馬鹿な真似10


 翌朝のことである。
 朝食の後、マイクロトフとカミューはロスマリンの元へと訪れた。夫人は相変わらずの微笑で騎士二人を見つめている。
「カミュー」
 戸惑ったようにマイクロトフが話し掛けてくる。それがまた声を潜めるわけでもないので、筒抜けのロスマリンが笑みを深めた。カミューはその脇腹を肘で突いて嗜める。
「怖気づくな。おまえはただ黙って頷いていれば良い」
「……む」
 ところが、そんな二人のやり取りをロスマリンは可笑しくて堪らないというような声を上げて笑い出した。
「楽になさってね」
 ロスマリンはそしてワゴンを引き寄せるとティーセットをテーブルの上に並べ始める。カミューはマイクロトフの服の袖を掴むと、相対するソファーに並んで腰掛けた。
「お二人揃っておいで下さって嬉しいわ。昨日はぐっすり眠れまして?」
「ええ、おかげさまで」
 カミューがにっこりと応じる前で、ロスマリンは薫り高い紅茶を淹れると静かに目前に置く。
「それは良かったわ。あれきり、だったから」
 あれきり。
 確かにそうだ。レディたちにとってカミューは突然姿を消してしまったのだから。
「ご挨拶もせず失礼して申し訳ありませんでした」
「いいえ、よろしいのよ。それよりも……あの、ドレス」
 ロスマリンの、全くさりげなくはない問い掛けに、傍らでマイクロトフがあからさまにびくりと慄き、カミューは軽く嘆息する。
 相手がたとえば歴戦の戦士だとか、豪胆な政治家だとか、そんな状況ならば驚くほど落ち着いて堂々と渡り合えるくせに、それが女性―――しかも女性的過ぎれば過ぎるほど、どうしてこれほどまでに所在を無くすのだろう。
 確りしろ、と再び脇を小突いてカミューはロスマリンに微笑を向けた。
「そうなんです。あのドレスですが、無理を承知でお願いしますが、是非わたしに買い取らせて頂きたいのです」
「あらどうして? もしかして、またドレスアップする予定でもおありになるの?」
 にっこりと、小首を傾げるロスマリンにカミューも笑顔で首を振る。
「いやだな。そんな事は有り得ませんよ」
 うふふふふ。あはははは。
 マイクロトフが一人青褪める中、空中に目に見えない火花が散る。
 何故こうまで緊張感が高まるのか。
 それほどの長い時間を共にしたわけでもないのに、カミューにはこのロスマリンが見かけどおりのたおやかな女性ではない事が分かっていた。
 きっと主のランバートよりも、このロスマリンは賢く思慮深い。幼い無邪気さを装っているものの、芯は強くしたたかな女性であるに違いなかった。
 そしてカミューには昨夜の顛末が、ただの偶然によって齎されたものだとは考えられない理由があった。最初に隠し扉に紛れ込んだのはそれこそ全くの偶然だったのだろうが。
 ともあれ、商談はこれからだ。
 使い物にならなくなったドレスをいかにして安く引き取ってみせるかが問題である。たかが遊びのためのドレスであろうと、特注の高級品。ロスマリンはきっとただでは手放さないだろう。
 もし彼女が快く安価で譲ってくれると言うのなら言い値を出すが、もし欲を出したならそれ相応の態度で臨まねばならない。些か気が引けるがしかたあるまい。
「カミュー」
 ふと、マイクロトフが案じるような声を出す。
 カミューの微笑はそのままだったが、僅かな気配の変化をこの男は読み取るのだろう。大丈夫だと眼差しに込めて頷いてみせた。
「さて、それでロスマリン殿。いったいお幾らであのドレスをお譲りいただけますでしょうか」
「あら困ったわ。だってあのドレスはわたくしとても気に入っているんですのよ。それはカミュー様にはとってもお似合いでしたけど、手放すには惜しいわ」
「残念ながらロスマリン殿。正直に申し上げると、あのドレスはそのままお返しするには少々不都合がありましてね。とても元通りにはならないほど、汚れてしまったんですよ」
 マイクロトフがぎくりとする。
 だからもっと堂々としていろ、と思うが無理のようだ。
「ですから、責任を持って我々で引き取らせて頂きたいのです」
 しかしロスマリンはうっとりと微笑みながら緩やかに首を振る。
「そんなお気遣いは要りませんのに。大丈夫ですのよ? 少々汚れたりほつれたりした程度でしたら、職人に頼めば戻りますもの。それとも、よほど目も当てられないほどの汚れ具合なのかしら」
 ぎくぎく。
 汗だのなんだので目も当てられないほど汚れたとは流石に言えない。だがあからさまに狼狽するマイクロトフと違い、そこを敢えてにこりと微笑み返すのがカミューだ。
「譲って頂けないのですか?」
「あら、そんな。どうしてもと仰るのならわたくしも是非お譲りしたいとは思いますわ。けれど、あのドレスは懇意にしている職人に頼み込んで作って貰ったものですもの……」
「もちろん、それ相応のものはお支払いさせて頂きますよ」
 するとロスマリンは笑みを深めるとふと伸ばした指先を己の唇にあてた。
「でも、騎士様のお給料で足りるかしら」
 あどけない物言いでありながら、実に容赦のない言葉である。そこでカミューの瞳が不穏な光を宿した。
「そうですね。こちらの屋敷に隠されているという宝でも見つけたら、十分なお支払いも出来るのではありませんか?」
 途端にロスマリンの笑みが一瞬強張ったのが分かった。
 明らかな動揺にカミューが軽く眉をあげる。しかし傍らでマイクロトフだけが首を傾げて二人の会話を黙って聞いていた。
「……宝を、見つけると仰いますの?」
「ええ。もし見つけられたらその一部を頂けるんでしたね」
「あくまで、お見つけになったらの話ですけれど」
「確かに。ですが仮に我々が宝を探し出せたとしましょう。どうしますか?」
「何が、ですの?」
 曖昧な問いかけにロスマリンが短く問い返す。
 カミューはふむと頷いておもむろに背をソファーの背凭れに預けてゆったりと身体の力を抜くと、両手を組んで小首を傾げた。
「ロスマリン殿。我々はこのマチルダの騎士ですよ。既に退団しているランバートとは違う現役の騎士です。今は休暇中ではありますが、常に騎士としての勤めは忘れる事はありません」
