祈りにも似た言葉
汗ばむ肌が夜陰の中、仄かな蝋燭の灯かりに浮かび上がっている。
身の奥深くを穿たれて到底正気でなどいられない状況の中でカミューは涙に霞む眼差しを向けて、マイクロトフを見上げた。
すると男の手はその気配を察したかのように、敷布から僅かばかり浮き上がったカミューの掌を掬い上げるようにして握り込んだ。そしてそれを己の口元まで引き上げると口付ける。
「カミュー、愛している」
真摯な言葉は何処までもひた向きなマイクロトフの想いを、直裁にカミューへと伝えてくれる。口付けられた手の甲からもまるで彼の情が波のように伝わってくるかのようだった。
けれどカミューには応えを返す余裕も無い。
掌を握り込んでいる手に、逆に爪痕を深く刻まんばかりにきつく握り返すくらいしか、返せるものが無かった。
だがそれでマイクロトフが不満を訴えるわけも無い。誰あろうカミューをそんな状態に陥れている張本人は、もう一度手の甲に恭しく口付けを落とすと、それをそのまま再び敷布の上に戻して、上から押さえつけた。
「愛している……」
そして繰り返される言葉を聞きながら、次第にカミューはそれを音として知覚する余裕すら失われていくのだった。
カミューの呼吸が漸く整ったのは、マイクロトフが彼を解放してから暫くのことだった。
あれほど汗ばんでいた肌もすっかりと冷めて、まともな視界と思考力が元に戻ってくる。しかし言葉を紡ぐ事だけはままならないままだった。
酷使された喉がこれ以上音声を発する事を拒むように痛むからだ。
そんなカミューの状態を、これまでの経験上既に知っているマイクロトフは、この夜それを気遣って柑橘系の果物から作った酒に蜂蜜を落とし込んで温めたものを差し出した。
たっぷりと蜂蜜の混ざった酒は、普段なら甘すぎて飲めた代物ではないが、ひりつく喉にその絡みつくような甘さは適度に心地良かった。
ゆっくりとそれを飲み干したカミューは、漸く人心地ついてマイクロトフを見た。
男は寝台の端に腰掛けていて、陶製のマグカップが空くのを待っていた。そして空になったのに気付いて寄越せと掌を差し出した。
カミューはしかしその手に、マグカップではなく自分の手を置いた。
「カミュー?」
「………る」
「うん?」
予想外に痛む喉に顔を顰めて、満足に声に出なかったカミューの言葉に、マイクロトフが首を傾げて身を寄せる。
「どうした、カミュー。もう一杯飲むか」
それにカミューは首を振り、手を置いたマイクロトフの指先を握り込む。そしてもう一度唇を開いた。
「マイクロトフ……愛しているよ」
途端、目の前の黒い瞳がふわりと見開かれるのを見て、カミューは笑った。更には彼の顔や首筋がみるみるうちに赤く染まっていくのが、薄暗い蝋燭の灯かりでも見て取れて、それが苦笑に変わる。
自分は散々人に言う癖に、こうして自分の方が面と向かって言われることに、いつまでも慣れないらしい男の態度が面映く愛しい。
そんな事を感じていると、急に抱き締められて息が一瞬詰まる。
「カミュー……」
深く抱き込まれて身体に直接響いてくるような声音が、切羽詰ったような感情をカミューに伝える。
「マイクロトフ」
応えながら、カミューはマイクロトフの背中にそろりと指先を慰撫するように這わせた。するとゆっくりと寝台に身体が押し倒されていくのが分かる。
手にしたままのマグカップは、指先から離れて不安定な敷布の上を転がり、音を立てて板床の上に落ちてしまった。音からして割れなかったことに安堵しつつ、カミューは口付けを求めてくる男の首にも腕を回しながら、触れる肌の熱さに目を閉じた。
ほんの一言を告げただけなのに、これほどの目も眩むような幸福感を得られる自分は、本当に幸せな男だと幸せを噛み締めながら。
この目の前の男に愛される幸運を齎した運命を、少しは信じてみたくなりながら。
だがカミューには自覚がない。
そのたった一言に、どれ程の想いが込められているのかを。
滅多に告げられる事のないその言葉を彼がマイクロトフに向けて口にする時、その全身がマイクロトフを愛しているのだと訴えているのだと言うことを。
揺れる瞳の切なさも、心情の全てを吐露するように発せられる声の愛しさも。微かに潜む不安の色に、彼自身は気付いていない。
だからこそ、マイクロトフはいつでも抑えられない。全身全霊でそんな彼を愛したいと魂が叫ぶ。
まるで祈るように彼が口にするその言葉を、神ではない自分が捧げられる奇跡を知っているからこそ。
end
シリアスにちょいエロくを目指して。
達成できておりますでしょうか。
言葉って大切ですよね。
2005/12/24