手繰り糸4
「どうなさいましたか?」
心なしか引き攣りながら浮かべた微笑に、アニタはむっつりとしてカミューとマイクロトフとを見比べていた。
「良い男が二人して………しかも片割れはもう売約済みってんだから」
「アニタ殿…?」
首を傾げるカミューに、ビクトールは面白そうな顔を隠しもせずに歯を見せてにやにやと笑っている。
「リィナが誘ってもなびきもしなかったってんじゃあ、勝ち目なんてないわよねぇ。でも、あんたの方ならまだイケるんじゃないの?」
イケるんじゃないの、と言われても。
いわゆる売約済みの、その売約した本人がカミューであるのだから、そもそも無理な話ですよ、とは流石にここでは言えない。
そして否応も答えられず言葉を詰まらせるカミューを相手に、アニタは更に腕を引いてきた。
「だからさぁ、恋人に夢中な男なんて放っておいて、アタシと飲まない?」
腕を深く絡めて誘うアニタにマイクロトフは絶句している。当然である。何しろこんな光景は初めてのことだった。
そもそもカミューもまたマチルダではおいそれと声を掛けられない地位の男で、ロックアックスの社交界においてはたとえ秋波が送られてきていても、どれも上品で控えめだったのだ。まずマイクロトフが気付くことがなかった。
それに比べて大胆にも過ぎるアニタの誘いだが、だからと言ってその誘いに乗るような真似は出来ない。
「申し訳ありませんが……」
レディに恥をかかせるのは忍びないが、世慣れたこの女剣士ならば大丈夫だろうとカミューは小さく首を振って誘いを断ろうとした。だが。
「断るつもり? それでも構やしないけどね、ただじゃあ引き下がれないわねぇ」
絡み酒かなんなのか、完全ないちゃもん状態である。
「アニタ殿、頼みますからこの手を……」
実のところ背後から妙に恐ろしげな気配を感じてきたカミューである。
何故だかカミューを至宝のように崇拝しがちな騎士たちの、その筆頭たる男が背後のマイクロトフだ。他人がカミューに対して少しでも無遠慮な、或いは侮辱的な態度を取ろうものなら、まるで自分のことのように怒り出すのだ。
しかしアニタはカミューの腕に自分の腕を確りと絡めたまま身を寄せてくると、瞳を怪しく煌めかせた。
「そうだねぇ……やっぱりここは、隠してることを洗いざらいぶちまけてもらおうか」
そしてにやりと笑うアニタに、ビクトールが無責任に「そいつは良い」と手を叩いている。お調子者めと睨みを利かせても、通じない。
「ちょっと、どこ向いてんだい。ほら、何から聞かせてもらおうか」
アニタのもう一方の手が、カミューの顎をぐいと掴んで無理やり視線を合わせさせる。途端に背中から、ガタッと大きな音がしたがアニタの手が確りと掴んでいるものだから振り向けない。
「アニタ殿、本当に……」
引き攣った笑みを貼り付けたまま、カミューは気が気ではない。よもやアニタを相手に乱暴など働かないだろうが、マイクロトフの動きが心配だ。
だがそんなカミューの心配などよそに、アニタは不満げな表情でじっとりと睨んでくる。
「そもそもあんた達、どれだけ注目されてるか自覚がないんじゃないの」
「注目ですか」
「そうさ。だのに、あんた達ときたら部下の騎士どもに囲まれて、やたらと守りが固くってさ。こうして単品で酒場に来てくれないとそうそう話し掛けられもしやしない」
「はぁ……」
「そこへ来て、そっちの青い団長さんの恋人話と来たね。皆、気にして聞きたがってんだからさ、いっそその恋人の話でも披露してもらおうか、ねぇ皆ぁ!」
途端に、どっと酒場中が盛り上がって仰天する。
そこではじめて、酒場中の耳目がカウンターに集っているのに気付いたカミューである。
それぞれ好き好きに酒を会話を楽しんでいる風だったのに、どうやらビクトールが現れた辺りからこの場の全員が野次馬と貸したらしかった。意識だけはきっちりこちらに向けて、下世話な噂話の成り行きに興味津々である。
なんてところだ同盟軍。
本当にまったく違う場所に来てしまったのだな、と改めて実感したカミューである。比べるものではないのだろうが、マチルダとはまるで違う世界だった。
だが、嫌だとは不思議と思わない。
