行 動 の 自 覚
デュナン湖畔の城。同盟軍の本拠地の春の一日。
ちょっと貰うよ、と言って人のカップを横から攫うのはいつものことだ。突然人の執務室にやってきて、副官の淹れてくれた湯気の立つそれを取って、応接用のソファーにふかりと座り込んでしまう。両手の間に宝物のように包んだそれに口をつけるときの表情が少しだけ可笑しい。
軽く目を見開いて、そっとそっと唇を寄せる。熱い陶器の縁に触れた時、ぱちりと瞬いてから嬉しそうに目を細める。それからちょっと仰向けた喉が次にはごくりと鳴って、口元がにんまりと笑うのだ。
それを見て、副官が新しくもう一杯の茶を淹れに奥へと引っ込むのもいつものこと。だがカミューは気にすることなく手の中の陶器を嬉しそうに見詰めているのだ。
マイクロトフは執務の手を止めて、じっくりとそんなカミューを見た。予告もなしにやってきて、人の茶を勝手に飲んでいても、視界の中にその姿があるだけで愛しさが込み上げる。
「本当に好きなのだな……」
声に出していたのだと気付いたのは、琥珀がじっとこちらを見詰めてきたからだ。それがふわと笑みに細められる。
「お茶は美味いに限るからね。おまえの所は皆、茶を淹れるのが得意だよ」
どうやら手の中のそれを、好きだと言ったのだと、そう勘違いしたらしい。違うんだがな、と思いながらも敢えてそれを口にせずマイクロトフも穏やかに微笑んだ。
「おまえに、日々鍛えられているからな」
「それほど口煩く言っているつもりはないんだが」
軽く眉根を寄せてきょとんとしているのに、マイクロトフはなんだ自覚が無かったのかと内心驚く。あれほど分かりやすい反応を示しているのにも関わらず、だ。
「カミュー、おまえ気付いていなかったのか?」
思わず言ってからマイクロトフは奥の扉を示した。
「おまえが来ると、いつも副官が引っ込むのはどうしてだと思っていたんだ」
だがそう言われてもカミューはずっと首を傾げたままだ。思わず苦笑してマイクロトフはその手の中にあるティーカップを羽ペンの先で指した。
「おまえが俺の分を横取りするから、新しく淹れに行っているんだ。それからついでに、おまえの表情で今日の茶は可か不可かを見定めていっている」
どうやら今日は二重丸くらいらしいのは、副官も分かっているだろう。だがまるっきり自覚の無かった青年は目を見開いたままティーカップと羽ペンの先とを見比べている。
それでもややあって「参ったな」と呟いてソファーの背凭れに重心を預けると片手を持ち上げてくしゃりと前髪をかき上げた。
「そんなに顔に出ているのか?」
「ああ」
カミューは、好物を前にするとこれでいてなかなかにあどけなくなる。知らぬは本人ばかりなりとはこの事だろうか。
「どうやら今日は合格点らしいな。俺にも飲ませてくれ」
机越しに手を伸ばすとカミューは「言われなくとも」と立ち上がった。もともとカミューに横取りするつもりなど最初から無い。いつでもひと口ふた口含むと直ぐにマイクロトフの手元に戻してくれる。
本当に『ちょっと貰う』程度なのだ。
そしてマイクロトフは目の前に元通り置かれたカップに目を落とした。少し量の減ったそれをすかさず手にとって口に運ぶ。と、ふわりとした爽やかな香りが漂って味わい深い茶が舌の上を滑っていった。なるほど今日のはあの表情にも頷けるほど、格別美味い。
茶葉を変えたかそれとも腕を上げたか。これは副官に一言くらい声をかけてやらねば―――思ったところで扉が開き、盆を片手に持った副官が顔を覗かせた。
ところがその副官は、マイクロトフの手の中にあるティーカップを見るなり眼差しを不穏なそれに変えた。
「どうかしたか」
カミューと揃って副官を見ていたマイクロトフがそう問うと、彼は盆を器用に掲げつつゆっくりと歩いて来ながら小さな溜息を落とした。
「どうもこうもありません。どうしてあなた方は毎度毎度、そうなんです」
「そう、とは?」
今度はカミューが問うのに、副官は一方だけ自由な片手を振り回してマイクロトフの手にあるティーカップを指し示した。
「それです。最初にカミュー様が口をおつけになったのなら、そのままになされば宜しいんですよ。こうしてもう一杯用意するなど造作も無いし、たとえ何杯淹れようと味に変わりはございませんのに」
この新しくご用意した茶は一体どうすれば宜しいんですか。
盆の上に慎ましく乗せられたもうひとつのティーカップ。やはり湯気をふわふわと上らせて、早く飲んでくれとせがむようだ。
「それなら、カミューが飲めば良い。おまえ、熱い茶が好きだろう」
