重 ね た 想 い
軍師の部屋を辞して後の事だった。
常ならば大広間と私室のある二階以上には用事が無いために滅多にそれ以上階段を上ることが無い。稀にこうして個人的に指示を受ける時に軍師に呼び出されたり、もしくは盟主である少年の姉に引っ張られたりと言った事情の時に、こうして三階以上に足を運ぶ。
そして階を隔てただけで格段に人気の失せた廊下をカミューは一人歩いていた。
歩廊を進むとふと突き当たりに出た。そして横に続く歩廊がある。
この同盟軍の城は大掛かりな改装が多い上、カミューなどは上層階に滅多に訪れないだけあって知らない廊下が突然出来たりして吃驚する。とりあえず城内部の構造は把握して置かねばならないだろうと、その横へと足を向けた。
途端に視界を覆った眩しさにカミューは目を細めた。
どうやら歩廊はそう長くあるわけではなく、すぐに広い場所へと出た。と言っても広間ほどの広さもなく、申し訳程度に空間を作っているだけで、誰が置いたか知れ無い簡易な長椅子がぽつんとあった。だが長椅子の正面には大きく開いた窓がある。
そこから空間をいっぱいに白く照らす外の光が射し込んでいるのだ。
光に満ちたその空間に足を踏み入れ、身を置くに至ってカミューは漸く驚きから立ち直った。
どうしてこんな場所があるのだろう。本当に小さな空間で、どちらかと言えば狭い。廊下とを隔てる扉も無いし、一面全てが大きく窓として開いている。
改装中の設計上の事情で出来てしまった空間だろうか。それとも意図して作られたのか。
カミューは思わず誘われるように長椅子に腰を下ろしていた。
クッションも何も無い硬い木の椅子である。そして飾りのひとつも無い三方をただの壁に囲まれた小さな空間だ。だが不思議と心が落ち着いた。
カミューは足を組み、膝の上に両手を組み合わせて窓の向こうに視線を投げた。
目の前に広がるのは同盟軍の拠点に広がる人々の営み。城壁沿いに密集して出来ているのは戦火を逃れてここまで辿り着いた難民たちの住まいとも呼べぬ住まいだった。
以前は誰も住まない廃墟だったらしいこの城は、鬱蒼と草木が生い茂り野生の獣やモンスターの根城となっていたと言う。それが今は草木は人の足が踏み込んで自然と枯れて土が現れ、木々は切り落とされて刈り込まれ、人が暮らすのに充分な採光と日陰を提供するようになっている。
そこに湖岸に漂着した板切れや、古くなった衣服を繋ぎ合わせたもので覆いを作り、難民たちは独自の生活空間を作り上げていた。そしてより城に近い側の城壁側では、大小様々な露店が軒を並べていた。
それらは城の内部にある商店街にあるような店とは随分と趣きが違った。主に中古品や質の落ちるものを安値で売っているのだ。それは日用雑貨であったり衣服であったり、食料であったり。身一つで逃れてきた難民たちでも手に入るような品々だった。
時折、その気安さと安価の中にも意外に美味しいものを見つけてビクトールなどは好んでその露店に足を運ぶ事がある。以前にカミューもそんな傭兵に引っ張られて行った事がある。確かに美味かったが周囲の恐々として日々を過ごす難民たちの視線が痛くて長居出来なかった覚えがある。
こうしてカミューはこんな高みから彼らの営みを見下ろしている。だが彼らはそんなカミューの視線に気付くこともなく必死に生きている。彼らは風雨も満足に凌げない場所で暮らしているが、カミューは部屋と毛布を与えられている。その違いは何か。彼らには無い責任と義務をカミューが背負っているからである。
ただ逃げるしか出来ない守られるばかりの人々と、戦場の前線で命を盾に剣を振るって敵を退け打ち負かすカミュー。高度な政治駆け引きのひとつも知らず過ごす人々と、他国との厄介な交渉ごとに日々頭を悩ませているカミュー。
騎士団の頃から階位を昇り詰める度にカミューは新たな責任と義務を負っていった。そしてそれはこの同盟軍に参入しても変わらなかった。代わりに得たのは名声と生活の補償。
カミューは組んでいた足を組み変えて視線を俯けた。
いったい誰だろう、こんな場所を作りそしてこんな椅子をここに置いたのは。直ぐそこが軍師の部屋だが、まさかあの男が―――? こんな光りが射し込む眩しい場所にあの軍師の姿は全く想像出来ずにカミューは軽く首を振って苦笑を漏らした。
おおかた増築工事を請け負っている職人のいずれかの気まぐれだろう。
それにしても。
奇妙な風景だと、カミューは呟く。
都市同盟からもはぐれ、強国ハイランドを相手に身を寄せ合って一生懸命に戦っているこの本拠地の人々。逃げて逃げて逃げて、こんな湖岸の城へと追い詰められて、そこでこうして生きながら何とか勝利を得ようと頑張っている。
