎士団長が相手であれ一度も勝てないのではなるほど立場が無い。勿論それが軽口であるのはカミューも心得ている。
「クラウス殿」
「ですから、どうぞ」
と手を差し出すクラウス。
「しかしまだゲームが終わっていないが?」
そんな事を言いながら、既に腰を浮かしかけているマイクロトフである。それに気付いているのか、クラウスはいつもの伏せ目がちな表情でさっさと駒を片付け始める。
「構いません。お付き合い頂いてありがとうございました」
「そうか、済まないな」
マイクロトフは速やかに立ち上がると、はやカミューの方へと足を向けている。
そんな男の態度に、クラウスは苦笑を禁じえないようで微かに肩を震わせている。そしてカミューは立ち去る前にフォローを忘れなかった。
「クラウス殿。次はわたしと対戦していただけますか?」
「ええ、喜んで。カミューさん相手でしたら楽しいゲームが出来そうです」
頷くクラウスに、にっこりと微笑むカミュー。
「では失礼します。マイクロトフ、来てくれるか?」
「……ああ」
ふと、返事の声が低かったように感じたが、さっさと歩き出した男の表情を伺うことは出来ず、カミューは引っかかるものを感じながら、慌ててあとを追った。
「聞いているのか? マイクロトフ」
ぼんやりとして、まるでカミューの話など聞いていないようなマイクロトフの態度に、ややきつい口調で咎めると、彼はのろのろと顔を上げた。
「聞いている」
つい先ほどまで普通の態度だったのに、とカミューは内心眉をひそめる。様子が変わったのはクラウスと別れてカミューの私室に戻って来てからである。むっつりと黙りこんでカミューと目を合わそうとしない。
「騎馬隊と弓兵隊の合同演習をするんだろう?」
「そうだ」
「その為に明日フリック殿が帰城次第、打ち合わせの会議をする」
違うか? と上目遣いに尋ねる態度もよそよそしい。
「その通りだよ」
そしてそれきりカミューも黙りこんだ。
マイクロトフを相手にすると、カミューは感情のコントロールが出来なくなる。まるで乙女のように男の一挙一動に胸躍らせ、心を沈める。傍にいるだけで平静さは波を打ち、作りあげた表情が脆く崩れ去る。理性的に働く思考もまともに機能しない。
「マイクロトフ」
静かに呼びかけると、男はやはり俯いていた顔をゆるゆると持ち上げる。カミューは聞かずにおれない質問を吐き出した。このままでは、不安に覆い尽くされそうだ。
「―――わたしは、おまえに何かしてしまったのか?」
「どういうことだ」
男の答えは素っ気無い。だがカミューはマイクロトフの表情に走った動揺を見逃しはしない。
「さっきからわたしの目を見ていない」
自分でも驚くほど弱々しい声だった。マイクロトフも弾かれたように背を正して目を見開く。
「カミュー?」
「何かあるのなら言ってくれ。頼む」
今度はカミューが俯く番だった。すると男の立ち上がる気配がする。
「済まん」
声と共に頬に手が添えられた。促されるように顔を上げると、マイクロトフは気まずそうに言った。
「実は、クラウス殿に嫉妬した」
「……なんだって?」
カミューは思わず聞き返していた。クラウス殿、とは先程のテラスでの事だろうか。だとしたらたったあれだけの事で、どこをどうすれば嫉妬など覚えるのか。するとマイクロトフは、分かってはいるんだ、と一度頷いた。
「俺がつまらないことを気にしていただけだ」
「待ってくれマイクロトフ。嫉妬って……」
カミューは額に手をかけて思考をまとめようとする。
「テラスでの事を言っているのか?」
「ああ」
マイクロトフは躊躇いがちに頷く。
「カミューがクラウス殿と話すのを聞いてな」
話したことなんてほんの些細なことである。嫉妬するほどのことなど無かったはずだが―――。
事情が飲みこめずに首を傾げていると、マイクロトフはカミューの手を取った。そして純白の手袋の甲を撫でると、それを脱がした。カミューはされるがままに手を預けている。手袋を脱いだその手は、恋人の骨太のそれとはまるで違う。男のものにしては細くて昔は好きではなかったが、いつだったかマイクロトフが好きだと言ってから、大切にしている自分の手。
「この手で駒を掴んで、ゲームをするのかと思うとな―――」
嫉妬する、とマイクロトフは笑う。
「俺とはゲームをしてくれないだろう?」
「マイクロトフ……」
―――それで嫉妬か。
がくりと肩が落ちた。
マイクロトフとゲームをしないのは、する前から決着がついているからだ。負けると分かるゲームを誰がしたいと思うものか。そういうわけで、絶対に勝てないと思い知ってから、以来その手のゲームでは一度も対戦していない。
「わたしとゲームを、したかったのか?」
するとマイクロトフはふと首を捻った。
「したかったといえばそうかも知れん」
「どう言う事だ?」
曖昧な物言いについ聞く。するとマイクロトフはそうだな、とカミューの手を軽く握った。
「ゲームそのものはあまり。ただ……盤を挟んで、駒を持って考えているカミューの姿は好きだ」
絶句したカミューは、目を見開いてマイクロトフを凝視する。どうしてこの男はこんな恥ずかしいことを真顔で言えるのだろうか。カミューは目眩を覚えて空いた方の手で額を押さえた。
「カミュー?」
「……ゲームを楽しむのではないのか、おまえは」
「ああ。次の手に悩むおまえの顔とか、手持ち無沙汰に駒をもてあそぶ指とか、見ていると幸せになる」
本気で言っていると分かるから始末が悪い。とどめをさされて、カミューは赤くなる顔を手で覆った。
「わたしの顔ならいつだって好きなだけ見ているじゃないか」
「そうだが、俺はカミューのいろんな顔を見たい。考える顔も、照れた顔も」
「マイクロトフ……」
そして男はカミューのもう片方の手も掴むと、羞恥に照れたおもてを正面から覗き込んだ。
「好きだぞ」
普段口下手な人間が、たまに喋るとこれである。あえ無く陥落されたカミューはよろよろと男の胸に倒れこんだ。顎をすくわれると深いくちづけに出会う。そして息も出来ないほどに貪られ、何も考えられなくなる。
唇はこめかみや耳を滑り首筋を伝い、カミューを更なる混乱に陥れていく。マイクロトフに掴まれていた手が解放されると、それは迷い無く広い背に回された。そして男の大きな手が、確かめるようにカミューの身体のそこかしこに触れていった。
そして徐々に高まった熱にお互いの身体を求めたときには、マイクロトフはただ愛しげにカミューの名を呼び、カミューは夢中でマイクロトフに縋り付いた。
「カミュー」
目尻を伝う涙を男の唇が掬う。
「カミュー……」
優しい声で何度も名を呼ばれるたびに、背筋にゾクリときてカミューは更に涙を流した。
その夜、クラウスから借りてきた盤と駒で二人はゲームをしたが、結局のところゲームに勝てないカミューが、盤ではなく自分ばかり見詰める余裕のマイクロトフに腹を立てたのは無理からぬ事であった。
END
そっかー。。。マイクロトフってゲームに強かったんだ(笑)
でも強かろうが弱かろうがマイクロトフの場合
ゲームそっちのけでカミューに見惚れていそうだ
2000/02/28