天使たち


 二十三


 騒々しい物音に沈んでいた意識が引き上げられた。
 直ぐそばで湯の沸騰する音が聞こえる。とすれば全身を包みこむようなこの温かな気配は湯気のもたらすものなのだろうか。カミューはぼんやりと考えながら目を開けた。

「ですから今はお会いできないと言っているんです」
 ホウアンの声だ。焦りを含んだ余裕のなさそうな声はどうしてなのだろうか。
「マイクロトフさんもお願いです。どうぞ赤騎士の方たちと一緒にお引取り下さい」
 マイクロトフ? 赤騎士も……? いったいなんだ。あぁくらくらするとカミューは全身を覆う倦怠に重く吐息をこぼす。
「ビクトールさんも、何ですかその不潔な方たちは。そんな格好ではここへの立ち入りは許可しませんよテツさんのお風呂に寄ってから来るんですね」
 手ひどく追い返しているらしい。なるほどこの騒々しさはそのためか―――。カミューは漸くはっきりと目が覚めて、よいしょと身体を起こした。少しばかり期待をしていたが身体はまだ幼いままだった。そしてこの場所が医務室であることを悟り、入り口の方へと視線を向ける。
「あ! カミュー! 良かったぁ、おまえ無事だったんだなぁ」
 覚えのある声が真っ先に飛んできた。見れば入り口付近でホウアンの制止を振り切って今まさに飛び込んできた人影がこちらへ向かってくるではないか。それが明るいところでは随分と草臥れた格好をしていたのだと今更ながら気付かされたベリルだった。彼は青ざめた顔一杯に安堵の表情を浮かべてカミューに手を伸ばした。
「俺、俺すっごい心配したんだぞ。真っ白になっちまってよ、冷たくなっちまってよ。だのにあの赤い連中が連れてっちまって、それっきり会わせてもくれねえで」
 そしてぎゅうっとカミューの身体を抱き込んでおいおいと泣き始めた。カミューはと言えば突然の事であったしこのベリルと言う男の純粋な人柄を心得ていたので、さして慌てずに小さく「だいじょうぶだよ」と笑いながらその腕を軽く叩いてやったのだが、周囲はとんでもない情景に肝を潰さんばかりに驚いたらしい。
「き、貴様何をするっ!!」
 鋭く叫んだのはナインか。ベリルの胸に押し潰されていて向こう側が見えないが、大騒ぎであるようだ。
「離れろ〜〜!!」
 …副団長まで。赤騎士の面々の声が口々に悲鳴を上げている。しかしマイクロトフの声が聞こえないなとのん気に考えていると、がばっとばかりにベリルの巨体がカミューから引き剥がされた。
「無事か、カミュー」
 良く知った聞き間違えの無い声が頭上から降ってくる。その低い声音にカミューは「え?」と振り仰いだ。すると穏やかに微笑む精悍な顔立ちが見下ろしてきていた。
「…マイクロトフ」
 カミューは呆然として名を呼ぶ、すると「なんだ?」と大きな手がカミューの小さな頭を包むようにして撫でた。その馴染んだ接触が嬉しいやら哀しいやら。戸惑いに溢れてカミューは顔をゆがめると困惑をそのまま言葉にした。
「ひどい……あのかわいかったマイクロトフが……」
 なんて姿に、とカミューはわなわなと無骨なだけの手を掴んでさめざめとする。
「ろくろくいっしょにいられなかったのに、さきにもとにもどってしまうなんて、ひどいじゃないか」
 本当に哀しかったのでカミューは正直に訴えつつ筋張って剣だこの出来た硬い手をさする。もっと小さくて柔らかくて温かかったのに。
 どうやらカミューは丸一日のあいだ、気を失っていたらしかった。その間にマイクロトフは病気が治り身体が元に戻ったのだという。嬉しそうにそう説明しながらやたらと小さいままのカミューの髪を撫でたり手を握ったり。―――こいつ、とカミューは成すがまま触れられながら乾いた笑みを零した。
 己が三日前にマイクロトフの小さな姿にとことん参って散々嫌がるような事をしていただけに、大きなその手を払い退けられないのである。恐らくあの時のカミューと同じ心境を抱いているのだろうその手だから。
 ところが直ぐにその手はまた別に手によって遮られた。
「カミュー…こいつ、何モンだ!」
 いとも簡単に押し退けられてしまったベリルがごそごそと身動きしながらカミューに問うてくるのが可笑しくて、くすくすと笑いながらカミューは答えてやった。
「おしえたじゃないか。マイクロトフだよ」
「え……?」
「しょうかいしたはずだよ」
 だがベリルの知っているのは五歳の姿のマイクロトフだ。分かっているがカミューはベリルの混乱が愉快で尚も煽るような事を言う。
「おぼえていないのかな。いっしょにたたかってくれた」
「あ、いや…でもあれは……」
「おなじ、だよ」
「……??」
 その時である。そんなベリルとマイクロトフを更に押し退けて赤い群れが飛び出してきた。
「カミュー様っ!! ご無事で!!」
「団長〜〜!! 心配しておりました〜〜!!」
 案じるような言葉を口にしながらも、しかし彼ら赤騎士たちの顔はどれもこれも薄く赤らんでだらしなくやに下がっている。どいつもこいつも幼い赤騎士団長の姿に芯から悩殺されているようである。ナインなどは一度見ているにもかかわらずそれだけに思慕がいや増しているらしい。我先にと眼前に膝をついてその頬を緩ませている。
「…おまえたち……」
 カミューは痛切な気分を隠しきれずにそんな部下たちを睥睨した。
「ここはいむしつだぞ、しずかにしないか」
 だがその舌足らずな嗜めがまた彼らを尚更煽ったようだった。一様に元気良く「申し訳ありません!」と威儀を正すもののその表情はだらしない。しかも気のせいで無ければ小声で「なんとお可愛らしい…!」と噛みしめるような言葉が聞こえたような聞こえなかったような。
 そしてそんな彼らの横で、やはり何がなんだか分からずにカミューと赤騎士たちのやりとりを見るベリルと、そしていつの間にそこへ来たのか怪訝な顔のケインがいた。




