珠にはこんな関係も
常日頃から何かとあればキスを交わし、抱き合い互いの体温を感じては想いを新たにするような、そんな二人が―――。
「マイクロトフ、そこのカップ取ってくれ」
「ん」
ベッドの上から指図をするカミューは目の前のチェス盤を睨み付けて何やら思案中である。その、空中にさ迷わせた指先に卓上から取り上げた紅茶の入ったカップを取って握らせてやったマイクロトフは、しかしそれきり元のソファへと座って中断された読書の再開をする。
この風景は、あまりに彼ららしくなかった。
なにが―――。
離れているのが、奇妙であった。
常のカミューであればマイクロトフの読書の邪魔をするかのように、おそらくはソファーの狭い場所に身体を押し込んでその広い背に懐くに違いなく。
また本来のマイクロトフであれば傍らでカミューが真剣な面持ちでチェスの駒をその繊細な指先で弄びながら盤遊びに興じていようものなら、まるで美しい花を愛でるが如くその熱い眼差しでもって恋人を見詰めて離さないに違いないからである。
だが彼らは今思い思いに時を過ごし、同じ室内に居るもののまるで相手が空気であるかのように振る舞っている。たまに、先程のようにカミューがマイクロトフに離れた場所の小物を取らせたり、カミューが淹れようとする紅茶をマイクロトフも一緒に淹れてもらったり、などのやり取りはあるにはあるのだが。
「なぁ、マイクロトフとどうかしたのか?」
唐突なビクトールの問い掛けにカミューはぴたりとユーライアの手入れをする動きを止めてぱちくりと目を瞬かせた。場所は同盟軍本拠地の道場。その隅で座り込んで武具の手入れをしていたところだった。
「どうか、とは……?」
「いや、なんつーか、ここ最近の、雰囲気がな」
先を言い淀みビクトールはぼりぼりと頭を掻く。
「すっきりしてるっつーか、素っ気無いっつーか」
逆を返せばしつこくなくて、親密ではない。
妙な言いまわしだが。
「ただの気の合う親友同士みたいでよ」
その言葉にカミューが苦笑を浮かべた。
「おかしな事を仰る。我々はもとから親友同士ですが」
「ん、いや。まぁそうなんだがよ」
そこでビクトールは更に言い難そうにぼそぼそと漏らした。
「周りの俺たちが調子狂わしちまってよ。なんつっても普段からおまえら目の毒だっつーくらい、こう…べたべたと」
「あぁ……」
軽く頷いてカミューは俯いた。
「言われてみれば確かに―――そうですね」
顎に指をかけてカミューはふと思案顔になる。
「そう言えばキスもしていない……」
隣でビクトールがぶっと吹き出した。
しかしカミューはそんな傭兵の様子など目に入っていないようで更に思案を深めるように目を伏せた。
「このところ、軍に大した動きもなくて。その内何か起こるんじゃないかと思うほど、何もない状態が続いて」
確かに、この数週間と言うものまるで平和な時勢でもあるかのように、休閑的な気配が漂う同盟軍であった。いっそ平和ぼけでもしてしまいそうな。だからこそこうしてのほほんと武具の手入れなども世間話をしながら出来ると言うものなのだが。
と、そこでカミューが不意に顔を上げた。
「あぁ、なるほど。分かりましたよ」
微笑を浮かべてカミューはくるりとビクトールを見た。その瞬間ビクトールの勘はこれ以上聞いてもろくな事は無いと警鐘を鳴らしまくったのだが、哀しいかな好奇心がその警鐘音を防いでしまった。
「なんだ?」
訊ねたビクトールにカミューはにっこりと、それはもう幸せそうな微笑みを浮かべた。
「どうもこの一時の平和な状態のおかげで、暫くのところ常になく満たされた日々が続いておりまして」
「おう」
「散々、それはもう、これ以上はというほどの日々を過ごしてしまいまして」
「………」
「単にそれで、欲求の不満も皆無の状態で」
「分かった!」
そこで漸くビクトールが待ったをかけた。
「言いたい事は分かった。だからもうそれ以上は言うな」
「あ、そうですか?」
青年は美しく微笑んで、確かに良く見れば血色の良い心身共に健康そうな様子にビクトールはげんなりとして笑った。
「心配した俺がばかなんだよな」
そんな呟きにカミューは首を傾げたが、だが突然にユーライアの手入れをそこで中止するとすっくと立ち上がった。
「どした?」
「いえ、ちょっと」
ユーライアをきちんと腰におさめてカミューは少しばかりウズウズした様子でちらりと道場の向こうを見やった。それからビクトールをまたじっと見下ろしてにっこりと笑った。
「べたべた、してこようと思いまして」
図らずもやぶを突付いて蛇を出してしまったビクトールが、ここ最近のすっきりした日々もこれで終わりか、と天を仰ぎ、黙って始終を聞いていた星辰剣に「間抜けめ」と罵られる。そんなある日の同盟軍だった。
おわり
お題は「倦怠期」…所詮うちの青赤はこんなもの〜(笑)
2002/02/21
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