 突然、話題と無関係な事を持ち出されてロスマリンの瞳に怪訝な色が浮かぶ。しかし、続くカミューの言葉にその瞳がさっと凍りついた。
「あるかどうかも分からない眉唾物の隠し財産ならば問題はありません。ですが、確実にあると証明される財産なら、それは課税の対象になるんですよ?」
 そこで漸くマイクロトフにもカミューの言わんとしている事が分かったらしい。一瞬でその黒い瞳に険しさを帯びて腕を取る。
「おい、カミュー」
「黙っていろと言ったはずだよマイクロトフ」
 マチルダ領内の領民は、騎士団への納税が義務付けられている。それは貴族であっても同様である。
 もともとマチルダ騎士団はそんな貴族や豪族たちが資金を出し合って結成された騎士団がもとになっているのだ。今も昔も、貴族たちの毎年の資金援助は騎士団にとっての大切な収入源となっている。
 そしてそれぞれの貴族の領地や財産に見合った税は、常に騎士団によって定められており、もしそれを収めなかったり誤魔化したりすれば、更に厳しい追徴が待っている。
 貴族の中にはこの税を何とかして逃れようと、あの手この手で脱税する者もいるが、見つかればただでは済まないので常に慎重に行われている。また騎士団も大切な資金を欠くのは望まざることなので、騎士たちにはそうした貴族たちの動きを公私問わず常に注意深く見るよう命令が下されているのだった。
 もちろん、元騎士だったランバートがそれを知らないはずはないし、マチルダの貴族であるロスマリンも承知のことだろう。
「……さて、こちらには一週間滞在させて頂きますので、まだまだ余裕がありますね。張り切って探索させて頂きましょうか」
 もしかしたら今日にでも見つけられるかもしれないなぁ。
 のんきに呟くカミューに、しかしロスマリンの強張った表情は変わらない。
「カミュー様」
「なんでしょう」
「あなたは確か、騎士隊長様でいらしたわね。それに、マイクロトフ様も青騎士団で―――お二人とも要職に就いておられますのよね」
「ええ。若輩ながら部隊を預からせて頂いておりますが、それがどうかしましたか」
 カミューの声音がふと尖る。しかしその微妙な変化に気付いたのはマイクロトフだけだ。ロスマリンはやっと狼狽から脱したようで、口元に微かな笑みを浮かべている。
「いえ、ただ。騎士隊長様ともなれば、色々な噂の的にもなりやすいのでしょうね、と思って」
 小首を傾げてくすりと笑う。だが細められた瞳が全く笑っていないのをカミューは見抜いていた。
「失礼だがロスマリン殿。何が、仰りたいのか、教えて頂きたいな」
 あくまで穏やかな口調なのだが、何故だか首筋がちりちりとするような緊張感が漂う。
「何がってお二人の事ですわ。主人からも聞いておりますの。カミュー様なんて特に華やかでいらっしゃるもの、恋の噂も多いと窺っておりますわ」
 ねぇ。とロスマリンはマイクロトフに意味深な目を向けた。
「けれど……噂のなかには、声をひそめるような類のものもあると言いますわ。大変ですわよね」
 マイクロトフにしてみれば、ロスマリンが何を言いたいのか全く分からない。しかしカミューには通じているらしいから不思議だ。いったい彼らはこの会話の中でなにを交わしあっているのだろうか。
 だがそれは、直後に知れた。
 カミューが殊更に穏やかな微笑で、ロスマリンの言葉を遮ったのである。
「それ以上は、流石にはしたないですよレディ?」
 人妻であるロスマリンにレディもないだろうが、そう言われて違和感がないのもまたこの女性の魅力なのだろう。しかし、途端にびくりとロスマリンの肩が揺れた。
「カ、カミュー様」
「よからぬ悪戯は程々になさることです。あまり過ぎると、わたしも黙ってはいられない。追加徴税で物足りなければ、騎士団に対する背信行為でも良いんですよ」
「なっ!」
 驚きの声を上げたのはロスマリンではなく、マイクロトフの方だ。しかしロスマリンもまた先程以上に目を瞠って唖然としている。そんな表情を悠然と眺めてカミューはふと笑みを崩す。
「ご存知ですか。とある貴族が騎士団に黙って自分の領地内に別宅を建設したのですがね、それが隠し部屋満載の屋敷でしてね―――調べで分かったのですが、そこには赤月帝国の豪族に横流しするための武器防具が大量に保管されていたのですよ。その貴族は騎士団に対する反逆行為で捕まりました」
 その話ならばマイクロトフも知っている。以来、貴族は自分たちの持っている屋敷や施設は全てその見取り図や使用目的の概要を騎士団に提出しなければならない事になっている。それに違反すれば背信行為として訴えられても文句は言えないのだが。
 まさかランバートがそんな事をしているのだろうかと、マイクロトフは内心ただごとではなくなってきている。ところがロスマリンはそこで何故だかにっこりと笑った。
「あら、恐いこと」
「ああいや、これは無粋な話をしましたね」
 カミューもまるで何事もなかったかのように爽やかに笑っている。
「さて、それでは話を元に戻しましょうか。ドレスのお値段ですが」
「あらいやですわ。そんなにも気に入って下さったのなら構いません、カミュー様に差し上げますわ」
「おや、よろしいのですか?」
「ええ勿論」
「それは有難い。感謝しますよ」
「うふふふふ」
「ははははは」
 二人ともそこで会話を切って実にのんびりと茶などを飲んでいる。ただ一人マイクロトフだけが呆然としている。どうやらカミューとロスマリンの間でなにがしかの遣り取りがあったのは確かなのだが、それが全く検討のつかない状況だ。
 説明を求めて傍らのカミューを見遣るが、彼は相変わらずにこにこと笑っているばかりだ。
「カミュー、いったい……」
「さぁそろそろお暇しようかマイクロトフ」
「しかしだな」
「良いんだよ。ほら、まだ庭の方は散策していないよな。散歩にいってみようか」
「だがカミュー」
「こちらの庭も立派なんですよね、ロスマリン殿?」
「ええどうぞ。庭師が丹精込めて世話をしておりますわ」
「それは楽しみだ。今日は天気も良いしね」
 そしてそのままカミューはロスマリンに別れを告げるとさっさと部屋を出て行ってしまう。マイクロトフは慌ててその後を追うしかなかった。だが廊下でその背に追いついた途端に憮然と問う。