2002/11/09




 二十四


 男たち二人は恐々としながら面々の顔を順繰りに眺めていく。その都度不可解さが増していっているのを気付いたのは唯一それらを遠巻きに、実に面白そうに眺めていたビクトールだった。
「おい、カミューよ」
「あ、はい」
 不意に後ろの方から大きな声で呼ばわれてカミューがぴょんと背筋を伸ばす。するとビクトールが赤騎士たちを掻き分けて前に出てきた。そして突き出した親指でケインとベリルを指す。
「聞きてえんだがな。こいつら俺に任せるっつったが、そいつは傭兵隊に入れろって事か?」
 カミューはこくんと頷いた。恐らくビクトールならカミューの意図に気付いてくれる筈と思っていたが、それでも敢えて付け加えた。
「このふたりは、ぶそうしてしろにしんにゅうしたぞくから、わたしたちをまもってくれました」
「守って、なあ?」
「はい」
 にやにやと人の悪い笑みを浮かべて聞き返してくるビクトールに、にっこりとカミューは微笑んでみせる。
「ケインはひとのことばをのみこむのがはやいし、ベリルはみてのとおり、たくましいでしょう? やくにたつとおもうのですが」
「ああ、まぁお前が推すんなら試しに入れてみても良いだろう。ただし、容赦はしねえぞ?」
「もちろん。しょうねをたたきなおすくらいでけっこうです」
 無かったことにはしてやるが、彼ら二人が城に忍び込んで同盟軍の財を狙ったのは確かである。その償いに少々厳しい傭兵隊の訓練を味わうくらいはして貰わねばなるまい。
 そしてそんなビクトールとカミューの遣り取りに、漸く自分たちの事を話しているのだと悟ったらしいケインが声を上げた。
「おいおいっ、どういう事だよこれは!」
「ナンの事がだ?」
 ビクトールが首をひねってケインを見据える。その巨体に見下ろされて小柄なケインはびくっと震えた。どうやら最初の対面からずっとビクトールに対して強気に出られなくなっているらしいケインである。
「なんのって……その、なんでんなガキの言う事なんかいちいち…」
 ぼそぼそとそう呟いた途端赤騎士たちが吠えた。
「ガキとはなんという言い草かっ!! 貴様、無礼にもほどがあるっ!!」
「カミュー様はどのようなお姿であっても我らが剣を捧げた主! その方に対しての暴言は許さんぞ!」
 カッと火を噴くように怒り、ケインを取り囲む。だがその迫力よりもその告げられた言葉にケインは驚いたらしい。
「剣って、こんな小さなガキにかよ?」
 思わずそう口にして、またも赤騎士たちの集中砲火を受けそうになる。だがすんででマイクロトフの笑い含みの制止の声がかかり、ケインは救われた。
「止さんか。彼らは幼いカミューしか知らんのだから、そう思っても無理はないだろう? オブライエン殿まで何をなさっておられる」
 言って赤騎士副団長の肩をぽんぽんと叩いた。
「そう興奮されずとも、順を追って説明すれば良い」
「確かに……我らの方こそ礼を欠いておりましたな…。申し訳ありません」
 そして困り顔で控えていたホウアンにも頭を下げて、副団長は今度は神妙な顔をしてケインたちを見据えた。
「喚き立てて失礼した。改めてカミュー様の素性を説明申し上げる」
 そして居住まいをただし、びしっとカミューに手を添えて誇らしげに言った。
「この方は元マチルダ騎士団赤騎士団長のカミュー様であられる。ちなみにこちらは同じく元マチルダ騎士団の青騎士団長マイクロトフ様。お二人はこの城にいる元マチルダの騎士全員の忠誠を受けておいでだ」
 だが、ケインとベリルには直ぐにその言葉を理解するのは難しかったようだ。だから分かりやすいようにとマイクロトフが補足する。