これが何故だか実に居心地が良い。明け透けでいながら、誰もが偽ることをしない、真っ正直な素直さが誰かを思わせる。
だが嫌えないのと困らないのとは話が違う。
早くこのアニタの手を振り解きたいのだが、乱暴に払うのも躊躇われて硬直状態が続いている。さて、どうしたものかと惑っているとそのアニタの腕をむんずと掴む手があった。
「おや、どういうつもりだい?」
アニタが途端に面白そうな声音で、カミューの肩越しに視線を寄越した。彼女の腕を掴んだのはマイクロトフの手だったのである。
しかし慌てて振り返った男は、戸惑ったような顔をしながらも眉間に皺を寄せて、むっつりしている。
「……どういうつもりもなにも……この手を離しては頂けんだろうか」
どうやら頭で考えるよりも先に手が動いたらしい。アニタの腕を掴む自分の手を見下ろして、そう言う。だがアニタはそれでカミューの手を素直に離してはくれなかった。
「離して欲しかったら、ほらあんたの恋人の事、打ち明けてもらおうかい」
「うっ……」
「ほーら、自分で答えられないんじゃあ、こっちの赤い団長さんに教えてもらわなきゃあねぇ」
「カミューが答えられるわけがないっ!」
「マイクロトフ」
頭に血の上りやすい男である。うっかり余計な事を言わないようにとすかさず諌めるのだが、聞こえたかどうか疑わしい。カミューは微笑に冷や汗を浮かべつつ、アニタに掴まれたままの腕を石の様に強張らせるしか出来なかった。
だがそこへ火に油を注ぐようなことを、アニタがまた平気で言うものだから始末がつかない。
「へぇ、それじゃあ親友に恋人の話はしてないわけだ。薄情だねぇ。恋人の方だって気の毒じゃないの、親友に紹介もされなくて、今頃泣いてるんじゃない。それとも、もしかして恋人って言っても本命じゃないのかもしれないねぇ」
「……口が過ぎるぞアニタ殿…」
ふと、マイクロトフの声が低く下がった。
「俺だけでなく、俺の想う相手までも侮辱なさるおつもりか?」
「おや、強気じゃないの」
ふうん、と見下ろすような眼差しをしてアニタが薄笑う。
「よっぽど想ってんだねぇ。上等上等」
「当然だ。分かって頂けたなら、前言を撤回してもらおう」
アニタの腕を掴んでいた手を離し、マイクロトフはじっと目で射るようにして睨みつける。この迫力に勝てる者が居ればお目にかかりたいというほどの静かな威圧である。しかし。
アニタは笑んだ目のまま、掌をひらひらと振って言った。
「そうだね。悪かったよごめんね」
ぺろっと笑み交じりにとはいえ、謝罪は謝罪だ。
ふっとマイクロトフからの圧力が消えて、ほっと息をつく一同である。だが、それとこれとは話が別で、アニタの腕はまだカミューに絡んだままだった。
「で、さあ」
「はい」
「やっぱり赤い団長さんは、親友の恋人のことは知らないわけ? もしかして大事にし過ぎて、会わせてもらってないとかさぁ。だってこんな良い男に引き合わせて、そっちに夢中になっちゃったら大変だしね」
途端に笑い出すアニタに、カミューはガックリと項垂れた。
「親友と恋人が、だなんて洒落にもならないじゃないねぇ」
正しくは、親友が恋人に、である。それはそれで大変だったのだが、今はそれを思い出している時ではない。
「ええ、洒落になりませんね。ところでアニタ殿、今晩の所はこれで勘弁して頂けませんか。この埋め合わせは後日改めていたしますから」
「へぇ、じゃあ一緒に飲んでくれる?」
「喜んでお付き合いさせていただ」
「駄目だ」
「………」
一瞬、しんと静まり返る。はっきりと却下したのは、マイクロトフである。一同の目が痛いほどに集中するのを感じてカミューは、あぁと天井を仰いだ。
「……ちょっと、なんでそっちの許可が要るんだい」
アニタの文句は当然だ。
だがマイクロトフの差し出口も、実のところ当然だ。
そしてカミューを挟んで二人がじっとりと睨み合う。その奥ではビクトールがにやにやと笑って傍観を決め込んでいた。
「何が駄目なのさ。あんたにはちゃあんと恋人がいるんだろ? だったらこっちはこっちで楽しく飲もうって言ってるだけじゃない」
「駄目なものは駄目だ」
