逆 鱗


 カミューは思う。
 時に自分はマイクロトフの事を考え過ぎて冷静さを失う。人に言われなくとも自覚はあるのだ。どうにも彼が絡むと感情が暴走してしまうのだ。
 結果としてしなくても良い世話を焼いたり、余計な真似をすることもある。決してマイクロトフの自尊心を損なうつもりではない。いつも―――済んでから気付く。愚かにも程がある。
 カミューはずっと身動ぎもせずに座していた椅子から立ち上がると、部屋の扉を見詰めた。
 数分前に、壊れるのではないかと気遣われるほどの勢いで閉じられた扉。その向こうに荒々しくも消えた背中は何処へ行ってしまったのだろう。
 流石にこたえたなぁ、とカミューは怒鳴り声で叩きつけられた言葉を思い出して、痛みを感じた時のように苦笑した。

 ―――何処まで俺を侮辱するつもりだ。

 違う。
 侮辱など―――だがマイクロトフがそう感じても仕方の無いことをしてしまったのかもしれない。彼はもう充分大人であり、仮にも一団を率いる長である。その身に重責を負っても確りと立つ事の出来る男だ。
 カミューのフォローなど実は無くても切り抜けられる柔軟さと、強かさを持っている。
 つまりは、全く余計な真似をしてしまったわけだ。

 だが怒りに彩られた、怒気も露わな瞳に睨み付けられて咄嗟に言葉が返せなかった。そうして言葉を失っているうちに、マイクロトフは勢い良く踵を返し部屋を出ていってしまった。
 探して、一刻も早く謝って怒りを解いてもらわねばと思う。
 だが反省している間にどんどんと落ち込みが深くなってしまっていた。
 それに、また怒られるのはちょっと精神的に辛いものがある。あの男は自覚は無いらしいが怒るとそれはもう見惚れるくらい恐いのだ。他人に対して怒っているのは何度もあるが、これまでカミューに対して本気で怒ったことは片手にもあまるくらいだ。それだけに免疫が薄くて受ける衝撃は半端ではない。
 しかしこのままと言うわけにもいくまい。そもそも今のマイクロトフは何処へと出歩いていて良いような身ではないはずだ。
「………う」
 唸ってカミューは足を踏み出し扉の取っ手に手を伸ばした。