「カミュー! いったいどういうことか説明しろ!」
 するとカミューは歩みを止めずに、顔だけ振り返ってにやりと口端を歪めた。
「喜べマイクロトフ。ドレスは無料で譲っていただけたよ」
「それは分かる。分かるが合間に交わされていた会話はなんだ」
「なにって。取引だよ」
 そうするうちに一階のテラスへと辿り着き、カミューは硝子で出来た扉を押し開き、南側に面した広大な庭へと降りていく。
「取引だと?」
「そう。安く譲ってくれるように色々とこちらの手札を見せていただけでね」
 おまえがそう不審がるものでもないよ、と言いながらカミューの足は緑の芝を踏んで庭の奥へと進む。マイクロトフはしかし燦々と陽射しの射すなか、剣呑に顔を顰めた。
「…脅したのか?」
「そう言われると語弊があるなぁ。あちらだって我々を脅しにきていたんだぞ。昨夜のアレをばっちりと見られていたんだからな」
「な、に……?」
「彼女は、あのドレスがわたしにとても似合っていたと言っただろう? そんな気はしていたんだが、あの言葉が決定的だったな。なにしろ、わたしはドレス姿を彼女たちにお披露目する前に逃げ出した筈だからね」
 そのあたりの事情を知らないマイクロトフは首を傾げたが、カミューにしてみれば聞き逃せない一言だった。
「だとすればいつ見られたのか……きっと、あの談話室でだよ。あそこの出口を開けてくれたのは彼女だろうなぁ」
 出口? とまたマイクロトフが首を傾げるのにカミューはくすくす笑う。ともあれ、ドレスを譲ってくれて、おまけに昨夜見た事を内密にしていてくれるのなら、こちらも黙っていてあげますよ、と先程の会話の中で約束してしまったのでマイクロトフには、後でもっと落ち着いてから話さねばなるまい。
「まぁ良いじゃないか。ドレスは譲ってくれたし、わたしとおまえのことも見ない振りをしてくれると言うのだから」
「だ、だがカミュー!」
 見ればマイクロトフは顔を真っ赤にしてうろたえている。しかたがないなとカミューは笑って、しっと人差し指で制した。
「良いから黙って、ほらマイクロトフ上を見ろ。屋敷の塔の上に鐘がある―――くすんでいるが、陽の光を受けて黄金色に輝いているようには、見えないかい」
 庭の中ほどまでマイクロトフを導いて、カミューは屋敷を振り返り屋根の上を指差した。
 見上げた先には確かに黄金色の鐘が慎ましく吊り下げられている。
 実は、あれは見た目だけではなく、本当に黄金で出来ているのである。