「〜〜〜分かんない男だね! だからあんたにそんな口を挟む道理なんてないだろ!?」
「ある!」
「なんで!」
「愛しているからだ!!」
今度こそ静まり返った酒場で、カミューだけが何もかも諦めきった笑みを浮かべていた。
流石のアニタも目を丸くしたまま固まっているし、ビクトールですら呆気に取られたように口を開きっ放しだ。そして電撃発言をした当の本人も慌てて口を塞いでいたが、些か遅すぎる行動を自覚しているのか、カミューと目を合わそうとしていない。
仕方がなく、カミューは硬直したままのアニタから腕を解くと、カウンターに置いてあったグラスの酒を、残り全て飲み干すと静かに立ち上がった。
「……言ってしまったからには仕方がないな、マイクロトフ」
周囲はまだ静まり返っている。そしてカミューの一挙一動を、何処か縋るような眼差しで見ていた。そんな彼らに微笑を向けてカミューはマイクロトフを振り返る。
「わたしもおまえを愛しているとも。だが、だからと言って同盟軍の方々との友好を深めてはならない、というわけにもいかないだろう」
そして己の口を押さえたままのマイクロトフの手を握ると、それをそっと胸元に引き寄せて目を伏せる。
「いくら大切に想ってくれていても過保護ではないかマイクロトフ。過ぎた束縛は嫌いだよ?」
「カミュー……っ」
「ほんの僅かの時間、共に酒を楽しむ程度だ。許してくれるよな?」
「う……む…」
動揺を押し隠せずに閉口しつつ、結局マイクロトフは頷いて見せた。そこでカミューはくるりと店内を振り返った。
「と、言うところで如何でしょうか」
代表として選んで語り掛けたのはビクトールだ。突然真っ直ぐに見つめられて、傭兵はぽかんとしている。だが、不意に奇妙に顔を歪めた。
「な……なんだ、それは、つまり、冗談ってわけか?」
「マイクロトフは滅多に冗談など口にしない男なんですがね」
そしてカミューがまた微笑むと、漸く張り詰めていた空気がほっと緩んだ。途端にビクトールがまだまだ強張りつつも笑みを浮かべる。
「やっぱりそうかよ。なんだよ、意外に愉快な奴なんじゃないか、なぁ!」
お堅いばっかりだと思ってたけどよ、とビクトールは大口を開けて笑った。しかしながら安心したような表情に何処かぎこちなさが見え隠れしている。
結局、それから酒場全体を巻き込んでの宴会に付き合わされ、マイクロトフもカミューも、久方ぶりに酒を浴びるように飲んだ。
しかし不思議とその宴席で、マイクロトフの恋人の話が出る事はなかった―――。
ともかくも飲んで騒いで、漸く半分以上が飲み潰れる頃、見かけを裏切る底なしの騎士二人は、そろそろお暇するかと相変わらずの姿勢の良さで立ち上がった。
だが出口に向かって歩き出そうか、という時、それまで机に凭れ込むようにして赤い顔を揺らしていたビクトールが、慌てたように顔を上げて二人を呼び止めた。
「あー、そのなんだ。ちょっと聞いて良いか?」
赤ら顔のわりに確りした口調で、実は見かけほどに酔っ払っていないのかもしれない。振り返ったカミューは頷いて首を傾げた。
「なんなりと」
するとビクトールは何度か口篭ってから、意を決したように真面目な顔をして聞いてきた。
「さっきの、あれだけどな」
「はい」
「方便、ってやつだよな?」
頼む、うんと言ってくれ。
そんな声が聞こえたような気がしたカミューである。
やはりこの傭兵は誤魔化しきれないか、と内心で舌打ちしつつ、カミューは殊更に魅惑的な微笑を浮かべて鷹揚に頷いて見せた。
「あの場合、他に上手く始末をつける方法が思いつかなかったものですから」
するとビクトールは、今度こそほっとしたように己の胸を撫で下ろして「そうか」と頷いた。
「いや、そうなら良いんだ。引き止めて悪かった」
「いいえ。それではこれで失礼します。行こうかマイクロトフ」
結局、カミューが否定も肯定もしていない事実にビクトールが気付くのは翌朝のことである。
我ながら強引過ぎたかな、と思わないでもないカミューであったが、騎士としてあるまじき嘘は吐いていない。あの時、皆が誤解するように振舞ったのは確かだが、そうでもしなければ収拾がつかない気がしたので、良しとする。