 同盟軍本拠地、レオナの酒場。
 軽く一杯という客は皆はけて、深く酒を楽しむ者ばかりが居残っている時刻。カウンターには傭兵砦の隊長を務めていた男、ビクトールがたった一人で酒を煽っていた。そこへふと影を落としたのは酒場には珍しい人物だった。
「お一人か」
 珍しい、と呟き隣へ座ったのは、そんなビクトール以上に一人でいる事が珍しい青騎士マイクロトフだった。
「おまえこそ、こんな場所に珍しいじゃねえか」
 くい、とグラスを煽る仕草をしてにやりと笑うビクトールにマイクロトフは憮然として頷いた。
「俺は少し気晴らしに来ただけです」
「そうかい。んでカミューの野郎はどうしてるんだ?」
 聞いた途端に憮然としていたマイクロトフの表情が、不機嫌のそれになる。
「あいつは多分部屋です」
「なんだ、また喧嘩か?」
「いや、少し言い争いをしただけで…」
 これは自分たちの問題なので放っておいて欲しいと思うマイクロトフだったが、ビクトールがやけに上等の酒をレオナから受け取り、話して聞かせるならこれをどうだとちらつかせたものだったから、別段いつもこの傭兵らには隠しごともあってないようなものだしとマイクロトフは頷いた。
 戦闘でいつものように突っ走ってしまったマイクロトフだった。だが直ぐ様後悔するのも彼である。だから軍師の嫌味も潔く受けようと思い、帰城するなりシュウの部屋を訪ねた。だが出向いた先で扉を開けたのはカミューだった。
 マイクロトフよりも先に戻っていたカミューは、既に軍師と話をつけてしまっていたのだ。
 すっかり蚊帳の外に置かれてしまったマイクロトフが、感謝よりも憤りを感じてしまったのも無理は無かったかもしれない。
「んで、不貞腐れてるってわけか」
 ニヤニヤと笑うビクトールにマイクロトフは眉根を寄せた。
「別に不貞腐れているわけではありません。お酒、頂きますよ」
 言ってマイクロトフはビクトールの目の前から酒瓶をさらった。全く、飲まずに話せるかというものである。惜しみなくグラスに注いだ。
「おいおい、大切に飲めよ。で? それからどうした」
「どうって、どうもしません」
 人の悪い笑みを崩さないままのビクトールを横目に、マイクロトフはグラスの中身を呷った。途端に喉を焼くような感覚と、身体中に染む強く酒の芳香に目を閉じた。それから低く唸る。
「あいつはいつもの通り、のらりくらりと話を逸らして。だから俺はいい加減腹が立って」
「腹が立って?」
 マイクロトフはグラスを握り締めた。
「腹が立って…怒鳴りつけて出てきてしまった」
「そいつはまた」
 ビクトールの小さな笑い声が聞こえた。途端にマイクロトフは息を吸い込んで吐き出した。
「あいつが、俺のためにしてくれたのだろうとは俺だって理解している。だが、まるで俺をないがしろにしているみたいで」
 そこまでを言って、マイクロトフはなんだか息苦しく感じて再びグラスを傾けた。そしてぽつりと呟く。
「俺は…そんなに情けない男だろうか………」
 そう呟く声があまりに弱々しかったのを自覚してマイクロトフは慌てて口を噤んだ。だが傍らのビクトールはひくひくと肩を揺らして笑い、その上愉快そうに力任せにマイクロトフの背中を掌で叩いてきた。
 そこでずきんと身体の内部を走った痛みにマイクロトフは身を引いた。
「なんですか……っ…あまり強く叩かないで下さい。肩に怪我をしているんです」
 突っ走った挙句、不覚にも傷まで負ったのだ。だからこんなにも不機嫌なのかもしれない。だが原因が分かってもこの苛立ちはなかなか抑えられなかった。
 怪我をしているんじゃあ、とボトルを引っ込めかけたビクトールから再びそれを奪う。
「冗談でしょう、飲ませて頂く。それほどの怪我でもありません」
 そうしてマイクロトフは常に無いペースで酒を飲んだ。
 そこへ、フリックが現れた。
「あれ、マイクロトフ。おまえ怪我してるんじゃないのか」
 なんでこんなところにいる、とフリックは首を傾げつつもそこに座った。
「何故ご存知なのですか」
「いや―――まぁ、大した事ないんなら良いんだけどな」
 言ってフリックは目敏くそこにあるボトルを見つけると「俺ももらうか」と自分のグラスを引き寄せ、酒の旨みに満足げに頷いた。
 そんなところで、折角の酒を奢っている現状において、常日頃から下世話な会話が好きだと胸を張るビクトールが懲りずにこの青騎士にちょっかいをかけるのは至極当然のことだった。
「そもそもお前ら、そんなに良く喧嘩するのか?」
 踏み込んで来るようなビクトールの問い掛けに、マイクロトフは咄嗟に首を振る。
「喧嘩など滅多にする事はない―――俺がカミューを怒らせる事は良くあるが」
 ぼそりと呟かれた最後の言葉にビクトールはひくりと笑った。
「そんじゃ今回みたいにお前さんがあっちを怒鳴るってのは珍しいわけか」
 それが騎士二人の関係を如実に表しているようでビクトールはにやにやと笑う。と、その目が何かを考えついたように細められた。
「つかぬ事を聞くがな」
 ビクトールはぽりぽりと顎をかきつつ、卓上に身を乗り出した。
「おまえら、最初はどうだったんだ?」
 唐突に頭を突き出しながらそんな事を問いかけてくるのにマイクロトフは首を傾げた。
「最初…と言うと?」
「んとだなぁ、ぶっちゃけて言えば初夜だしょ……がはっ!」
「すまん。気を悪くしないでくれ」
 流石に直截的な問い掛けにフリックがビクトールを拳でたしなめる。だがいい加減酔っ払いになりつつあるマイクロトフは首を傾げたままぼんやりと記憶を探り出した。