「俺は昨日まで珍しい病にかかって外見が五才児になっていたのだ、ベリル、おまえにはだから一度会っているぞ。カミューを必死で庇おうとしてくれて礼を言う」
 そして真摯に頭を下げる実直な青騎士団長にベリルがおののく。
「じゃあ、まさか本当に……」
 そこへカミューが笑ってこくんと頷いた。
「これでも、ほんとうは27さいなんだけどね」
 どこまでも愛らしい天使のような微笑みを、呆然と受けつつベリルの頭は真っ白になったと言う。と、そこにきて、それまでずっと黙って成り行きを見ていた医師が頃合良しと見て手を叩いて一同の注意を引いた。
「さぁさぁ、お話はまた後日にして下さい。カミューさんはこれでもご病気ですよ。きちんとお休みになればそれだけ回復も早くなるんですからね」
 そのホウアンの言葉に、回復は喜ばしいがこの姿が失われるのかと言う失望も大きい、とそんな複雑な心情を顕わにマイクロトフや赤騎士たちが肩を落とす。
「さ、もう宜しいですね。皆さんそれぞれのお仕事に戻ってくださいよ」
 そんなホウアンに促されてぞろぞろと名残惜しげに出て行く。だがマイクロトフだけは居残り、全員が医務室から出て行くのを見送ると改めてカミューに向き直った。
「マイクロトフ…?」
「うむ、報告を忘れていた」
 そして寝台へと静かに腰かけ、カミューの髪をまたそっと撫でるとじわりと微笑を浮かべた。
「俺たちに剣を向けたあの男たちだがな。やはり城主殿を狙ったハイランドの刺客であった」
「あぁ……」
 やはり、とカミューは眉をひそめた。
「だが大事に至る前に捕らえる事が出来た。改めて城主殿と軍師殿からねぎらいがあるだろう。おまえのおかげだからな」
「でも、マイクロトフもがんばったじゃないか。そうだ……けがはへいきかい?」
 男たちから随分と酷い仕打ちを受けていた筈だ。小さい身体ではその衝撃は余程のものだったろうに。だが案じるカミューにマイクロトフは笑って首を振った。
「昨夜は痛んだが、今朝起きて身体が元に戻っていたら傷も消えていた」
「そうか。よかった」
「あぁ、だからカミューも早く元に戻れ。そうすればこの擦りむけた傷も消える」
 間近に顔を寄せてマイクロトフはカミューの鼻を指して笑った。そう言えばつまづいて転んだ時に鼻の頭を擦りむいたのだ。微熱で全身がぼうっとしているためか痛みはあまり感じないが、赤く目立つのだろうか。
「みっともないかい?」
「いや、可愛いぞ」
 そしてマイクロトフはぺろりとカミューの鼻の頭を舌先で舐めた。つい、と言った感じでなされたその行為に、マイクロトフはともかくカミューは瞬時に湯が沸いたように顔を赤く染めた。
「マイクロトフっ」
「ん?」
 だがにこにこと嬉しそうに笑うマイクロトフに毒気を抜かれて、カミューは困ったように眉を寄せるとむくれて間近の顔を見上げた。だが直ぐに悪戯を思いついた猫のような笑みを浮かべてすっと小さな手を男の両耳に伸ばした。
 耳朶を指で掴んで力任せに引き寄せると、ハッと目を見開いたマイクロトフの唇に己の桜色の唇をちゅっと重ねる。そして名残惜しげにそろっと離れるとにっこりと笑った。
「あぁやっぱりこうもたいかくさがあると、ふべんだね」
 口付けするのもままならない、とカミューは引っ張ったためかそれとも別の理由からか赤く染まったマイクロトフの耳から指を離した。
 そしてそのマイクロトフは可愛い仕打ちに口元を押さえてううと唸った。多分、複雑な気持ちが渦巻いているに違いない。案の定ぼそりと呟いた。
「嬉しいがカミュー……大人に戻ってからまた頼めるか」
 カミューは笑みを深めて頷いた。
「もちろん」
 その笑顔は天使にも劣らぬ愛らしさだった。