言ってマイクロトフは再び少しぬるくなった茶を口に含む。それを見て副官は肩を竦めて盆のティーカップをカミューへと差し出した。しかしちらりと恨みがましい目になって上官たちを睨むとぼやく。
「若い者が酒を回し飲みするでなし。よしてくださいよ、もう」
「分かった。すまなかったな」
マイクロトフが苦笑いで詫びると、カミューも熱い茶を飲みながら視線で詫びた。しかしその瞳が再び、口に含んだ茶の美味しさにゆったりと笑みを浮かべるのを見て副官も漸く機嫌を取り戻したらしい。
「どうぞ、お代わりならば存分にございますので」
盆を抱えてぺこりと頭を下げ、そして再び奥へと消えて行く。言われなくともカミューはきっとあともう一杯くらいは楽しむくらいの時間を過ごしていくだろうから。
ところがそんな時、不意に部屋の扉が叩かれた。
誰か、と誰何する前に扉が開く。こんな真似をするのはこの同盟軍に一人しかいない。
「ナナミ殿」
カミューがぱちりと目を瞠ると、少女はにっこりと微笑んで元騎士団長二人を見上げた。そして人差し指でちょんちょんと己の顎をつつく。
「今ね、伝令係なの。二人ともシュウさんが呼んでるから会議室に来てねって」
「それはお疲れ様です。直ぐ参りますから」
にこりと微笑みと共にカミューがそう答えると、ナナミもうんと頷いて微笑んだ。と、そこでひくひくと鼻をひくつかせて首を傾げる。
「なんだろ、いー香り」
「これ、ですか?」
カミューが思わず差し出したティーカップから漂うその微かな香りに、目を閉じていたナナミがぱっとその目を開けて頷いた。
「これだ! すっごい、お茶ってこんなに良い香りするんだ」
驚きを隠さずにニコニコとそんな風に言うナナミに、カミューも笑みを返しながらその手に持ったティーカップを僅か揺らめかせた。
「宜しければレディ、飲みかけですがいかがです?」
「え、本当に?」
両手を組み合わせて瞳をキラキラと輝かせ、ナナミは喜びに満ちてそう問い返す。それにこくりとカミューが頷いた。
「えぇ、我々は会議室に行かねばなりませんし……折角淹れた茶をこのまま冷ましてしまうのも忍びないですからね」
そしてカミューは懐からハンカチを取り出すと、カップの縁をすっと拭ってナナミに手渡した。ところが、受け取る少女の顔はどこかがっかりとしている。
「どうか、しましたか?」
気にして問うたカミューに、しかしナナミは首を振り、思いもかけない言葉を告げた。
「ううん。ただちょっともしかしたらカミューさんと間接キスできるかなって期待しちゃった」
へへ、と頬を赤らめて照れ隠しに両手におさめたティーカップで顔を隠す。
そのナナミの言葉に暫し呆気に取られたカミューとマイクロトフであったが、そこへ話し声が気になったのか奥から顔を出した副官が声を上げる。
「あぁっ! また!」
ナナミの手にあるカップを目ざとく見つけて情けない顔をするのに、マイクロトフはこれはいかんとそそくさと立ち上がる。
「い、行くぞカミュー」
慌しくぬるくなった茶を飲み干すと、机を大きく回りこんでカミューの腕を掴む。
「あ……あぁ、どうぞレディごゆっくり」
そうして腕を引かれながらも、カミューは礼節は欠かさない。しかしその耳が僅かに赤いのは、さっさと部屋を出て行こうとする男の顔が首まで赤いのと同様の理由からだろう。
「いってらっしゃーい」
己の発言が彼ら二人に、少し前の自分たちの行動に隠れていた別の意味を教えたとは知らず、まだ香りたつ湯気を上らせるティーカップを幸福そうに抱えながらナナミが小さく手を振る。その向こう、何か言いたげな副官に、マイクロトフは簡潔に行き先を告げると扉を開けた。
「レディ、彼は茶を淹れる達人ですよ。宜しければ何杯でも味わって行ってくださいね」
すかさずフォローを入れながら、くぐりぬけた扉を閉めていくカミュー。
パタンと閉じた、その先で。
廊下を会議室へ向かって足早に進む元騎士団長二人が、片や可笑しさを堪え切れずにくつくつと肩を震わせ笑う様と、片や始終足元を見っぱなしで寡黙に進む様が見られたとか。
無自覚なのか有自覚なのか、微妙なところだと。
残されてナナミ相手に茶を振舞いながら、マイクロトフの副官がそんな事を考えたかどうかは、余人の知らぬ事である。
END
リクして下さった風子さん、お持たせしました。
あぁもう……恥ずかしいお話を書いてしまいました。
しかしこれほどきちんとリクどおりに書けたのは珍しいです。
ちゃんと照れてます騎士団長!
楽しかったー。
2003/04/12