「あれは……そう…寒い日で」

 語り出したマイクロトフにフリックは口に含みかけて入た酒を吹き出し、ビクトールはにやりと笑みを浮かべた。慌てて制そうとするフリックを押しやって続きを仄めかす。
「うんうん寒い日で?」
「あぁ、でもカミューの身体が強張っていたのは寒さのせいばかりではなかったのだろう」
 追憶の独り言のように呟くのを聞くのは幸い傭兵たちだけだった。そうでなければ流石にフリックも何が何でも止めただろう。
「それが、突然カミューの身体の力が抜けて」
「ん?」
「くたっとなって」
「あぁ、そりゃあ、弱いところをついたんだろう」
 訳知り顔で合いの手を打つビクトールにマイクロトフは眉をひそめる。
「弱い…ところ?」
「あぁ。そうかぁあの澄ました奴にも弱点があんだなぁ」
「おい、ビクトール」
 がははと笑う相棒にフリックは渋い顔をする。
「で、そりゃどういった事をしてやった時になったんだ?」
「ビクトール!」
 渋い顔をするフリックにしかしマイクロトフは記憶を探るように天井を仰いだ。
「あれは……」
「やめろってマイクロトフ! おい、こら、おまえこのままじゃ……っ」
 わぁわぁと叫ぶフリックを押さえつけてビクトールが先を促す。するとマイクロトフはハッとして瞬いた。
「思い出しました」
「どこだ?」
「ええ、確か―――うおっ!!」
 マイクロトフの目の前に火花が散った。 

「房事をあばかれて喜ぶ人間は変態だけだっ!!」

 叫んだのはカミュー。その手は拳を握り締めて今し方マイクロトフのこめかみを強か殴り付けたところだ。
「カミュー…」
 フリックが深い吐息をつき、ビクトールが驚きに咽返る。
 だがそんな傭兵らはまるで目に入っていない様子でカミューは肩を震わせ、卓上に沈んだ黒髪を再び殴り付けた。
「お前は変態なのかっ!? そうなのか!?」
 絶望とも悲哀とも憤怒ともつかない声で詰るとその場に背を向ける。途端、沈んでいた黒髪が起き上がった。
「カミュー! ま、待ってくれ」
 一気に酔いも覚め正気を取り戻したマイクロトフは慌ててカミューの後を追う。今、何とかしなければ長くこじれるだろう事はこれまでの経験上目に見えているのだ。咄嗟に手を伸ばしてその腕を掴んだ。
「カミュー!」
「触るな、離せ!」
 掴む手を振り払おうとするカミューに、しかしマイクロトフは絶対に離すものかとその指に力を込める。
「すまん、カミュー。俺が悪かった」
 ここへ来る前に口論をして出てきた事などもはや遠く彼方の出来事のように、マイクロトフは完全に下手に出て謝り倒す。近くでそんな有り様を確り見る羽目になった傭兵二人は、もう何も言わないように傍観を決め込んだ。だがビクトールだけは、あぁなるほどこれが彼等の本来の喧嘩の姿かと一人密かに納得していた。
「俺が悪いから許してくれ!」
「あぁ、全部お前が悪い。人が思い悩んだ挙句に探しにきてみれば何を…っ!」
「お、落ち付けカミュー!」
 今しもその右手の烈火の紋章が発動しそうでマイクロトフは気が気でなくて焦る。しかしカミューの心頭に達したらしい怒りはおさまる様子は微塵もない。
「おまえなんぞもう知らん! 勝手に何処へといってしまえ馬鹿者がーー!!」

 その日、城内を赤々と照らす火柱が立ったとか立たなかったとか。


おしまい



激しく著しく大幅にリクエストから逸脱しております…(泣)
喧嘩もしていますし赤さんもすごく怒っていますが
おそらくシリアスを望んでいらっしゃったのではないかと…
ううう…ごめんなさい〜〜

2001/11/29