不可解な挑戦
その朝、珍しくカミューの目覚めは良かった。
同盟軍の居城にて、同室の男が起き出す物音は最低限に抑えられている。なので日頃はそれで目覚めることは皆無なのだが、この朝はなぜかその小さな物音に目が開いた。
そしてもう既に起き上がって衣服を整えているマイクロトフを見上げながら、のそりと身を起こすと驚いたような声が降ってくる。
「起きるのか?」
「……うん」
乱れた髪もそのままにこくりと頷くと、小さなあくびをしてカミューは背伸びをした。
「二度寝をする気になれない。から、起きる」
それでも緩慢な寝ぼけたままのような動作でごそごそと動くのをマイクロトフはやはり驚いたような眼差しで見守っている。
「無理する必要は無いぞ」
「…べつに、無理なんて……起きてはいけないのかい?」
「いや…なら、たまには訓練に参加するか?」
「あぁ、青騎士恒例の……もう始まるのか?」
窓の外を見つめればまだ夜明け前の薄暗さである。流石にこんな未明に大勢が号令に合わせて訓練をするはずも無いだろう、マイクロトフは首を振る。
「早朝訓練はもう少し後からだ。だが俺はいつも今頃から自主鍛錬をだな」
「…付き合わせて頂くよ……」
少しばかり呆れたような顔でカミューは薄らと笑って頷いた。
そうして衣服を整えて、揃って私室を出ると階段を降りる。だがやはり珍しく起きたとはいえ、完全なる覚醒には程遠かったらしい、カミューはまだ寝ぼけていた。
ふらふらと、道場ではない方へと歩き出そうとするのを、マイクロトフは慌ててその襟首を掴んで引き戻した。
「こら、そっちではない」
「…あれ?」
「だいたい、そっちに行くと……」
引き戻されながらカミューは目を擦りマイクロトフを見る。
「ん? こっちに何かあるのか…?」
しかしマイクロトフは一瞬だけ不可解な顔をして、そして黙り込むと首を振った。カミューはそんな男の態度が少々気になった。
「何があるんだ。言えよ」
じっと間近に寄って見詰めれば、マイクロトフは眉を顰めて言い難そうに答えた。
「……にわとりが…………」
ぼそりと、低い声でそう一言。
「にわとり…?」
「あぁ、にわとりが……挑戦をしてくる」
「……―――ニワトリ、という名の御仁なのかな?」
「いや、鳥の鶏だ。ユズ殿が飼育されている、白い羽毛に赤いトサカの雄鶏で」
「どう言うわけだ?」
事情が飲み込めないカミューは疑問符を飛ばして首を傾げる。
「力の強い雄鶏らしくてな、何度も飼育小屋の柵を破って脱走をするらしいのだが、時折道場にやってきて俺に殺気を叩きつけてくるのだ」
「鶏が殺気?」
そんな馬鹿なことが、と言いかけて、マイクロトフが嘘を言うはずがないと知ってカミューは口を噤む。しかも目の前の男は真面目そのものの表情だ。
「鶏にしては大きいと思う。一人で鍛錬をしていると背中に蹴りを見舞ってくるのだ」
顔を顰めてマイクロトフは言う。カミューは初めて知ったそんな早朝のちょっとした出来事に返すべき言葉を見つけられず、ただ「へえ、そう…」と頷いただけだった。
「鍛錬の妨げになるので、ユズ殿に相談をしてみたのだが、脱走して道場にやってくる理由がわからなくてな。どうにかこうにか柵の補強をして済ませているのだが」
それもいつ破られることやら、とマイクロトフは困り果てたように漏らす。
カミューは己がまだ夢の中をさまよっている時刻にそんな出来事があったとは露知らず、またそれでマイクロトフがそれほど悩んでいるのだと知って呆然とした。
「マイクロトフ…何か鶏の恨みを買うような真似をしたのではないか?」
「何もしておらん」
きっぱりと言い切る男に、カミューはそうか、と俯いた。
「だが、何か理由があるのだろうね……わたしもそれとなく調べておくよ」
「うむ……まぁ、そう頻繁な事ではないから、あまり気にする事ではないのだが」
「それでも、困っているのだろう?」
「…あぁ……」
どうやら本当に困っているようだ。
「殺気を感じてダンスニーを持てばそこにいるのは鶏だろう…? ユズ殿が飼育をされているものだから、怪我を負わせるわけにもいかず、飛びかかってくるのを避けるのが精一杯なのだ」
「それは、大変そうだな」
以前に少しばかり闘鶏を見たことのあるカミューは、甘くはない鶏の攻撃を思い出して顔を曇らせた。
「うむ…」
頷いてマイクロトフは一息吐くと、道場へと顔をめぐらせた。
「そろそろ行こう。先日柵を補強したばかりだから今日は大丈夫だと思うぞ」
「…そんなに頻繁に補強をしているのかい?」
「ああ、おかげで大工仕事が少々得意になった。ユズ殿にも感謝を頂いている」
「そうかい…」
知らなかったよ……とカミューは呆然と呟いた。
早朝の不思議な世界。
何も知らなかった様々な出来事に、カミューは遣る瀬無い笑みをただ浮かべるばかりだった。
くだんの鶏が、毎朝自身の目覚めよりも早いマイクロトフに、雄鶏としての矜持を傷付けられて怒り狂っているという、その事実にユズが気付くのはこれよりもずっと後のことだった。
おわり
い、いかがでしたでしょうか
ニワトリの登場はなりませんでしたが
マイクロトフの苦労はいっぱい(笑)
2002/03/09
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