花の味わい


 デュナン湖南西。今や同盟領内では欠かすべからぬ存在にまで大きくなったその同盟軍の根城。その領地も城も随分と大規模なものへと変じ、今や一都市なみの賑わいを醸している。
 それだけに流行の先端を行く物資が常に流通し、多様な人種が活発に行き交う。
 食もまた、例外でなく。

 城内。ハイ・ヨーのレストランにて。
 通常よりやや遅い昼食を共に摂っていたカミューとマイクロトフであった。二人とも常と同じような注文をし、それを健康的に平らげ、そろそろ食後のお茶でもと思っていた頃だった。不意に周囲を巡ったマイクロトフの視線が、ある方向で固定された。
「カミュー…俺は、夢を見ているのだろうか」
「え?」
 突然の呟きにカミューは瞬いてマイクロトフの顔を見る。すると、まるで呆然とした風のその顔がみるみる怪訝な様子になっていく。
「あそこのご婦人が……花を……花を食っている」
「花?」
 問い返してカミューはマイクロトフの固定された視線の先を辿るため振り向いた。すると確かに背後の方向にあるテーブルには、三人ほどの女性が座っており、そのうちの一人がフォークで優雅にひらひらとした彩り豊かな花弁を口まで運んでいるのだ。
「あぁ、確かだね」
 頷いてカミューは姿勢を元に戻して再びマイクロトフを見た。
「確かだと、それだけか? 花を食っているんだぞ?」
 おかしくないのか、とマイクロトフは困惑も露わに訴える。だがそれをカミューは軽くいなした。
「なんだ、知らないのかマイクロトフ。花にも食用があってね。ああしてサラダにして食べたり出来る」
「何だと?」
「別におかしい事ではないと思うがな。我々は植物の根も茎も葉も実も普通に食べるだろう。別に花も食べたところで何ら不思議はないだろうに」
「し、しかし花とは愛でるものでは……」
 どうにも内心の狼狽を隠せない様子でマイクロトフは尚も言い募る。それにカミューはやれやれと肩を竦めて見せた。
「それを言うならマイクロトフ。鴨は食べるのに何故白鳥は食べないんだ」
「なんだと?」
「同じ水辺にぷかぷか呑気に浮いている同じ水鳥なのに、何故白鳥は美しいと愛でて、鴨は絞めて食べる?」
「そ、それは……」
「そんなもの、鴨は食用に適しているが白鳥はそうではないからだろう」
「………」
「しかし、食べた事はないが白鳥の肉はもしかすると美味しいのかな……どう思うマイクロトフ」
「カミュー」
 低い吐息混じりのマイクロトフの声にカミューはハッとして我にかえる。
「あぁ、そんな事を言っていたのではなかったな」
 気を取り直して姿勢を正すとカミューは穏やかな微笑を浮かべて頷きつつ言葉をつなげた。
「つまり、花にも食用に適したものとそうでないものがあるんだと言いたかったんだ」
「それは何となくわかったが、しかし何故わざわざ花を食う必要があるんだ」
 あれが食欲をそそるものか、とマイクロトフは首を傾げる。
 なるほどそこが問題か、とカミューは内心ひとりごちた。確かに花を見て唾を飲み込む者は滅多にいないだろう。
 そして再びカミューは背後をちらりとうかがった。
 いずれも妙齢のご婦人だ。軽く談笑し合いながら優雅に食事を楽しんでいるような気配を受ける。そんな女性たちにカミューはつい微笑を誘われた。
「食欲をそそる、そそらないはともかくね。美しいレディが花を食すなんて、実に可憐じゃないか」
「可憐だと?」
 如何にも不服、とマイクロトフが唸る。
「花に食いつくのが可憐か」
「おまえな。道端の花を摘んでそのまま食べるわけでは無いんだよ?」
 あれはきちんと食材用の花を、サラダに調理して皿に盛られて出されているんだ。
 そうカミューが言ってもマイクロトフは今一つ納得しかねるようで、何度も唸りながら首を傾げている。
「そんなに気になるなら今度メニューで見かけたとき、同じものを注文してみると良い。あれはあれなりに多分美味しいのだと思うしね」
 もう好きにしてくれと、カミューはそれきり黙りこんだが、マイクロトフはそんなカミューの言葉に頷いて見せたもののやはり唸っていたのだった。