 後日、精神年齢相応の姿に戻ったカミューが改めてベリルとケインに会うために傭兵隊へと赴いた時、彼ら二人はビクトールに散々扱かれて疲労困憊状態だった。だがつまらない盗人紛いな働きをしていた頃とは違う、確かな目的を与えられた彼らの瞳は真っ当に輝いていた。そこへきて優雅で清廉な元赤騎士団長に励まされたベリルとケインは、幼い天使とはまた違う魅力にこくこくと頷いて、日々の努力を新たに誓ったのだった。


end



2002/11/11


たった三日間の出来事なのに長かった……(笑)
壱話を書き始めてから七ヶ月半、長らくお付き合い下さいまして有難うございました。
小さい青赤はいかがでございましたでしょうか。
と言っても中身はそのまんまだったのですが〜。
私的にちび赤にメロメロになりながら書いていた座谷です。
特にあの「おどるかえん!」には並々ならぬ情熱を抱いておりました。
なぜひらがなにしただけでこうも愛らしいのでしょうか!
勿論ちび青も可愛くてそして健気でたまらんのでしたが(そしてやっぱり傷だらけだし)。
しかし長編になると否応無くオリキャラが出てきますね。
今回目立ったのはケインとベリルと、赤騎士のナイン。
オリキャラの苦手な方は失礼しました。でも楽しかったですねぇ。
ちょっとでも気に入ったキャラがあれば幸いですが。
ともあれ、本当に長かったですね(笑)。
今度はもう少し簡潔にまとめたいなぁ…。

て…ちびの次は女性化青だった……(笑)

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