 昨夜、隠し通路をさんざん迷った挙句に辿り着いたのはあの塔の上だ。暗くて最初は気付かなかったが、気付いた途端カミューは自分の見たそれがあまりに信じられなかった。
 まさか、こんなにも堂々と晒されているとは思っていなかったからだ。巧く隠したものである。きっと他の誰も気付かないだろう。これがこの屋敷に隠されているという宝に違いなかった。
 遠目には分かり難いが表面には緻密な細工が施されており、その重量以上に価値のある黄金の鐘なのだ。それを知っているのは、あの隠し通路に精通しているらしいロスマリンと、恐らくはそれを管理している使用人の誰か。そこはカミューの予想だがあの執事ではないかと考えている。
「昨日も聞いたが、良い音の鳴る鐘だよな」
「ああ、確かにそうだが、あの鐘がどうかしたのか」
「うん。別に」
 そらっとぼけてみせたが、これで一週間の暇潰しがなくなってしまった。正直つまらない。
「それにしても、今日からなにをして過ごそうかなぁ」
 自然だけはあるが、他に何もないこの屋敷でいったいなにをして過ごそうか。マイクロトフと人目を気にせず始終そばに居られるのは嬉しいが、多少の楽しみも欲しいと思うのは贅沢だろうか。
 ところが、その時不意に二人に向かって屋敷の方から声がかかった。
「カミュー様、マイクロトフ様」
 振り返ればロスマリンが先程の部屋の窓辺から二人を見下ろしていた。その表情は最前までのカミューとのやり取りなどまるで無かったかのような何気無さである。
 マイクロトフとカミューが見上げて視線が合うと、ロスマリンは軽く手を振って口元に掌を添えて声を出す。
「午後からティーパーティーがありますの。是非参加なさってね。うちのパテェシエが腕をふるいますのよ」
「ええ、もちろん」
 カミューが声を張り上げて、大きく頷いて見せるとロスマリンは心底嬉しそうに微笑んだ。
「マイクロトフ様もどうぞ。焼きたてのスコーンに、極上のメイプルシロップとクロテッドクリームをご用意いたしますわ。うちのスコーンはそれはもう評判なんですのよ」
 だが途端にマイクロトフがうっと青褪める。それを横からカミューが見遣ってくすくすと肩を震わせて笑い出した。
「ミセス・ロスマリン。彼は甘い物が苦手なんですよ。だからサンドイッチを沢山用意してくださると、こいつも喜びます」
 するとロスマリンは苦笑を浮かべて、それでも満足げに頷いた。
「まぁ、でも大丈夫。ハムとハーブを混ぜ込んだ特別のスコーンもありますの! フレッシュバターをたっぷり乗せてお召し上がりになってちょうだいな」
「良かったなマイクロトフ。実に美味しそうじゃないか」
「む……」
 これは中々、良さそうだ。
 ふとカミューは含み笑う。
 マイクロトフと美味しい物があれば文句など言うまい。
 休暇はまだまだあるのだから、これから十分堪能させてもらおう。始まりの方で随分と面倒に巻き込まれてしまったが、きっとこれからはのんびり過ごせるに違いない。
 しかし。
「カミュー。後で確り聞かせてもらうからな」
 未だ納得しきれていないマイクロトフが厳しく睨んでくるのに、カミューは思わず肩を竦めるのだった。



end



終わりです。
きっとこの日の夜はあれこれ問い質されるに違いありません。
甘い方法でひとつよろしくお願いします(笑)
ともあれ、お疲れ様でした。
予想外に長引いてしまった事をお詫びいたします。
ぅぉぉ。明日で企画開始から一年経ってしまいます…。
長い間のお付き合い有難うございました。
今後とも宜しくお願いいたします。

2004/02/18

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