 数日後。
 日によって多忙さ加減は偏るものの、その日一日激務に追われたカミューが、漸く自室へと帰りついたのは深夜のことだった。
 静まり返った廊下を進み、板作りの扉を押し開く。すると落ちているはずの灯りが室内を明るく照らしており、中央のテーブルにはマイクロトフが突っ伏していた。
「マイクロトフ?」
 驚いてカミューは扉を閉めて、テーブルへと歩み寄る。
 二人がひとつの部屋を共用していたのは、同盟軍に参加して暫くの間だけだった。増築を重ねられ部屋数も増えた今ではカミューとマイクロトフそれぞれに個室が与えられている。どちらかが泊まり込む事は何度かあるが、こうして一方が忙しい時は大抵自室で先に休むのが常なのだが―――。
 しかし傍まで寄ったところでカミューは違和感に立ち止まり、周囲を見まわした。と、そこで鼻をくすぐる微香に僅か目を開く。
「……何の香りだ?」
 呟いたところで、傍らのマイクロトフが唸って身を起こした。
「ん? 眠ってしまっていたか」
 呟いて一度強く目を閉じると首を回しつつ立ちあがる。
「待っていたんだカミュー。今、戻ったところか?」
「あぁ。そうだが」
 何か用が? と、言おうとしたところで、カミューはマイクロトフが目の前に持ち上げたものに言葉を奪われた。
「今日の夕方花屋で買ってきた」
 そう言うマイクロトフの手には、一輪挿しに無造作に挿されたコスモス。
「やはり花は飾って愛でるものだと俺は思った」
 そしてその手の一輪挿しをカミューの手に押し付けると、それではな、と去ろうとする。それを慌てて留めると、カミューはマイクロトフの腕を掴んで正面を向かせてまじまじとその顔を見た。
「それを言うために今まで待っていたというのかおまえは」
「ああ」
 頷く男にカミューは顔をしかめる。そして手のコスモスとマイクロトフを何度か見比べた。
「で、それを言いたいがためにわざわざ花屋でこれを買ったと?」
「あぁ、そうだが……」
 何かまずかっただろうか、とマイクロトフは生真面目に眉を寄せた。
「いや、別に悪い事は無いが。先日のレストランでの事をずっと気にしていたとは思わなかった」
 額にかかる前髪を掻き揚げながら、半ば呆れたような口調でカミューは言った。するとマイクロトフは怒ったような顔をして「だが」と答える。
「納得のいかない事をそのままにしておけん」
 まぁ、そうだろうな。とカミューは声なく呟いた。
「それで出た結論がこれと言うわけか」
「そうだ」
 頷く男にカミューは束の間黙り込んでこめかみを指で掻いた。
「つまりは愛でるための花を、こうしてわたしに贈ってくれたと解釈して構わないのか?」
「………ん?」
 暫し、沈黙が降りる。
 カミューの言葉を反芻しているらしい、そのマイクロトフの顔が、一瞬後真っ赤に染まった。
「あ! いや! それは…!」
「なんだ違うのか」
 あからさまにがっかりしたように呟くと、マイクロトフの更に慌てた声が被さった。
「ふ、深くは考えていなかったんだ! だがカミューにやろうと思って買ったのは確かだ」
 耳まで赤くしてマイクロトフは言う。それを無性に楽しい気分で見つめてカミューは笑った。
「愛でる以外にも、贈り物としても花は使われるわけだな。有難うマイクロトフ」
 そしてカミューは掴んだままだったマイクロトフの腕を引き寄せると、掠めるような口付けを贈り返した。
「やはり贈り物には充分な礼を返さないとな」
 呟いて、手許のコスモスに視線を落とすとにっこりと笑った。
「明日の食事はわたしが奢ろう」
 更に顔を赤くしたマイクロトフの傍らで、カミューはただただ機嫌良くそう言ったのだった。



 そして。
 珍しく肉料理以外に魚料理はどうだろうかと考えて、レシピにある和風の魚料理を頼んだマイクロトフが、魚の生の切り身―――つまり刺身を目の前にして、先日と同じく固まっていた。
「カミュー…これは……」
 視線の先には黄色い小ぶりの花がぽつんと、刺身に添えられるように置いてある。
「花だね」
「く、食うのか?」
「…さぁ…な……」
 げんなりと答えるカミューだった。


END



白鳥料理って聞いたことありません。美味しいのでしょうか
いやしかし、もしかして絶対数が少ないから捕食禁止されてるのかな
うぅーん謎が深まる…。

は、ともかく「花と騎士さん(出来れば青氏に花)」でした
でも正しくは「食用花と騎士さん」でした……(笑)

2000/10/20