「カミュー」
「ん?」
酒場を出て、しんとした廊下に出たところでマイクロトフがカミューを振り返った。その顔に酔いは見られない。
「……すまなかったな」
ぼそりと告げられた謝辞に、思わずカミューは笑った。
「何を突然しおらしく謝っているんだ。気にするな」
「だが、俺の迂闊な発言で困らせた」
「構わないよ。どうせその内、誰かにはばれるだろうしね。おおっぴらにはするつもりは無いが、ひた隠しにするのも不自然だと思っていたし」
ロックアックスにいた頃でさえ、身近な者には知られていた二人の関係である。そもそもが、マイクロトフという男に隠し事をしろという方が無理な話なので、前々からそう考えていたカミューだった。
それに、恋人に堂々と愛を打ち明けられて嫌がる者も珍しいだろう。
内心嬉しくて、おかげで少々酒が過ぎた自覚のあるカミューである。
「まぁ、それでもアニタ殿や、他の方々と親しくするのは本当に許してくれ」
「……しかし」
「良いんだよ。彼女らの相手はわたしが受け持つと言っているんだ。まったくこの同盟軍では油断も隙も無いのだからね」
今回のことで、カミューはつくづく実感した。
「こうなってみれば、リィナ殿の事は結果的に良かったのかもしれないね。おかげで、良い虫除けだ」
「なんだと?」
怪訝な声を出すマイクロトフに、カミューは「だって」と呟いた。
「アニタ殿の例を見ても分かるだろう。ここには積極的なレディが多過ぎる。ロックアックスでならいざしらず、いつ何時、おまえに迫るレディが現れるか知れない」
だがそれもリィナのおかげで、良い牽制が出来たというものだ。
真面目で堅実なマイクロトフに確かな恋人の存在があると知れば、そうそう迫ろうなどと試みる女性はいないだろう。そうでなければ、多少の社交術に長けた自分ならともかく、無骨なマイクロトフがそんな女性を相手に上手く逃れてくれるか、不安ではないかと思うカミューだ。
「暫くは噂が大変だろうが、第二第三のリィナ殿がおまえに迫るよりは余程良い」
そしてにっこり笑ったカミューだったが、唐突にその腕をマイクロトフに掴まれた。
え? と思っていると強い力で引っ張られて、まるで走るように廊下をマイクロトフに引かれて進む。
「マイクロトフ?」
呼んでも答えは無く、掴まれた腕が痛いばかりだ。
だが、何をそれほど急ぐ事があるのだろうと思った行き先は、二人の部屋だった。
そして不審げな顔の見張り兵の横を通り過ぎ、扉を開いたマイクロトフはそこで漸く掴んでいた腕を離したが、直ぐに今度は両腕で抱え込むようにしてカミューの身体を抱きしめた。
「愛しているぞカミュー」
「……うん?」
「すまなかった、俺はずっとつまらぬ事を。いや、もう良いのか。しかし、カミューがそこまで俺の事を考えていてくれていたとは」
「どうしたんだマイクロトフ」
ひたすら不思議がるカミューは、知らない。
今回の騒動で、マイクロトフがカミューの自分に対する独占欲や嫉妬心に僅かな不安を抱えていたことを。
だが、それもこれも先程の言葉で全て払拭された。
これが抱き締められずにいられようか。
「カミュー。好きだ」
「ああ、わたしもだよ。でも、突然どうしたんだ」
抱き締められるまま、自然に己の背に回るカミューの掌の温みすら愛しい。マイクロトフは一度きつく抱く腕に力を込めると、ふっと緩めて身体を離すと驚いたままの顔に唇を寄せる。
目元に口付け、それから頬に、唇にと軽い口付けを落として、マイクロトフは指先をカミューのこめかみに這わせた。すると、柔らかな微笑が己を見つめていた。
「流石に酒の匂いがすごいな」
そう言って笑うカミューに、マイクロトフも笑った。
「ああ、もう一度酔いそうだ」
そして今度は深く唇を合わせた。
夜はまだまだ長い。
end
最後でやっとらぶらぶしましたね〜。
残ったお題が「嘘も方便」
この方便をカミューに使わせるために、マイクロトフに失言をさせるまでが手間取って、3話の予定が4話になってしまいました。
でも結局カミューは嘘を言ってません。だって騎士ですもの(笑)
2004/09/22