自分もその一員なのだと分かっていながら、ここにこうして座って見下ろしていると、なんだか自分だけがそこから浮いた存在にでもなってしまったように感じる。まるで意識だけになって空に漂っているみたいだった。
そして埒も無い事をあれこれと考える。
昨夜食べたハムは美味しかったと思えば、軍師に報告した出来事をもう少し出し惜しみしてやれば良かったなどと考える。またその反対では今朝起きた時に枕が何処かへ行ってしまっていて結局見つからずじまいだったから、戻ったら寝台の下でも覗いてみようかなどと思案に暮れている。挙句にはそう言えば、と生傷の絶えないマイクロトフの腕に残っていた小さな切傷の事が気になって、そろそろかさぶたが取れ掛けていたなんて事を思い出していた。
本拠地の風景を見下ろして、考えるのはそんな取りとめの無いことばかり。
だが、気付くと最初にここに座った時に真っ先に胸を占めた、難民たちと己の違いや、責任や義務の事がいつの間にか薄れていた。いや薄れたと言うよりもこれは、消化されたと言った方が近いかも知れない。
不思議だった。
固い長椅子の背凭れに背を預け、組んだ足先をふらふらとさせて。自分はいつの間にか陽だまりで茶でも啜っているみたいに呑気な気分になっている。
しまいには自分も連日の疲れでも出てぼけはじめたかと首を捻る始末だ。さっさと部屋に戻ってマイクロトフの顔でも見て心を平常に戻そうか。
ところがそうして首を傾げていると背後から足音がひとつ響いてきた。
紛れもなくこの場所に近付いてくるその足音に含まれる若干の癖。まさかと思って振り返るとちょうど壁の向こうから見慣れた青い騎士服が現れた所だった。
「カミュー」
驚いたような顔をして、如何にも意外だと言いたげな声を出す男に、カミューは肩を竦めた。
「なんだ?」
「あ、いや……おまえがここにいるとは思いも寄らなかった」
「だろうね。さっきこの場所に気付いた。おまえはその様子では前から知っていたようだね」
歩み寄ってくる男に長椅子の脇を開けてやると、何も言わずにそこに座った。そして右手でがしがしと自身のその黒髪を掻いた。
「マイクロトフ?」
「実はな。この長椅子をここに置かせてもらったのは俺なのだ」
「……へえ?」
カミューが驚いて声を上げるとマイクロトフは何故か耳を赤くしてカミューをちらりと見た。
「最初にここに来た時は、何もなかった。だが気付くと何故かいつも俺はここでぼんやりとする事が多くて、だから椅子を置いたのだが」
「うん?」
「………その内カミューが座る事もあるだろうかと、そう考えていた」
「?」
その割にはカミューは今日までこの場所を知らなかったのだ。知らなければ座りようが無いと言うのに、どうしてマイクロトフはこの場所を教えなかったのだろうか。
するとそんなカミューの疑問に気付いたのか、マイクロトフはひとつ頷いた。
「おまえがこの階に来るのは軍師殿への用がある時くらいだろう」
「まぁ、そうだね」
「軍師殿と相対する時、おまえはいつも……気合を入れてかかるだろう」
それは当然だ。あの軍師を相手に気の抜けた状態で会いに行ったら、いったいどんな厄介ごとを請け負う羽目になるか知れない。同盟軍のために力になれる事はなんでもするが、出来るからと言って何でも引き受けるほど暇でもタフでも無いのが現状だ。
カミューが頷くとマイクロトフはそうだろうと頷いた。
「そしておまえはいつも、軍師殿の部屋から辞去すると、脇目も振らず二階に降りてくる」
それは、階が違えば空気が違って居心地の良さも変わって来ると言うものだ。緊張感を持って軍師と相対した後は気分を解したいと思うのが人情ではなかろうか。
「…だから、誘い難かった」
ぽつりと言ったマイクロトフに、カミューは「あぁなるほど」と得心した。
そんな遠慮などせずとも、一言声を掛けてくれれば直ぐにでも付き合ったものを。マイクロトフがどれ程以前からここに来ていたのかは知らないが、貴重なひとときを幾度か駄目にしてしまっていたのかと思うと何だかつまらない思いがした。
「次からは誘ってくれ」
「あぁ、そうする」
カミューの言葉にマイクロトフは破顔して頷いた。その嬉しそうな顔にカミューも笑みを返してちらりと外の風景を見た。するとマイクロトフが大きく息を吸い込んだ。
「不思議な場所でな」
「え?」
唐突な言葉にカミューがマイクロトフを見れば、彼はじっと正面の景色を見据えていた。そしてそのまま言葉を紡ぎ出す。
「最初は目に飛び込んできた景色に圧倒されて、色々と考えてしまうのだがな。こうしてここに座ってじっとしていると、そのうち、音が聞こえてくるようになる」
「音が……?」
「そうだ。喧騒とでも言うのか。この場所は殊更静かだから、ざわざわとしたこの本拠地全体の音が聞こえてくるんだ」
そして口を閉ざしたマイクロトフの横で、暫く身じろぎもせずに景色を見ていると、なるほど確かにざわめく喧騒が遠く聞こえてくるのに気付いた。すると同時にふわりと意識が浮かぶような錯覚に陥った。
なるほどさっき感じた自分が浮いた存在になったような感覚は、これが原因か。
「その音に身を任せていると、いつの間にか大儀だとか使命だとかよりも、もっと下らない事を考えてしまう」
昼に食った肉の味付けや、剣の手入れのことや、カミューの寝癖や。
つらつらと並べるマイクロトフにカミューはつい苦笑する。
「わたしもさっきまで一人でここに座っていた時、同じような事を考えたよ」
「カミューもか」
「あぁ。本当に些細なことばかり……可笑しなものだな」
「いや、ところがそれがそうでも無い」
「ん?」
ふと真面目な声になったマイクロトフにカミューは目を瞬く。すると男は穏やかな笑みを滲ませたままカミューを見て、それからまた外の風景を見た。
「この場所で目にし耳にし、そして考えたことは、実はとても当たり前のものだと俺は思う。確かに俺たちは大きなものを背負っているだろうが、俺たちが守らねばならないものの本当の姿はここで考えて思うそれだけの事なのだ。この場所はだからそういった大切なものをきちんと気付かせてくれる場なのだ」
そして、マイクロトフの黒い瞳は強い意思の力に漲って外を見詰めていた。
「なるほどね」
うん、と頷いてカミューは笑った。
「とてもお前らしい解釈だ。すっかり納得させられた」
「そうか」
同意を得られたのが嬉しかったのか、満足したように微笑を浮かべる男にカミューは無言で返して外の景色に見入った。確かに日常の些細な出来事の連続こそが守るべきものそのものなのだと感じた。
その集大成がこの目前に広がる景色と聞こえてくる喧騒なのだろう。
気負いは無い。ただ漠然と「成そう」と思う決意が胸に宿っているだけだった。
そして二人で暫く無言のままに景色を眺めていた。
ところが不意にマイクロトフがごそりと身体の向きを変えて、痛いほどにその視線をカミューへと固定させた。
「……なんだ?」
「いや実はな。ここに座っていつもぼんやりとしているのだが、限って最後にはカミューのことばかりを考えているんだ」
「…へえ」
いきなり何を言い出すんだこいつはと、カミューは居心地の悪さを感じで目を逸らせて曖昧な返事をする。と、ぼそりとマイクロトフがこぼした。
「今日は、実物が横に居て変な気分だ」
「なんだそれは」
言うに事かいて変な気分とはどう言う意味だ。眉を寄せるとマイクロトフは苦笑して手を振った。
「別に悪い意味は無い。もしもお前がこの椅子に座っていたとしたらこうだろうなと思っていた、それと同じ姿をしているものだからな」
足を組んで両手を膝の上に組み合わせ、背筋良くすっと前を見据えている。細部まで同じだとマイクロトフは言う。それはまた大した想像力だ。奇妙に照れ臭くてカミューは小さく吐息を落とすと肩を竦めた。
「そうかい。実はわたしもさっきお前が来るまでお前の事を考えていたから、同じく変な気分だ」
「俺の事を? 本当かカミュー」
「…残念ながら本当だ」
意趣返しのつもりが全く効果がなかったようで、嬉しそうに詰め寄る男から顔をそらせて片手で目元を覆った。気のせいでなければたぶん、顔が赤くなっている。我ながら恥ずかしい事を言ったものだ。だがそうして顔をそらせていると、大きな手が伸びてきてカミューの髪を撫でた。
「そうか。カミューも同じか」
髪を撫でるのは構わないが、このままでは抱き寄せられてしまいそうな気配を感じてカミューは首を振ってマイクロトフの手から逃れた。
「……もう、良い。部屋に戻ろう」
「うむ。戻るか」
何だか本当に変な気分だと、妙に疲れた思いでカミューが立ち上がると、隣で元気良く立ったマイクロトフの手がそんなカミューの手を取ってさっさとそこから出ようと歩きはじめる。
なんとなく抵抗する気も失せて、引っ張られるままその場所を後にするカミューだった。
ところで。
マイクロトフの置いた長椅子のこの場所が、実はいつの頃からか恋人たちの逢瀬の場所になっている事を、二人が知るのはもっとずっと後の事だった。
END
なんだか色々と考える赤さんでした
実際軍師の部屋の奥にそういう場所なかったっけな?
コボルトのカップルがいた気がする…椅子はなかったけど
並んで座ってぼけっと目の前の景色を見ている二人の姿が浮かびましたでしょうか〜
2002/07/16